「働きアリの法則」というのを聞いたことがありますか?
別名、パレートの法則とも呼ばれているもので、組織のなかで一生懸命に働いているのは全体の2割でしかないという法則です。
実際に働きアリの集団で、そういう現象が見られるために名付けられています。
この法則は人間社会の組織論にもたびたび登場します。
ですがそれには無理があります。
どこが論理破綻しているか見ていきましょう。
そして実際、組織改革には何が必要なのかをしっかり考えてみましょう。
働きアリの法則を見てみることで、本当に組織に必要なものがきっと見えてくることでしょう。
目次
「働きアリの法則」は人間社会の組織には当てはまりません【これはウソ!】
結論
働きアリの法則は人間の法則ではありません。
仕事、組織の本質はもっと他にあります。
働きアリの法則
働きアリの法則とは?
ウィキペディアには次のように記載されています。
働きアリに関する法則である。
パレートの法則(80:20の法則)の亜種で、2-6-2の法則ともいう。
(概要)
・働きアリのうちよく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
・働きアリのうち本当に働いているのは全体の8割で残りの2割のアリはサボっている。
・よく働いているアリと普通に働いている(時々サボっている)アリとずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
・よく働いているアリ2割を間引くと残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
・よく働いているアリだけを集めても一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
・サボっているアリだけを集めると一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
ちなみにパレートの法則というのはイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した、いわゆる80:20の法則と呼ばれているものです。
たとえば、
・仕事の成果の8割は費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。
・商品の売上の8割は全商品銘柄のうちの2割で生み出している。
・ビジネスにおいて売上の8割は全顧客の2割が生み出している。
・売上の8割は全従業員のうちの2割で生み出している。
といったものです。
そして組織の成り立ちでは次のように示されています。
組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになる。
この2:8を更に上位中位下位と細分化したものが働きアリの法則(2-6-2の法則)です。
働きアリの法則は組織論に使える?
結論から言うと、これはあくまでアリの法則です。
これを仕事上の組織論として使うにはかなり無理があります。
理由は2つあります。
まず1つ目ですが、比較の前提がおかしいです。
どういうことかというと、「よく働いているアリと普通に働いている(時々サボっている)アリとずっとサボっているアリの割合は2:6:2になる」とありますが、サボっているアリはずっとサボっているわけではないのです。
研究によるとよく働いているアリが休んでいる時には、普段働いていないアリが働いていることが確認できるということです。
一見働かないアリが一定割合存在すれば、当然全員が働いている場合に比べて効率は悪くなるはずです。
ですがアリの場合は全員が一斉に働きだすシステムをとっていると、疲れるのも一斉になってしまいます。
アリにとってはこれは致命的です。
アリの世界には、一時でも休んでしまうとコロニーに致命的なダメージを与えてしまう仕事が存在します。
シロアリで確認されているのですが、卵をつねになめ続けるという作業がそれにあたります。
ものの30分も中断すると、卵にカビが生えて死んでしまいます。
働きアリの唾液には抗生物質が含まれており、それがカビの発生を抑えるのです。
つまり皆が一斉に働きだすシステムでは、皆が一斉に仕事ができなくなりコロニーに致命的なダメージを与えるリスクが高まってしまうのです。
よって皆が一斉に働くシステムでは具合が悪いのです。
働き者が疲れたら普段働いていないアリが仕事を肩代わりすることで、アリのコロニーはリスクを回避しているのです。
というわけで比較の前提がおかしいのです。
アリの場合は、働かないアリが疲労したアリをリカバリーするために普段働いていないだけです。
これは人間社会には当てはめられません。
普段働いていない人は、働いている人が疲労したからといって急に働き出すなんてことはありません。
よってここの論理展開には無理があります。
2つ目に個人の能力差を考えていないということです。
これは1つ目ともつながりますが、アリの場合は働いているアリも働かないアリも本来持っている能力は同等です。
だからこそいざという時に、リカバリーができるのです。
ですが人間社会の場合、仕事の能力差は当然出てきます。
ですので有能な人がやっている仕事を、能力が劣る人がリカバリーなんてできるはずがないのです。
だからアリの法則はあくまでアリの法則の域を出ないのです。
働きアリの法則と組織論
働きアリの法則(2-6-2の法則)をそのまま人間の組織に適用させるのは、かなり無理があるというのは上記で述べた通りです。
ですが働きアリの法則ということで広く認知されているということは、それなりに納得してしまう部分も多いからなのでしょう。
「組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになる」と聞くとなんとなく思い当たる節がないわけでもありません。
たとえば、以前に医事課のベテランでいわゆる自他共に認める仕事ができる人が相次いで退職するという出来事が起きました。
残った職員はもちろんのこと退職する当人達ですら業務が回らなくなるのでは、と思っていました。
ですが実際は何の問題もなく回っていました。
これが働きアリの法則なのでしょうか?
