先日病院で働く事務職員さんが新卒採用でのミスマッチとその改善策という記事を書かれていました。
医事課のリアルが描かれており核心を突いたとてもいい内容です。
今回はそのことから私なりに思ったこと、感じていることを述べていきます。
ごまお
目次
医療事務員の希望と絶望と思考停止
結論
絶望の根底には手薄な教育体制があります。
希望か思考停止か?
そのブログにはこう書かれています。
仕事を教えるのは大変だし、一人前になった後は手放したくない。
忙しい現場は、新人を病院全体の財産ではなく、どうしても現場の新しい労働力として見てしまいがちです。
そうこうしているうちに2年、3年が過ぎていくと、慣れてきたが故に淡々とこなす仕事が増えていき、このまま1年、5年、10年経っていくのか…と思い、辞めることにした、というのは私の辞めた同期の言葉です。
そもそもこの記事ではどうしたら離職を防止できるだろうかという視点で書かれています。
そしてそのためには、「自ら問題を設定し、解決させる」仕事を意図的に与えていく必要がある。
現場での仕事を覚えてきた若手スタッフに、現場業務の問題設定から解決策の立案・実行までを担当してもらうことで仕事の面白さを感じてもらうことが大切なんだと。
これはまさにそのとおりであり、そして一番実行するのが難しいことでもあります。
ですがその課題に挑戦し日々試行錯誤しながら人材育成を行おうとする姿勢はすばらしいことです。
どこの医事課でもそうあるべきだとは思います。
ですが私がこれを読んで思ったのは、「このまま1年、5年、10年経っていくのか…と思い、辞めることにした」という人はまだまだ志が高いなということです。
これは新卒総合職ということが大きく影響していると思います。
そしてやはり20代~30代の若手というのが最も大きいと思います。
その年代だとやはり自分の将来には希望を持っているのです。
そしてこのままでは自分はダメになるという意識があるからこそ転職という道を選ぶのでしょう。
ホントのところこのあたりのリアルというのは私にはわかりません。
私の年代の20代の頃と今とでは価値観が違いすぎます。
「2、3年で何がわかるんだ」
「自分のしたい仕事なんかどこ行ってもないよ」
私の年代の人ならそう言います。
私はたとえ1年で辞めたとしてもそれが自分の判断なら他人の言うことなんか聞く必要はないと思っています。
そもそも一生その病院で働き続けるという発想、または病院だから一生安泰だという考えが時代遅れです。
もし入職したものの
「このままでいいのか」
「一生この場所なのか」
というような疑問を抱きながら働き続けるくらいなら転職する方がよっぽどいい。
耐え続ける仕事になんかやりがいなんか見つけられない。
仕事って大変だけどおもしろいって思えなきゃいけない。
それを見つけるための退職ならば否定する理由はないと思います。
ですが私はここである違和感があるのです。
何かというと、現状に絶望して転職するということです。
それはある意味希望を見つけに行く行動です。
その人の人生にとってはプラスの行動なのです。
しかし多くの医療事務員はそうはなっていないのです。
入職前→希望
入職後→絶望
結果→転職
というのが先のブログにあった内容であるならば、多くの人はその絶望がないのです。
絶望がないというのは良い意味ではなくて、絶望を超えきっているというのが正しいです。
そしてその先にあるのが思考停止なのです。
つまり「このままでいいのか」という問いがないのです。
逆に「このままでいい」という根拠や理由づけもない。
あるのは惰性と思考停止のみです。
若い人は今「自分がやりたいことがやれない」ということを憂う。
しかし年数がたった人はそもそも「やりたいことがない」「わからない」のです。
厳密にいうとこの言い方も少し違っていて、そもそもそんなことは考えないのです。
だって決められた時間働いていればきっちりと給料は出るから。
知っていることを知っている範囲内でやる分にはラクだから。
だから絶望なんかするわけがないのです。
苦労せず固定給が貰えるのならそれはむしろ希望なのです。
希望から思考停止へのプロセス
そうはいってもその人たちも最初からそんな考えだったわけがありません。
誰しも最初は希望と不安が入り混じっているものです。
そして医療事務においてはこの希望というのは仕事に就くとまもなくこっぱみじんにされるのです。
その前にまず知っておく必要があるのが、それはこれが間違った希望だということです。
違う言い方をすれば作られた幻想なのです。
作られたイメージ、それに対する期待、望みとなるからこっぱみじんにされるのです。
それは医療事務員を養成する学校から始まっています。
資格を取って即戦力へ。
どこでもいつでもフレキシブルな働き方が可能。
患者さんの役に立つやりがいのある仕事。
それはウソではありませんが、良いように言いすぎです。
それは良い部分を切り取っているにすぎない。
もとごとにはすべてオモテウラがあります。
そのオモテを見せることだけに終始していては、そもそもその生徒のためにはならない。
でもこの点をそれらの学校にのぞむのは酷な話です。
だって彼らは先生であって現場の人間ではないのだから。
だからそもそもホントの内情など知るよしもないのです。
彼らは彼らの仕事をこなし医療事務はこんな仕事だよっていうオモテ部分をサラッと教える。
それを受けて生徒はいい印象といいイメージで入職する。
でもそこには毎日繰り返されるルーチン業務、スムーズにいかない人間関係、なくなる気配のない患者さんからのクレームなどおよそ入職前には想像もしていなかったできごとのオンパレード。
そしてここには希望なんかないんだと思い込むのです。
また違うパターンとして面接時にも同じことがいえます。
面接を受けてみていい印象だったけど入ってみたら全然違うものだった、なんてことはよくある話です。
多くの現場がホントにほしい人材というのは経験者です。
新人から悠長に育てている余裕なんかない、即戦力はいないのか。
これがホンネです。
でもそんな人はまずなかなか市場に出てこないのです。
だからもしそんな人がいたらぜひうちに来てほしいって思う。
だから「ウチはそれほど残業はないよ」だとか「現場はみんな協力してよくやってくれている人ばかり」というようにしか言いません。
でも実際入ってみたら残業が常にあったり、人間関係が最悪だったなんてこともよくある話です。
でもこれは面接の話をまともに信じる方がどうにかしているとは思いますが。
面接はあくまでゲーム、化かし合いですので。

