全体最適という概念があります。
個人個人にとってではなく組織にとって最も価値が高くなる方法を選ぶという考え方です。
組織というのは個々ではなく全体の利益を増大させるために存在するので自分の利益よりも全体最適を考えようって話です。
これは組織利益最大化のために個の利益を犠牲にすることは合理的であるという考えがもとにあります。
ですがそもそもそんなの理想論じゃんっていうのが今回の話です。
ごまお
目次
【病院組織】全体最適はただの理想論です【ホントは部分最適の集合体】
結論
病院組織の全体最適はほぼムリです。
ムリと考える理由を以下に述べます。
3つの理由
・医療職のモチベーションが病院経営に向いていない
・事務職のリーダーシップが働かない
・全体最適は損という考え
医療職のモチベーションが病院経営に向いていない
全員国家資格保持者である医療職は総じて臨床現場で知識・技術を高め患者さんに提供することや研究機関で専門性を高めることなどにやりがいを感じる方が比較的多いと思います。
そうすると医療職の意識は大部分が医療の質に集中し経営の質にはどうしても向きづらいです。
病院経営に意識を向けているのは各部署長クラスに限られ、現場の職員には経営陣の想いは何も届いておらずむしろ反発したり否定的であったりということもよくあることです。
そうなると現場としては自分たちにとってマイナスと受け取れるものに対しては断固反対となるわけです。
こうなると完全な自分最適です。
全体最適の視点などみじんもないのです。
そしてこれをひっくり返すことは事実上不可能です。
事務職のリーダーシップが働かない
これは上記とも関連しています。そして院内ヒエラルキーが強く作用しています。
私は院内ヒエラルキーなんて無視って思っていますが、事務職でこのヒエラルキーがイヤだという人も中にはいます。
そんなことは気にする必要のないことと以前に書きました。

この院内ヒエラルキーの最大の悪影響は事務職のモチベーションをいちじるしく下げてしまう場合があるってことです。
そして事務職が裁量を発揮する場面に展開するところまでもいかない場合が多いのです。
そもそも経営視点で他部署を巻き込んで行動を起こそうという気さえなくしている人もいます。
そんな労力だけ使って何の成果も出ないようなことにリソースを注いでもムダって思っているということです。
今ではこう思っている人でも過去にはきっと意気揚々と高いモチベーションで行動していたときもあったと思うのです。
ですが反対を受けた、拒否された、はね返されたということが何度も繰り返されるとよほどのメンタルでない限りモチベーションは下がっていきます。
いくらヒエラルキーなんて気にしないといっても現実にヒエラルキーはあります。
そして医療事務はその最底辺です。
医師をはじめとする医療スタッフが自分の仕事に高いプライドを持ち、自分のいわば既得権益と思っているところを守ろうとするその前では事務職のリーダーシップなどなんの効力もないのです。
そこにあるのは無数の部分最適ばかりなのです。
全体最適は損という考え
全体最適とはそもそも特定の個が常に得したり常に損したりすることはないというのが前提です。
ですが「自分は常に我慢を強いられている」「一回も報われたことがないんだけど」って思っている人はかなり多いと思います。
特に多職種が連携し合う病院組織では部署間のせめぎ合いが激しいです。
そこにあるのは言ってしまえば損得です。
「それを進めるとうちが大変になる」とか「こっちばかりが損」だとかそんな意識ばかり働きます。
こうなると完全な部署最適です。
看護部の利益を最大化する、とかリハ部が最大のアウトプットを出せるように考えるなどとなると全体最適にはほど遠い話になってしまいます。
なぜこうなっていまうかというとそもそも最初からそれぞれが思っていることがバラバラだからです。
意見のくい違いを是正することなく話を進めているからです。
そもそもなぜ意見の食い違いをみるのか?
これには圧倒的なお互いの歩みより不足があります。
意見が違うことになる理由には次の4点があげられます。
・情報量が違う
・情報の分析・解釈が違う
・価値観が違う
・目的・ゴール設定が違う
情報量が違う
持っている情報量に差があれば意見が違ってきて当然です。
この場合はお互いの情報を持ち寄って情報の共有化をする必要があります。
情報の分析・解釈が違う
同じ情報を持っているのにまったく違う意見になるなんてことも起こります。
そこにはおのおのの解釈の違いがあります。
この場合もお互いの分析方法、解釈を教え合ってきちんと話し合う必要があります。
価値観が違う
これはどうもできません。
お互いの考えを聞き合って「そういう考え方もあるのね」くらいで終わらせればいいと思います。
たまにこの価値観に対して「それは間違っている」と言う人がいますが価値観は人それぞれなので間違いなんてないのです。
目的・ゴール設定が違う
ここが一番大きいと思います。
そしてここのすり合わせができていないので全体最適に同意できないのです。
法人としてはここを目指す、この方向に進むんだよということを理解していなければ次々と上から降りてくるミッションが一体なんのためにしているのかが分からなくなります。
そして「自分のことは単なる歯車と思ってるのか?」というような思考も生まれ得るのです。
その結果自分としては頑張っているのに全然報われないとして自分最適に走るのです。
今後病院淘汰の時代に突入すれば病院の体制を維持するためには高い職員エンゲージメントは必須です。


ですので目的・ゴール設定の理解、納得というのは抜けてはいけないのです。
しかし実際は法人の経営方針、方向性を理解している現場の人ってそれほど多くはありません。
だってそんなことは知らなくても給料がもらえるから、現場はそれなりに回っているから。
法人の目指す先なんて自分とは何の関係もない、そう思っている人がいてもおかしくありません。
院内のルールや体制が形骸化していたり、TQMなどの改善活動がやらされ感になっていたりと本来は組織の生産性を向上させるために必要なものがいつのまにか部分最適化しそのまま続いているということもありがちな話です。
すべてはゴールが何かみんな知らないからです。
目の前のミッションのホントの意味を理解していないからです。
部分最適、自分最適をなくすにはここを徹底して教え共有することが必要なのです。
まとめ
病院組織の全体最適はほぼムリだろうというのが私の結論です。
ですがそもそも全体最適じゃないといけないのでしょうか?
部分最適の集合体ではダメなのでしょうか?
本文にも書きましたが全体最適の結果自分はちっとも得をしない、って思っている人は結構いると思います。
その人たちにとって全体最適は悪なのです。
もっといえば得となっているのは上層部だけでしょというのが現場の気持ちです。
ですが社会の風潮としては全体最適こそが正義です。
全体最適で考えない社会人は身勝手極まりないという考えが浸透しています。
それが行きすぎると自己犠牲が美徳であるみたいな宗教じみたこともまかり通ります。
全体最適という概念自体はいいとは思いますがこれはホントに理想論です。
保守的、保身全盛の病院組織で全体最適はただの概念でしかない。
全体最適サイコーっていう人がいるならばそれはその人にとって自分最適にもなっているはずです。
そうでないと全体最適が良いなんて言えるはずがない。
あらゆる職種が混ざり合い、かつヒエラルキー支配の中、医事課の立場として全体最適であるべきなんて言えません。
そんなことをすれば医事課にもたらされる得なんて永遠に回ってこないからです。
そもそも損得で考えることは間違っています。
そんなことは分かっていてもそう思わずにはいられないというのが率直な感想なのです。
ごまお