僕は違うと思います。
これは結果だけを見ればそう思えるかもしれませんが、法則に当てはまっているということではありません。
バイアスがかかった状態では気づきませんが、すごく普通の出来事なのです。
たとえば、能力値が10の人が2人抜けるとします。
残された中で1番高い人の能力値が7とします。
そして次に高い人が6とします。
「組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになる」という法則が正しいのならば、-20を埋めるのに+13では足りません。
だとすると能力値7→10、6→10とならないといけないのですが、人はそこまで急激に成長できません。
つまり業務が回っている理由は、個人の能力に依存しないで全体のシステムでカバーしているからということなのです。
働きアリの法則と有能・無能論
2-6-2は傲慢法則
働きアリの法則(2-6-2の法則)、パレートの法則(80:20の法則)があるのはわかりました。
条件と状況によっては、当てはまる場合もあるかもしれません。
ですがそれを組織内の能力分布として見るのはどうなのでしょうか?
2-6-2の法則をそのまま解釈すれば、有能2割、普通6割、無能2割ということです。
そして更にここから無能2割を切り捨てても有能、普通の中で2-6-2に分かれるとしています。
だから「無能2割も必要悪」だとか「その部分を底上げすることが効率的に組織を底上げすることにつながる」などいろんな意見があります。
ですが有能無能ってどういうことなのでしょうか?
そもそも有能無能は相対評価です。
ある絶対的な基準に照らし合わせて判断しているものではありません。
そうであるならばほとんどの人は平均的な普通の人、凡人です。
そこに2-6-2という線引きをして、組織論として成り立っていると思っていること自体が傲慢な考え方です。
上司が部下が自分の期待を下回っているからといって無能だと決めつけることはたやすいですが、同時にそれは自分の教育能力の低さ、無能さを認めていることでもあります。
優秀な組織というのは個人の能力に依存せず、個人の優劣が組織の優劣に影響しない組織です。
ですから「2-6-2」でなくても「1-7-2」でも「0-8-2」でもいいのです。
大事なことは組織の総合力です。
そしてそのための教育、育成です。
無能な上司、使えない新人と批判するのは簡単ですが、もしそのような発言がある組織ならばシステムとしては機能していないということでしょう。
適材適所と教育
人には能力差があります。
人には得意分野とそうでない分野があります。
人には興味がある分野とない分野があります。
これはそのまま医療事務員に当てはまります。
医療事務員には、能力差があります。
医療事務員には、得意分野とそうでない分野があります。
医療事務員には、興味がある分野とない分野があります。
そこを考慮せず有能、無能と判断するのはあまりにも早計です。
基本的に人は自分が興味がない分野、得意ではない分野では無能です。
また経験が十分足りていない分野でも無能です。
何が言いたいかというと、現代社会ではあまりにも相手に期待しすぎているんじゃないかということです。
そしてその見切りが恐ろしく早いということです。
これは医療事務でも十分言えます。
医療事務での人間関係、離職の問題などの原因を探れば問題点は必ず2つあります。
それは本人の問題と周りの問題です。
そしてここでは周りの問題について述べておきます。
医事課で昔も今も不足しているのが教育、育成を行う人材とそのシステムです、
医事課では、長期的な視点での人材育成というものは行われにくいです。
なぜなら短期的に辞める人があまりにも多いからです。
辞められた時点でそれまで費やした教育の労力と時間はムダになります。
それが何度も続くと教える側のモチベーションが下がっていきます。
ですのでムダな力は使いたくないということで、余計に見切りが早くなるという悪循環におちいってしまいます。
そうならないためには、教える者への教育というものも必要なのです。
教え方はある意味最も差が出るスキルです。
教える側がそのスキルを問われているということを認識してもらうことが重要なのです。
しっかりとした人材育成と適材適所な配置というものが完璧にできているのであれば、2-6-2の法則なんて関係ないのです。
まとめ
必ずしも「有能な医事課」イコール「有能な医療事務員の集合体」である必要はありません。
そしてそれは何も働きアリの法則である必要もありません。
極論を言えば、平凡な医療事務員の集合体でも組織として有能であることは可能です。
組織の人間に対して有能、無能のラベリングをする前にすべきことは、どうやっても回るシステムをきっちり作り上げるということです。
個々の人材の能力に頼ることなく、組織の総合力で勝負できるチームを作りましょう。