データをとったわけではないので私の経験則だけでいいますが、医療事務の離職率はかなり高いです。
そして医療事務のエンゲージメントはかなり低いです。


これは最初の美化されたイメージとそれによるマインド形成の影響が大きいのではないかと思います。
その流れはこうです。
パターン① 希望→絶望→将来への不安→転職
パターン② 希望→絶望→慣れとあきらめ→思考停止→モチベ低い、エンゲージメント低い
つまり希望から思考停止への間には慣れとあきらめがあるのです。
そしてそれは絶望を超えきってしまうのです。
要はその環境に染まるということです。
そしてその職場が医療事務のすべてだと思ってしまう。
さらに自分が井の中の蛙であることをも感じない。

結局もう走る必要はないと判断しているのです。
なぜなら周りは全員歩いているからです。
このような思考はある日突然なるのではありません。
自分でも気づかぬうちにしらずしらずそうなっていくのです。
これは総じて経験年数がな長い人、年齢が高い人ほどそうなっています。
ですが本人にその自覚はありません。
そしてその人たちはえてして自分はデキル人という認識でいます。
経験も十分にあってスキルも高いと。
これは本人にとっても周りにとっても不幸なことなのです。
そしてここまで来てしまうと外側からの指導や働きかけで意識改革させることは不可能です。
対処するならば希望→絶望の直後しかないのです。
そこを過ぎると希望を求めて辞めていく人か思考停止で残る人へと進む可能性が高いのです。
自ら目的意識を持ち高いモチベを維持する人はホントにマイノリティなのです。
思考停止の人
辞めていく人は「自分がやりたいことがやれない」ということを憂う。
対して残り続ける人は「やりたいことがない」かそれすらわからない。
自分がやりたいことがやれないということで辞める人にも思うところはもちろんあります。
組織ってそんなもんですから。
でもここではいったんよけておきます。
問題なのは「やりたいことがない」「何をしたいのかがわからない」って人。
そしてそもそもそんなこと考えないって人。
だからといって今している仕事以外のことを行うことには極度の拒否反応を示す。
一切の変化には断固反対っていう態度の人。
残念ながらその人たちへの対応策というのは私の中にはもうないです。
そしてはたから見ているとその人たちは仕事を楽しく行っているとは到底見えない。
逆にわざとおもしろくなくしているようにしか見えない。
すべては自分のとらえ方ひとつで変わることなのに決してそうしようとはしない。
もうそこにはメタ認知なんて概念はないのです。
ひたすらに自分視点。
ひたすらに他者評価。
それ楽しい?って思います。
医療事務員のモチベーションは一部の人を除けば総じて低いです。
これはいろんな問題が複合的に絡んでの結果です。
その原因のひとつに低賃金というのがありますがそれはそんなに大きな要素ではないと思います。
なぜならそれが一番の原因でホントにそれで困っているのであれば、医療事務員を辞めるはずだからです。
それよりももっと大きな問題はほかにあると思います。
それは単純に仕事がおもしろくないからだと思います。
そしてなぜおもしろくないかといえば、それはやらされている仕事だから。
それは仕事という名の作業。
思考停止の作業。
なぜ行っているのか、その結果どういうことが起こるのか、そんな意味もわからずひたすら行う作業にやる気が出るなら変態です。
仕事は給料をもらう以上その責任感、義務感はないといけないものですが、その要素で10割埋まっちゃうとやる気なんか出るわけがないのです。
そんなところで仕事のおもしろさなんて感じられるはずがない。
だったらどうすればやる気が出るのか、仕事をおもしろいと感じられるようになるのか。
それは自分から仕事をしていかないといけないのです。
つまりは先のブログにあった「自ら問題を設定し解決」というプロセスが必要なのです。
これがないと自分の成長を実感しずらいし、自己効力感も得られない。

