【仕事の鉄則】上司の言うことは疑え【他人もすべて】

昨日の記事ではピラミッド組織の中では上司が指示したことを部下が実行する、それが鉄則だということを述べました。

だから建設的な意見を言うことは大切ですが、基本上司の指示には従いましょうという主旨でした。

そして今回のテーマは上司の言うことは疑えです。

従えと言っておいて疑えってどういうこと?って思う人もいるでしょう。

その真意を説明してきます。

ごまお

疑うことのホントの意味とは?

【仕事の鉄則】上司の言うことは疑え【他人もすべて】

結論

常に疑問を持つこと、仮説を立てること、それが大切です。

疑うこと

近代哲学の父と呼ばれるフランスの哲学者ルネ・デカルトの言葉に「我思う、ゆえに我あり」(「コギト・エルゴ・スム」)があります。

これは考えることの基礎には疑うことがあるということを示しています。

ですので疑うことなくして考えているとはいえないのです。

なぜ疑うことが重要なのか。

それは自分のアタマで考えようとすれば、当たり前に見えることでも前提から見直しそこに疑問を提示しなければ、自分自身の独自の見解など導き出せないからです。

疑ってかかるとはきちんと自分のアタマで考えるということと同義なのです。

ものごとに絶対はない

人は自分の置かれた状況や自分の価値観があたかも周りも同じであるかのように錯覚してしまいがちです。

ですので自分の経験上上手くいった方法は盲目的に信じるようになりますし、たまたま上手くいかなかったことでも、以降はその方法を避けようとします。

ですがそれは状況が変われば上手くいくことだってあるし、違う見方ができれば突破口が見つかるかもしれない。

だから絶対的に正しい、間違っているなんてものはほぼないのです。

ですので上司が正しいと言っていてもそれは上司の置かれている状況、価値観から導き出されている答えだけであって絶対ではないのです。

人生において自分の確固たる信念を持つことは大事ですが、それに凝り固まってしまうと視野の狭い、浅い考えしかできない人間になってしまいます。

このような状況を脱するには自分自身の価値観を常に疑うという姿勢が必要です。

疑問がないのはヤバイ

「普段仕事をしていてそんな疑問なんてないけどなあ」という人はヤバイです。

疑問があるということは改善するところがあるということです。

改善しようと努めているということです。

それがないということは仕事に真摯に取り組んでいないということです。

もしくはそんなモチベーションがなくなっているという証拠です。

でも実際疑問を持たないで仕事をこなしている人って多いと思います。

なぜならその方がラクだからです。

「なぜこの仕事は必要なんだろう」「この工程はホントに必要なのだろうか」などと考え出したらキリがありませんし、とにかくめんどくさいです。

そんなことをせずに、決められたことをそのとおりにこなすことの方が断然ラクチンです。

意志力は使えば使うほど減っていきアタマは疲弊していきます。

だったら一切の懐疑、選択、決定の手順を省けば疲れずに済むのです。

それは作業には適していますが仕事には使えません。

仕事の質は集中力の高さに比例します。

疑うことをしていない仕事ぶりが集中力の高い状態か、その仕事の質は高いのかといわれればそうではないと思います。

医療事務では手が早い人が仕事のできる人の一要素です。

ですがただひたすら手が早くても、自分の仕事に疑問がないという人であればそれは仕事ができるとはいいがたいです。

「この仕事の目的、ゴールは何なのか」

「どうすればレセ期間中でも残業なしで帰れるだろう」

「本当に患者目線で考えられているのだろうか」

そんな自問自答が必要です。

そのような考える仕事が必要です。

人の言っていることは適当

タイトルは「上司の言うことは疑え」となっていますが、これは誰にでも当てはまります。

基本人の言っていることは適当です。

人は自分の言っていることにそこまで深く考えていません。

えらそうに上司が言っていることだって、誰かの受け売りなんてことも多いものです。

また状況が変われば人の意見なんてどうとでも変わります。

あるいは経験を積めば昔言っていたことと真逆のことを言っているなんてこともよくあることです。

状況と経験しだいで意見などいくらでも変わるものなのです。

だから100%の約束なんてものも存在しない。

約束なんて破られるものです。

これはあまりにもひねた考えだと思いますか。

ですがこれが真実だと思います。

そして私たちはあまりにも人の発言を鵜呑みにし過ぎています。

仕事なら特にそうです。

上司が言っていることだから正しい、上司が言うことに従う。

昨日の記事では上司の指示に必ず従うべきと言いました。

その結論は変わらないのですが、問題はそのプロセスなのです。

何も疑わず、自分のアタマで考えずただやみくもに従うのではありません。

言われたことや見聞きしたことに対してすべて疑ってかかり、必ず自ら検証し、他人とは違う自分の意見というものをしっかり持った上で従うべきと言っているのです。

従うという行動は結果的に同じになりますが、両者には明確な差があります。

その差が自身の成長となって現れるのです。

人の言っていることはほぼ適当だから、自分でしっかり疑わなければという意識を持つことが大切です。

疑うことは悪じゃない

ここで多くの人が勘違いしていることが「疑うことは相手に悪い」と思うことです。

しかしそれは反対です。

人の言っていることを簡単に信じる方がよっぽど相手に失礼です。

それはきちんと相手を理解しようとする努力の放棄にほかならないからです。

逆な言い方をすれば、上司の言うことを鵜呑みにしている人はその上司のことを盲信している人かコミュニケーションをとるのさえウザイからそのまま受け入れている人です。

それはただの思考停止です。

そうではなくてまずは疑ってかかり、自分なりの見解を導き出す、その手順が必要です。

まとめ

疑問を持つこと、仮説を立てること、これは常に必要です。

それは仕事においてでも人生においてでもです。

仕事とは他者貢献です。

誰かの役に立っていないといけない。

であるならば常に問題点がないかを探り、現状をもっと良くしていこうという気概がなければ仕事の醍醐味は味わえません。

そしてだったらどうするのか、という思考をいつも持っていなければ生産性を上げていくことなどできません。

医療事務だから決められた業務をしてればいい、医療事務だからクリエィティブなことはできない。

そんな考えは間違いです。

そもそも何をもって医療事務なのか、そこをまず疑うべきです。

そして今までの医療事務とこれからの医療事務の業務内容は一緒なのか、ここも疑った方がいい。

今までの当たり前は通用しない、それがこれからの医療事務の世界です。

すべてを疑い、すべてに自分なりの解を持つ。

それが大事なことだと思います。

ごまお

すべては疑うことから始まる

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