医事関連のテーマを中心に感じたこと、考えたことを綴っていきます

【倫理】5人を助けるために1人を殺す!?【トロッコ問題】

私たちが人として生きていく上で倫理は常に関わっていく問題です。

そして医療においても倫理はとても重要で病院において倫理委員会にて話し合わなければならないこともこの先どんどん増えてくると予想されます。

現在の世の中は多角化しており、またAIなどの科学技術の進歩によりこれまでは思いもしなかった問題が新たに生まれてくることも予想されます。

今回は医療の倫理を考えるヒントとして倫理学の思考実験として有名な「トロッコ問題」を取り上げます。

ごまお

トロッコ問題??

【倫理】5人を助けるために1人を殺す!?【トロッコ問題】

結論

私は5人を見殺します。

倫理とは

厳密にいうと同じ意味ではありませんが倫理とは社会の道徳ということです。

辞書的な意味としては「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。」となっています。

倫理といわれると思考停止してしまう人もいるかもしれませんが、私たちが生きていく上でそれは常に問われる事柄であり向き合わなくてはいけない課題です。

特に医療においてはさまざまな倫理的な問題と向き合わなくてはならなくなります。

・インフォームドコンセント

 

・個人情報保護

 

・人生の最終段階における医療

 

・DNR

 

・安楽死、尊厳死

 

・脳死

 

・臓器移植

 

・妊娠、中絶

 

・クローン

などいろいろあります。

また今年でいえば公立福生病院での人工透析問題も記憶に新しいところです。

病院における倫理というのは今後ますます重要さが増してくるところであり倫理委員会で話し合われることはもちろんですが、職員の一人ひとりがいかにその意識を高め考えていくかがとても大切です。

当事者になるまで考えたこともなかった、ではなくていつでも対応できるようにしていくには普段からの意識、思考を高めておく必要があります。

実際の事例で学ぶことが一番身につきますが今回のような思考実験と呼ばれているもので自分なりの思考をしっかり築くことも大事な要素かなと思います。

トロッコ問題

トロッコ問題とは?

トロッコ問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験のことです。

イギリスの哲学者フィリッパ・フットが1967年に提起しました。

その後2009年にハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル教授の「白熱教室」にて取り上げられ話題となりました。

日本でもNHK(Eテレ)にて「ハーバード白熱教室」というテレビ番組として放送されました。

ですのでこのトロッコ問題を知っている人も結構いると思います。

また最近のニュースで聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか。

ひと月ほど前に山口県の小中学校で授業でこのトロッコ問題を取り上げたところ、その後数人の児童が不安を訴え、そのことに対し学校側が保護者に謝罪したというニュースがありました。

YAHOO!JAPANニュース 2019/10/1)5人と1人どちらを助ける? 小・中学校で出題された「トロッコ問題」めぐり賛否の声

これは完全に学校の対応が間違っていますが、ここでそのことについて語るつもりはありません。

ただ小学生にトロッコ問題を投げかけるという試みは素晴らしいと思います。

取り上げる内容が適正だったのかどうかなどいろいろ言われていましたが、子供の頃からそういうことを考えさせることはとても大事なことだと思います。

基本的に優しく暖かい世界で平和に暮らせるのが理想ですが、突然の事故や災害により悲劇が襲ってくることも当然あるわけで、もしも自分や家族にそういうことが降りかかったときにどうするかということを教えることは大人になる前から始めておくべきだと思います。

話がそれてしまいましたが本編へ戻ります。

トロッコ問題

状況設定

 

とある線路を走っていたトロッコの制御が不能になってしまいました。

 

このままでは前方で作業中の5人が猛スピードのトロッコにひき殺されてしまうことになります。

 

そしてこの時あなたは線路の分岐器のすぐそばにいます。

 

あなたがトロッコの進路を切りかえれば作業員の5人は助かります。

 

そして5人の前にある線路の分岐を切り替えれば進路が変わり今度はその先にいる1人の作業員が犠牲になります。

 

この状況に直面した場合はたしてあなたは線路の分岐器のレバーを引いてトロッコの進路を変えますか?

