医事関連のテーマを中心に感じたこと、考えたことを綴っていきます

仕事ができる人、できない人。その差とは?

「いつやるか?今でしょ」でおなじみの林修先生の言葉に

人はできない言い訳とやらない理由を見つける天才

というのがあります。

今回は仕事との向き合い方、仕事論を私なりの視点で述べていきます。

ごまお

聞かせてもらおう、貴様の仕事論とやらを。

仕事ができる人、できない人。その差とは?

結論

できるか、できないかの能力差ではなく、やろうとするかしないかの意識の差です。

仕事論

「できません」とは?

林先生はこうも言っています。

好きなことは趣味でやればいい。

仕事っていうのはお金をもらってやることだからそれはお金を払う人に対して責任を取らなきゃいけない。

こっちが好きか嫌いなんかどうでもいい。

向こうがお金を払ったことに対して責任をとれるか。

そういうことがちゃんとできてるってプライドが持てるか。

そこだけでいいと僕は思う。

今回なぜこのテーマで書こうと思ったのかというとこの林先生の述べていることの意味を理解している人があまりにも少ないと感じたからです。

上司の指示ということの意味を自分なりの解釈に変えてしまっている人がとても多いです。

これは若い人もベテランも関係ありません。

両方私から見れば思考停止、意味不明なのですがまだ若い人の方が思考停止具合は軽傷です。

これは単純に仕事のやり方が悪い場合が多いからです。

分からないことが分からないとか、どうやったらいいのか分からない、という経験不足からくる「できません」という割合が結構あります。

これはきちんと教えていくことによってできてくる可能性は大いにあります。

ですのでこちらはまだ望みのある「できません」です。

一方重症なのがベテランの「できません」です。

こちらの思考停止具合はかなりきてます。

たとえば、入院係で内科系の経験が長い担当者に外科系の手術の入力を指示したところ「できません」と返ってきました。

これはまだ何も教えていない時点です。

そして理由を聞くと「もう歳だから覚えられない」というものでした。

歳っていっても私と大して変わらない年齢です。

この場合「できません」という言葉を使うのは誤りです。

正しくは「やりたくありません」です。

ここでさきほどの林先生の言葉に戻るのです。

好きか嫌いかなんてどうでもいいのです。

そんなことは問うてはいません。

そしてまずその前に前提が間違っています。

上司の指示は100%指示なのです。

「やってもらいたいんですが」ではないのです。

「やりなさい」なのです。

そこにあなたの意見なんて求めていません。

好きだろうが嫌いだろうがやるのが仕事です。

そもそもなぜ仕事をしてお金をもらえるか考えたことがありますか?

仕事って誰もがやりたがらないものだからです。

「仕事がするのが好きで好きでお金なんかいいからずっと働いていたいんです」という人なら給料なんて出す必要がないのです。

ほっといても働いてくれるのですから。

でもそうじゃないわけです。

みんなお金が出ない仕事なんかやるはずがありません。

嫌な仕事でも給料が出るから誰もが働くわけです。

だったら当然嫌な仕事、やりたくない仕事は出てくるのです。

そこをより好みする権限は部下には一切ありません。

これは私目線のバイアスだというのは自由ですがこれはまぎれもない事実です。

このことは世間の常識と私自身は長年思っていました。

役職のない平の医療事務員のときも上司の指示命令は絶対だと思っていました。

それがたとえとんでもない無能上司であってもその組織の中では私より立場が上なのですから「理不尽だなあ」と思いつつもすべて指示には従いました。

少し脱線しますがここでひとつ言っておきたいことがあります。

上司の指示には100%従ってはいましたが、その仕事の必要性の確認はしていました。

上司がそのミッションのゴールをどこに置いているのかということのすり合わせは随時していました。

でないとそれこそ言われたままやるだけではまさに思考停止となります。

指示されたことをやる、指示されたことを確認してやる、どちらも結果としては同じアウトプットかもしれません。

ですが常に考えながら進めるという思考でないと自分の成長はありません。

話を戻しますがどう転ぶにせよここには前提として指示には従う、があるのです。

ですが今の世の中においてはこの前提はくずれつつあります。

ストレスチェック、パワハラ、セクハラ問題と現代は組織の中でも個を大事にしよう、尊重しようという風潮です。

それはとてもいいことです。

ですがそれと上司の指示に意見するということは全く違う問題です。

ここを自分の中ですりかえている人がとても多いように感じます。

ですがこう言っている私も全員がすんなり指示に従ってくれるなんてこれぽっちも思っていません。

それは分かっています。

ただ、1点だけ強調しておくと「いくらでも不満、文句は言ってもらって結構だが最終的には了承しよう」です。

上司は全体を見てその個に対して指示を出します。

たとえが悪いですが将棋をさす人が上司、駒が部下です。

(これはあくまでたとえで出しているだけなので私が部下を駒として見ているというわけではありません。

ほんとたとえが悪いですね。)

