悩むことと考えることは同じベクトルのようにも思えますが実はまったく違います。
今回はこの点を深掘りします。
ごまお
目次
【悩む】考えるフリはもうやめよう【考える】
結論
悩むことは思考停止です。
悩むということ
先日こんなやりとりを目にしました。
リハ部の技士長と外来レセの担当者がリハビリの返戻について話していました。
どうやら今まで来たことのない内容だったらしく、指摘内容の意味がよく分からないらしいのです。
今までなかった内容での返戻、返戻内容の不明瞭さ、不納得感がある中、「なぜ返戻されてきたのだろう」ということを話し合っていました。
点数早見表を片手に「こう書いてあるのに」とか「このレセプトだけが返戻ってなぜだろう」みたいなことが聞こえてきました。
内容を確認してもう一度調べ直すというのは自然な流れです。
そこに何の問題もありません。
問題なのはそのあとです。
それから私はしばらく席を外しました。
そして戻ってきた時その話し合いはまだ続いていたのでした。
そしてその内容はその前の話をただああでもない、こうでもないと悩んでいるだけでした。
この時思ったことは、この人たちはこれで仕事をしている気なんだろうなってことです。
調べ直したけど分からないんだから次のアクションは基金に聞くの一択です。
返戻内容の意味が分からなければその発信元に聞く以外に方法はありません。
だからそうするもんだと思っていました。
もう席に戻った時には解決しているもんだと。
しかしそうではなかったのです。
このようなことは結構目にします。
本人たちにすれば真剣に話し合いそして悩んでいるその時間はまさに仕事してるって感じるのでしょう。
ですがそれは仕事ではない。
ただのムダな時間の浪費です。
ここでの間違いは「悩む=考える」としていることです。
多くの人は悩むことと考えることは同じ分類に入っていると思っています。
ですが実際その2つはまったくの別物です。
考える→答えを出す前提で進む思考
悩む →答えが見つからない前提で行う考えるフリ
つまり悩むことって無意味、不毛。
悩むって行為は一種のナルシシズムです。
自分に酔っているだけにすぎない。
私はきちんと考えているんだ、しっかり働いている、しっかり生きていると思うためにしているだけの行為です。
捨てるということ
前述のとおり悩むとは「答えが見つからない前提で行う考えるフリ」ですので終わりが来ません。
答えはないのですから当たり前です。
このまったく意味のない堂々巡りを抜け出す方法は次のどちらかです。
・悩むから考えるに切りかえる
・諦め捨てる
まず悩むから考えるに切り替える場合にはひとつ前提があります。
それは必ず解決できる問題であること。
答えが用意されている問題であることです。
その場合はどうにかしてその問題の解にたどり着くことは可能です。
ですので考えることには意味があります。
そしてそのためには行動を起こすことが必要です。
一方問題の解がない場合考えることには意味がありません。
これはすべての対人関係にいえることです。
他人はコントロールできません。
ですので自分のコントロール外のことはすべて放っておくことです。
すなわち課題の分離です。
よってもし今あなたが人間関係で悩んでいるというのならば、そのことについては諦め捨ててしまうほかありません。
だって永久に解決しない問題を抱えていてもいいことないです。
だから課題の分離ができるようになれば対人関係の悩みは消えていきます。
ですが実際は課題の分離って難しいんだと思います。
周りを見れば自分の課題と他人の課題をごっちゃにしている人がかなり多いです。
そしてわけが分からなくなりずっぽり悩んでしまうのです。
そうなるともう負のループから抜け出せません。
そうならないためには自分がやるべきこと、考えるべきことだけに集中し、それ以外のことは諦め捨ててしまうことです。
悩む前に行動せよ
悩むことに意味がないことは述べたとおりです。
しかし悩みがいっぱいですという人はどうすればいいのかというとその答えはシンプルで行動することです。
もうそれのみです。
なぜ人は悩むのか?
それは失敗したくないからです。
恥ずかしい気持ち、イヤな気持ちを味わいたくないからです。
だからこそあえて言います。
失敗して下さいと。
医療事務で失敗することで人生の大ダメージになることなんかあるのでしょか?
医療事務で失敗して患者さんが死ぬことはありません。
医療事務で失敗して給料ダウンすることなんかありません。(よっぽどのことをやらかした場合は知りませんが)
医療事務で失敗して自分のツイッターが炎上することなんかありません。
失敗したところでしょせんその程度のものなのです。
しかし人は極度に失敗を嫌います。
そしてベテランになればなるほどその傾向は顕著になり、果ては失敗したことさえも認めにくくなります。
その人たちに聞いてみたいです。
自分はそれほど完璧なえらい人間なのかと。
失敗はそれくらい避けるべきものなのかと。
確かにベテランでほとんどノーミスな人もいます。
ですがそのような人は同時に挑戦もほとんどしていません。
挑戦しないんだから失敗しないのは当然です。
そしてその人たちは勘違いをしてます。
それは現状維持が安定につながるという考えです。
ですが現状維持はただ衰退していくのみです。
安定とはほど遠い。
まして私たちが今いるこの医療事務業界で現状維持は将来的には退場を意味します。
今ある自分の経験とスキルだけで永遠に飯が食えると思っているのならば認識を変えないといけません。
将来に向けてお金を貯めることも大事ですがそれ以上に貯めるべきは経験とスキルです。
お金は使ったら減りますが経験とスキルは使えば使うほど増えます。
またスキルがあればお金は生み出せますが、お金があってもスキルは生まれてきません。
経験やスキルは日々の努力で蓄積されその結果として安定が生まれます。
そのために必要なのは行動すること、挑戦することです。
もしあなたが将来的に安定がほしいと願っているのならば得るべきものは経験とスキルです。
そしてその経験とスキルは挑戦することから生まれ蓄えられます。
だからとにかく行動すること以外の選択肢はないのです。
悩んでいるヒマがあるんだったらさっさと動け!ということです。
まとめ
今回のような話は以前にも何度も書いています。
なぜ同じ内容のことを繰り返すかというとそれだけみんな挑戦しないからです。
失敗は絶対イヤってなっているからです。
でもそのマインドこそが自分の首をしめていることにその人たちは気づいていません。
医療事務員ってまだどこかで医療事務のことを信じているんだと思います。
医療事務の資格があって経験があるから職には困らないはずだって。
確かに今後も当分職には困らないと思います。
ですがこれは前にも書きましたが将来的には医療事務の求人は二極化していくはずです。
・一般的な医療事務人材を低い給料で募集
・医療事務をベースにさまざまな付加価値を創造したり、病院経営の向上に寄与できるスキルのある人材を相応の給料で募集
そして誰でもできるようなスキルしかない人の給料は買いたたかれます。
これは市場原理なので当たり前の話です。
計算関係、レセプト関係すべて機械が行いますとなれば特化したスキルがない人ができるところといえば受付や案内、電話対応などになります。
そしてそこの募集に多数の人が集まれば高い給料なんか払う必要がないわけです。
その業務の市場価値が上がることはないのです。
こんな話をするとどれだけ先の話をしているの?って思う人も多いと思います。
ですがそんな遠い未来の話ではありません。
そう言っている私自身もどれくらい先のことかは予想できませんが。
ただひとつ言えることは悩む人よりどんどん挑戦する人の方が人生きっとうまくいきます。
仕事もきっとうまくいきます。
これからは考えることを増やして悩むことはやめましょう。
考えるフリをするのはもうやめましょう。
ごまお