 

(注)なおこの選択には法的な責任は問われず道徳的な見解だけを問うています。

結論から先に言っておきますとこの問いに正解はありません。

そしてこの話のテーマは「多くの命を助けるために1人を殺せるか?」ということです。

この結末は必ずどちらかは死にます。

ネットなどを見てみると「ポイントを中立の状態にすればトロッコは脱線して止まり全員助かる」や「自分が飛び込めば罪悪感も何も感じない」のような、ななめ上な回答もあるのですがそういうものは除外します。

完全なる二者択一です。

皆さんならどうするでしょうか?

「実際そんな場面には一生遭遇しない」とか「そんな状況で考えているひまなどない」というのも除外します。

必ずどちらかを選択して下さい。

回答① 1人を犠牲にして5人を助ける

調査結果によるとこちらを選ぶ人の割合が多いとのことです。

理由はシンプルです。

数の論理です。

1人の命より5人の命のほうが重いということです。

これは功利主義と定義され、ある条件の中で社会(構成員)にとっての最大の利益、幸福を求めていくという行動原則です。

回答② 5人を犠牲にしてでも1人の命を奪わない

こちらは義務論にもとづく行動と定義されいかなる状況であれ罪のない人間を殺してよいはずがないという立場です。

つまり、功利主義は最大多数の最大幸福を目指すということ。

この場合1人はあくまで数字として計算されます。

それがどんな人間であろうとも一人ひとりの権利を平等に数える立場です。

対して義務論は他の目的(=5人の生存)を達成するための手段として人を利用すべきではないとする考え。

義務論は何よりも一人ひとりの人権の尊重を主張する立場です。

私は後者をとります。

具体的に言えば5人を見殺しにします。

なぜか?

まずは功利主義の数の論理がナンセンスだからです。

5人の命と1人の命では5人の命の方が重いとするのは完全に他人ごとと思っているからです。

1人の命でもその家族にとっては何千人分もの価値があります。

そこを数の論理で通すのは視野が狭すぎます。

想像力が足りなさすぎます。

次にもっと大きい理由があります。

それはレバーを引くことが人を殺す行為そのものだからです。

暴走したトロッコはもう変えられない状況でそのまま5人がひき殺されることは残念ながら運命です。

そう考えます。

だったらもう傍観者でいるしかないのです。

そしてそれで5人が死んでもそれは事故で済まされます。

ですがレバーを引けば自分がその運命をねじ曲げた殺人者となってしまう恐れがあります。

(注)に法的な責任は問われないとなっていますが、法律上無罪でもその家族からは恨まれるでしょう。

「なぜレバーを引いたんだ」と。

そして何より自分が人を殺すことに関わったという想いは一生消えません。

もし仮に死んだ5人の家族に「なぜ何もしてくれなかったんだ」と言われたとしても、それはそもそも暴走しているトロッコがいけないのであって、整備、点検を怠った管理者を責めるべきで私を責めることは論点がズレているということを説明します。

これはあくまで私の思考なので賛成、反対どちらもあると思います。

あと意地悪な人はこう言うかもしれません。

「だったらその5人が自分の家族であったとしても同じ結論に至るのか?」と。

その答えもYESです。

こんな私は極悪非道でしょうか。

しかし前述した理由で主張するならば答えは変えてはいけないと思うのです。

対象が誰かによって正義が変わることはあってはいけないと思うのです。

トロッコは止まらない、このままでは家族が死ぬ。

そのとき人を殺すしかない正義は正義とは言えないでしょう。

家族が助かったとして私が殺人者となった事実を家族は受け入れるでしょうか。

「私を助けるために人を殺してくれてよかった」と家族は思うでしょうか。

少なくとも私の家族はそう思わないと思います。

もう死ぬ運命ならば受け入れる、きっとそう思うと思います。

(確認はしていないので自己妄想です。家族よごめんなさい。)