将棋では大局観という言葉がありまして全体として局面が良い、悪いという判断するときに使います。

戦いが起こっているところだけ見るのではなくて、王将の囲いの堅さだったり、駒の働き具合の比較だったりと局面全体を見渡すのです。

これはメタ認知と似ています。

要は俯瞰して見るということです。

そして将棋同様仕事においても俯瞰することはとても重要です。

これは個人においてもそうですし組織としてもそうです。

本来全職員が俯瞰した仕事のやり方ができれば理想なのですが一人ひとりにそこまで望むのも酷な話です。

ですが少なくとも上司だけは俯瞰したものの見方ができなければダメです。

そしてよっぽどその上司が無能でないかぎり部下への指示は俯瞰した中での次の一手なのです。

全体を見た上で出した結論が部下への指示なのです。

それを「できません」というならばその俯瞰を超越した理由でないと上司が納得しないのは当然のことです。

そしてそんな理由は実在しません。

ですので「できません」という返答はおかしいのです。

正しくは「やる気がありません」「しません」です。

そしてそんな人はこちらとしても「いりません」。

ごまお

できませんは思考停止のことば

「できる」とは?

ホリエモンこと堀江貴文氏は次のように言っています。

突き抜けられる人とそうでない人の違いは、物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。

それだけだ。

能力の差ではなく、意識の差なのである。

何事も「できる!」という前提に立って、そこから「できる理由」を考えていくのだ。

もうこの文章がすべてです。

できる医療事務員、できない医療事務員の決定的な差は能力なんかじゃありません。

知識と経験はあとからいくらでも足していけます。

単に能力だけで圧倒的な差なんて生まれません。

圧倒的な差は意識の差です。

まず進むことを考える人とまず逃げることを考える人とで圧倒的な差がつくのは当然のことです。

大前提が「できる」と思うことです。

そこがスタートラインです。

でも本当にできないことをできると思うことの方が間違っている、という意見もあります。

ですがそれが本当なら前提がくずれているのです。

入って半年の新人に「査定率を0.1%まで下げたいから対策案を考えて」という上司がいたらその人は無能すぎます。

どうやっても現状の力ではできないことを振るのは指示ではなくイジメです。

ですが実際そんな上司いないでしょう。

この例は極端すぎますが通常上司は部下が現状努力すればできるレベルの仕事を与えます。

だから全くできない仕事を指示されたと部下の人が思うのであればとるべき行動は次のどちらかです。

①頑張ればできることなのに自分でできないと思い込んでいるだけ。だからやってみる。

 

②ホントに上司が無能。だから転職する。

もうこのどちらかしかないです。

しかし結局はやるしかないですよ。

なぜなら①も②も自分の主観でしかないからです。

特に②は危ないです。

何をもって上司を無能判定していますか?

有能、無能なんて相対的なものなのでそのときの状況、場面でいくらでもひっくり返ります。

有能と無能と無力【医療事務仕事論】

確かに組織は無能で埋まるという法則もあります。

【有能な人はいなくなる?】組織って無能の集まりなの?【ピーターの法則】

ですがあなたから見て上司が無能だとしたらまずは俯瞰して下さい。

自分の損得勘定だけで見るのではなくてバイアスを取り払ってフラットな見方を心掛けて下さい。

また次のようなことがあります。

a.有能な人が有能な人を評価すると「優秀」

 

b.有能な人が無能な人を評価すると「非優秀」

 

c.無能な人が無能な人を評価すると「非優秀」

 

d.無能な人が有能な人を評価すると「非優秀」

恐ろしいのはdです。

そもそも無能な人は自分を無能とは思っていません。

むしろ自分はできると思っています。

なので何か自分に不都合なことが起こると自分は正しくて間違っているのは相手と思ってしまうのです。

だから自分は十分忙しくてこれ以上仕事を持てないのにそれでも仕事を振ってくる上司は無能、と判断してしまうのです。

ここで足らないのはメタ認知力です。

ひとりよがりのものの見方は自分の首をしめるだけということに気づきましょう。

ホリエモンの言葉に戻りますが、「できる」とはできるという前提に立つことです。

結果的にできた、できなかったの問題ではないのです。

つまり、やろうとするか、しないかだけです。

シンプルにそこだけなのです。

すべてはとらえ方しだい

マザーテレサの言葉です。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

つまり、運命をたどるとその出発点には思考があるということです。

そしてその思考を決めているのは自分自身です。

事実は変わりません、ですがとらえ方は変えられます。

できないと考えればできないという言葉になりできない行動となります。

ですができると考えればできるという言葉になりできる行動となります。

これは暗示をかけろとかそういう話ではありません。

大事なのは自分を客観的に見ることです。

そして自分を信じることです。

ですがこれがすんなりできれば苦労はないわけです。

必要なことは成功体験です。

小さな成功体験の積み重ねが自分に自信を与えてくれます。

成功体験が動ける医事課員を作る【医療事務で大切なこと】

まとめ

できるかできないかじゃない。

やろうとするかしないかだけ。

今回伝えたいことはシンプルにこれだけです。

ぜひやろうとする人になって下さい。

そして変化を受け入れられる心を養って下さい。

現状がイヤだという人ほど世界が変わるのを待つより自分が変わった方がよっぽど早いですよ。

挑戦しない人生なんてつまらないなって私は思います。

ごまお

まずはやってみようと思うこと。それが大事。

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