与えられた仕事をしているだけではそれは感じられないのです。
逆にいえば私たち管理職がいかにそのように仕向けていくか、その機会を与えられるかが大切です。
どこまで権限委譲できるか、それができる体制を整えられているか、そこが重要なのです。
まとめ
以前に医療事務員に高いモチベーションは必要か?という記事を書きました。

結局のところモチベーションというのはあるには越したことはないが、別になくてもいいんじゃね、というのが私の結論です。
モチベーションが高いから質の高いアプトプットができるのかといえばそれは幻想です。
ですが確率的にモチベーションもエンゲージメントも高い人が低い人より生産性が高いことは事実。
ですから医事課としてはそこを底上げしていくことが医事課の生産性を上げていくことにもつながります。
大事なのはそのしくみづくりです。
そして一番重要になってくるところは人材育成、教育のしくみづくりです。
退職する人も思考停止になる人もその原因をたどっていくと必ずこの人材育成、教育という点に行き着きます。
そこでしっかりフォローされていて教育されていた人はその後も自分自身でポジティブマインドを形成しモチベーション維持もできている割合が高いです。
逆にそこで十分なフォローもされずにもっといえば放っておかれた人は自分なりの解釈に凝り固まってしまい、モチベーションが落ちていく割合が高いです。
どこの医事課も忙しいのはわかっています。
ですがこの人材育成、教育という点をもっと重くとらえ注力していくようにしないと、結局自分たちの首を絞めていることと同じなのです。
見すえるべきなのは5年先、10年先の医事課像。
今をしのぐことも大事ですがそれではいつまで経っても同じことの繰り返し。
はっきりいって5年目以降の人のマインドを上司がどうこうすることは不可能です。
大事なのは1年目、2年目です。
そこではしっかり走ることを教えなければいけない。
走らなくてもできると感じさせてはダメなのです。
でもそこで放っておかれた人は自分で走ることをやめます。
周りが歩いているのに自分だけ走っていることがバカらしくなるからです。
そして医事課全体の生産性は落ちていく。
私は昔は中堅層によくモチベーションの話をしていましたが、今はそのような話はあまりしません。
なぜなら明らかに彼女たちには響かないからです。
だったらそんな精神論的な話はするだけムダで、もっとシステムとしてどう回すかというしくみづくりを考えています。
医事課のマネジメントで難しいのはここで、ほとんどが女性という組織の生産性を高めていく良策はなかなか見つからないのです。
どこまで正論で押し通すか、どこまで個人の主張を受け入れるか、そこには正解はないのです。
ですが思考し続けることが大切で、そしてチェンジすること、チャレンジすることに躊躇しない姿勢が常に必要だと思っています。
現在の私の目標の一つに「教育係の育成」があります。
そもそも人は教え方を教わっていない。
そして教え方は千差万別。
だったら教わる人によって成長具合に差が出るのは当たり前のこと。
その差のある教育係をいかに同じ力量にそろえるか、その育成こそが喫緊の課題です。
希望→絶望となってもまた希望を見いだせる人材に育てていくために、そしてそのような人材へと教育できる人材を育てていくために、私自身出せる力をすべて注いでいきたいと思います。
ごまお