私がサイコパスかどうかはおいておきまして、自分なりの一貫した論理を組み立てることが大事なことだと思います。

その意味でトロッコ問題と真剣に向き合うことは大変意義深いことだと思います。

また、正反対の考え方としては「その人が死ぬことによる悲しみが最も少ない選択肢を選ぶべきである」といった考え方や、「その人が死ぬことによる経済的な損害が最も少ない選択肢を選ぶべきである」といった考えの人もいると思います。

1人だとしてもそれがマザーテレサのような人々から多くの尊敬を集めた人物だった場合は一般の5人と比較しても助けるべきではないのか?

1人だとしてもそれがジェフ・ベゾスのような非常に経済的に重要な人物だった場合は一般の5人と比較しても助けるべきではないのか?といった意見もあるのではないかと思います。

それぞれ自分の信念にもとづき考え出した結論ならばそれは大変意義深いことでいかなる結論に至ろうともその思考すること自体がとても大切なことなんだろうと思います。

AI時代のトロッコ問題

トロッコ問題自体がありもしない仮定で現実味がなく意味がないという人もいます。

ですが現在現実味のあるAI時代のトロッコ問題というべきものも出てきています。

それは次のとおりです。

状況設定

 

自動運転車が走行しています。

 

そして対向1車線ずつの橋を通過するとします。

 

すると向こうから子供が30人乗ったスクールバスが来てなんらかの理由でこちら側の車線に飛び出してきました。

 

このとき、こちら側を走っている自動運転車が取りうる選択肢は2つです。

 

1つはそのまま直進しスクールバスに突っ込んで30人の子どもが死んでしまうこと。

 

もう1つは自動運転車が曲がって橋から落ちること。

 

後者を選択すると30人の子どもの命が助かるかわりにその車に乗っていた人は死んでしまいます。

 

自動運転車の設計者はどちらの行動をさせるべきか?

という問いです。

これも究極の二者択一です。

どちらの考え方もありえます。

そしてさきほどのトロッコ問題と決定的に違うのはこの例は将来現実に起こりえる、ということです。

自動運転の未来はそんなに遠くなく訪れるでしょうが、社会が知恵を蓄積する速度よりも科学が知識を蓄積する速度の方がはるかに上回っているため、今後AIにどこまでをまかせるのか、ゆだねるのか、という問題は当分ついてまわる問題です。

科学技術が進歩すればするほど倫理の問題もよりクローズアップされていくことになるでしょう。

正義とは何か?

倫理とは何か?という問いに対する答えの1つは正義とは何か?ということです。

大切なことは思考することです。

土壇場に迫られたとき出るのは日頃の思考や行動のクセです。

いざという時の決断力だのなんだの言っても出てくるのは日頃の思考、行いの延長です。

普段考えてもいないことを大事な場面で実践するなんてことは不可能です。

ですので自分ならどうするか?という視点を常に持ち考えるクセをつけておくことが重要です。

それこそ医療にまつわる倫理的な論点は山ほどあります。

それぞれにおいて自分なりの思考、スタンスを確認しておくべきです。

ごまお

何が大切か?何を重視するか?

まとめ

 

トロッコ問題は確かに現実ばなれした話です。

ですがリアルな社会もあまり大差ないように思います。

それはきちんとした正解がない世界だからです。

だからこそその状況においては何が最善なのか、という倫理観を常日頃から養っておく必要があります。

さまざまな立場や考え方を知りそのような問題に立ち向かい乗り越える基礎体力をつけておく必要があります。

具体的に医療倫理について考えることも良いですし、今回のトロッコ問題のような思考実験で自分の論理を構築してみることも大変意義のあることだと思います。

はたして皆さんは5人を助ける派、見殺す派のどっちですか?

ごまお

正解がないからこそ考えることが大事
created by Rinker
¥1,540 (2019/11/21 15:50:35時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
¥1,430 (2019/11/21 15:50:36時点 Amazon調べ-詳細)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です