医事課という部署は患者、医師、看護師その他あらゆる部署とかかわりながら仕事を進めて行くところでありで常に何かしらの問題が発生するところでもあります。
医事課としては何の問題も出てなくても外部の要因によって渦中の部署になることは日常茶飯事でクレームを言われたりすることだってそりゃ結構あります。
そんなときはたして自責で考えるのがいいのか、他責で考えるのがいいのか、その点を深掘りして見ていきます。
ごまお
目次
【自責思考】正解はどっちだ?【他責思考】
結論
正解は自責思考です。
自責思考と他責思考
自責と他責
自責
問題の原因を自分の行動や思考など自分自身にあると考えること。
他責
問題の原因を自分以外の他者に向けて考えること。
裏表
自責思考、他責思考どちらも良い面、悪い面があるといわれています。
自責思考は自分のせいと考える、他責思考は人のせいと考えるとなると自責思考の悪い面、他責思考の良い面なんてないようにも思えますがそうでもないようです。
自責思考が強すぎると本人以外の成長にはつながりません。
たとえばもともとある医事課のフォーマットで書類を作成していたAさんが入力ミスをしてしまいました。
自責思考の強いAさんはすべて自分のせいと考えます。
そして次からミスをしないように徹底的なチエックをこころがけます。
これはとてもいいことです。
ですがそもそも昔からあるそのフォーマットが複雑で間違えやすいものだったらどうでしょう。
Aさん以外の人が使ってもミスしやすいつくりであるならばまずはそれを作りかえた方がいいわけです。
仮にAさんよりも前に使った人もミスをしていた事実があったとしましょう。
そしてその人もまた自責思考の強い人だったとしたら同じく責任の所在は自分にしか向かわないのです。
「ちょっとこのフォーマット使いづらくないですか?ミスしやすいように思います」という意見がまわりに言えればフォーマットを変更する流れになるかもしれないし、今後同じミスをする人をなくせるかもしれません。
このようにあまりに強い自責思考は本人以外のためにならず組織の成長にはつながりません。
そして仕事の仕組みやプロセスを疑う他責思考はその指摘によって組織の成長につながります。
ですのでこれは裏表です。
要はバランスの問題です。
強弱の加減で自責思考、他責思考共に善にも悪にもなりえるということです。
ストレス
自責思考、他責思考はそれぞれストレスとの関係も重要です。
強すぎる自責思考はそれこそストレスです。
まじめで責任感が強い人が突然つぶれてしまうことがあるのもこの強すぎる自責思考のせいです。
自責で考えることがいいとされるのはそうすることで現状を受け止め自分と向き合うことが可能となるからです。
そこを超えなんでもかんでも自分の責任と考えてしまうともうそれはストレスになっているだけの行為にすぎません。
自分と向きあうとはつまりまわりには目がいかない状態です。
自分に集中することとまわりが見えなくなることは別ものです。
過渡の自責思考はまわりが見えず自分を追い込んでいるだけになる可能性もあるということをよく理解しておく必要があります。
だからといって他責思考がいいのかというとそうではありません。
基本的に他責思考はやめた方がいいです。
おすすめできる他責思考は問題と改善策がセットで出せる場合に限ります。
そうでない他責思考はただの愚痴、責任転嫁です。
そしてそれは100%負の感情です。
いいこなんてあるはずがないのです。
ごまお
本当の自責思考とは?
