当ブログは医療事務をとおしてさまざまな問題を掘り起こし、よりよく働く、生きていくにはどうしていけば良いのかということを追求しています。
完全に医療事務に限った話から抽象論に至るまでいろんな形で書いています。
そしてすべての根底には俯瞰力が最重要という思いがあります。
いわゆるメタ認知力です。
極論してしまえば、もうメタ認知力さえ高ければだいたいはうまくいくはずです。
なぜならアドラーも言っているように「すべての悩みは対人関係の悩みである」からです。
そうであるならば、相手の立場に立てること、自分を客観視できることが自分そして周りをも幸せにし、お互いを高めあうことにもつながります。
ですからメタ認知力を高めていきましょうということをつねづね言っているのですが現実世界はそう簡単ではありません。
かなりメタ認知力が低い人もやはりいるわけです。
そしてそれは上司でも同じことで、低いメタ認知力しか持ち合わせてない人も多くいます。
今回は自戒も込めまして、部下への接し方というものを考察していきます。
目次
【部下のモチベを下げているのはあなた】それは「質問」ではなく「詰問」です
結論
俯瞰力を働かせて詰問になっていないかチェックしましょう。
その指導は本当に相手のためになっていますか。
質問と詰問
この2つは響きは似ていますがその意味はまったく違います。
・質問 → わからないところや疑わしい点について問いただすこと。
・詰問 → 相手を責めて厳しく問いただすこと。
簡単に言えば「なぜ?」という問いは詰問になりやすいです。
「なぜできなかったの?」
「なぜ遅れたの?」
「なぜしなかったの?」
これらは上司がよく言いがちなセリフですが、そのほとんどが詰問です。
そしてここが残念な事実ですが、上司はこれらを質問と認識して部下に投げています。
対して部下はそれを質問とは認識していません。
ただただ詰められていると思っています。
なぜなら「なぜ?」という問いには「〜だから」と返さなくてはいけないからです。
そしてその理由の説明はすべて「いいわけ」となってしまうわけです。
ここは本来「どうすれば良かったのか?」「これからどうすべきなのか?」という未来への問いにしないといけないのですが、「なぜ」と聞いてしまっているがために過去をフォーカスすることだけに終始するのです。
そしてもっとタチが悪いのは「なぜ」と聞かれたから理由を説明すると「いいわけするな」と怒られてしまうことです。
こうなるともう部下は思考停止です。
そして自分は責められているという感覚しか持てなくなります。
そうやって責められたと感じた人が本能的にとる行動は「逃げる」か「反発」です。
ですが相手が上司だと逃げることも反発することもできない。
だから萎縮して出てくるのは謝罪かいいわけしかありません。
なのに上司は「謝れと言っているんじゃない。理由を聞いているんだ。」というムチャクチャなことを言ってきます。
「いやいや正直に理由を言ったらアンタ怒るじゃん。いいわけするなって言うじゃん。」って部下はつねに思っているわけです。
そして部下は何も言えなくなる。
思考停止となる。
もうあとはされるがままです。
まさにサンドバック状態。
そんな光景が今日もまた全国のあらゆる職場で起こっています。
そしてこれの本当に恐ろしいところは、そのような詰める文化があっても仕方ないと誰もが諦めているところにあります。
つまり理不尽だとは感じていても仕事ってそういうものだ、そういう上司もまあいるわとどこかで納得しているということです。
ハッキリ言ってこれを部下の立場からなんとかするというのはムリな話です。
部下は完全に受け手なわけですので、対処のしようがありません。
そうやって諦め、無気力を学習しモチベは落ちていきます。
上司の何気ない「なぜ」によって部下のやる気は削がれていくのです。
上司は育て方を知らない
上司は部下の育て方を知らない、わかっていない。
これは当たり前の話です。
人材教育、人材開発をレクチャーされた人が上司になっているわけではありませんので。
現場の実務担当者がある日から突然部下側から上司側に変わっているだけのことです。
今日からあなた管理職ねって言われた人が部下の育て方を熟知しているはずがないのです。
だとするならば彼ら彼女らはどうしているのか?
それは自分の経験を元にするしかないわけです。
そして過去に自分も上司から詰められて指導されてきた人は間違いなく自分も詰める指導を行います。
なぜならそれしか知らないからです。
ですので多くの上司は自分がやられたことを部下に対してもやっているに過ぎないのです。
そして中にはそれがたまたまうまくいったという成功体験によって、詰める指導は正しいと疑わない上司もいます。
また中にはマウントをとることで自分の優位性を自覚し、精神の安定をはかっているクソ上司もいます。
総じてその人たちは思考停止なのです。
「なぜ」という詰問の先に何があるのかすら考えていない。
極論すれば自分の自尊心を満たしているだけです。
ほとんどの上司の人はすばらしい人格者だとは思いますが、中にはそんな人もいるって話です。
まとめ
詰問は絶対してはいけません、質問をしましょう。
大事なことはそれを聞くことによって相手のためになっているか?ってことです。
自分の質問によって相手に気づきを与え、この先の行動を改善してもらうことが本質です。
「なぜ」という問いかけではそんな行動は促せません。
「なぜ」の先には自分が持っていきたい結論しか待っていません。
それでは誘導尋問と同じです。
大切なのは相手に考えてもらうことです。
気づきを促すことです。
自分の主張に執着しているようではそんなことは絶対ムリです。
やはり高い視座、高い俯瞰力が必要です。
上司の人はつねに高いメタ認知力を発揮できるように意識しましょう。
今日は自戒を込めて書きました。