自責思考も他責思考も要はバランスの問題だといいました。
一概にどちらがいいとは言い切れない部分は確かにあります。
ですがどちらかを選べとやはり自責思考となります。
ただし上述したストレスのこともあるので自責思考を盲信することもまたさけないといけません。
大事なのは切り分けることです。
本当の自責思考とは全責任を背負い込むという考え方ではなくて、今の状況でできることは何かを考えることです。
つまり自分がコントールできることとできないことを分けた上でできることのみに注力することです。
この考え方はアドラー心理学の「課題の分離」と同じです。
課題の分離はその論理が理解できても実践するのはなかなかハードルが高いです。
そもそも自分の問題と他人の問題を切り分ける、他人の問題に踏み込まないということがかなりの難易度なのです。
これは「人には無関心でいろ」というのとは根本的に違います。
他者を認識した上で自分の課題と他者の課題に分けろといっているのです。
つまりこれはコントロールできるものに集中するということと、コントロールできないものは諦める、という両方の意味があります。
私はこの「諦める」というのが生きる上でのポイントなんじゃないかなと思っています。
けっして諦めることを推奨しているわけではありません。
そうではなくて「どうにもならないことはどんなに頑張ったってどうにもならないんですよ」ということを知ることが大事なんだと思います。
そしてどうにもならないことって何かっていうと「自分ではないこと」です。
つまり他人のことです。
ですがあまりに多くの人が他人のことに一喜一憂します。
他人の言動に影響を受けています。
しかしそれでは他責思考と同じことなのです。
他責思考は人のせいにすることです。
他人のことに一喜一憂、他人の言動に影響を受けていることもそれと全く同じです。
要は他人に依存している状態です。
そして自分とは一切向き合わない状態です。
結局は自分と向き合わない人がかなり多いという話です。
自分には言いわけ、他人へは批判。
そんな人が増えてきたような気がするのは気のせいでしょうか。
自責思考の人って減ってきているのでしょうか?
自責思考をすすめられない
自責思考についてはトンチのような話があります。
自責思考を実践しながらなおかつ人にすすめることは不可能だという主張です。
なぜならたとえば上司が部下に「自責で考えなさい」と言った途端にその行為は相手の行動変化を要求しているので自責ではなくて他責になっているというわけです。
自責思考の大事さを伝えたければそれについては口をつむぐという行為をとらなけらば自らの自責を証明することができない、というジレンマです。
他責では自由になれない
人のせい、環境のせいにすることは簡単です。
そうすることで自尊心を傷つけず自分を守ることができます。
そして常にあるのは「自分は悪くない」という想い。刹那的に見ればその瞬間は幸せかもしれません。
ですが長い目で見ればとても不幸な不便な人生を歩んでいるのです。
なぜならそれは自分軸の中で生きているのではなくて他人軸の中で生きているからです。
すべてを他人に依存している人生だからです。
だからとても窮屈です。
常に他人の言動に左右される、他人次第の人生、他人にコントロールされている人生です。
それでは自由にはなれないのです。
他人の敷いたレールの上を走っている状態なのです。
早く自分の敷いたレールに戻るべきでありそうでないと絶対に自由は来ないのです。
まとめ
医療事務を通して自分は成長できるのか?
医療事務で自分の将来に希望が持てるか?
医療事務をすることが自分にとって意味のあることか?
大事なのは自分軸での思考です。
自責思考での問いかけです。
他人は関係ない。
すべてのことの責任を負い、すべてのことの決定を行う。
そうすることではじめて自分としっかり向き合えるはずです。
ですので基本的には徹底的に自責思考であるべきです。
ミスが起こればまずは自分を疑う。
そして他人のために反省し自分の行動を見直す。
自己成長するにはそのような考え方が必要です。
ただこれはあくまで基本的になので例外もあります。
それはチームリーダーなどの全体を見ないといけない立場の場合です。
この場合は自責思考一辺倒ではなく他責思考な側面も必要です。
ミスの原因となった者が二度と同じ失敗をしないように他者に改善をうながすことが結果的に組織にプラスに働くことは大いにあります。
ですので一個人としては徹底的な自責思考、組織全体を考える立場ならば自責と他責の両方の思考が有効なんじゃないかと思います。
まずは自分が普段一体どちらの考え方をしているのかを認識することが大事です。
デフォルトで他責思考みたいな人はその思考を意識すらできていないので一度自分の思考法を見つめなおすことも大切なことです。
必要なことは自分への客観視です。
やはり今回の結論も「メタ認知って重要だよね」ってことです。
ごまお