医事関連のテーマを中心に感じたこと、考えたことを綴っていきます

仕事で自己犠牲は払うべき、払わないべき?

自分1人で完結する職種ならばいいですがそうでない場合周りとの兼ね合いがすごく重要です。

というか組織に属している場合仕事の出来、不出来はほぼ周りとの人間関係に左右されます。

人間同士のやり取りでは必ず摩擦は生じるものでお互いの力関係、感情など様々な要素が混ざりあい関係性が成り立っています。

その中で誰しもが多かれ少なかれ自己犠牲を払う、払わないということを選択する場面に遭遇します。

その時に自己犠牲を払う人、払わない人のどちらが得なのか。どちらが正解なのか。その点を見ていきたいと思います。

自己犠牲とは

自己犠牲の精神とは大なり小なり誰しも持っているものだと思います。

実際それを使う使わないかは別ですが。

そして比較的他者よりも自己犠牲をいとわない人も一定数います。

それはおおよそ次のことにあてはまる人に多いのではないでしょうか。

人に任せることが出来ない

人に任せてやってもらうことで自分の想定している結果と違ってしまうことを極力嫌い、またそれを許すことが出来ない。

それならいっそ自分でやってしまう方がいいと考えてしまうタイプ。

その為には余計に仕事をしないといけなくはなりますが、それに注力することは構わないと考えてしまう人。

更に逆にそもそも仕事は自分を犠牲にしなくてはいけないと思っているからこそ人に任せることが出来なくなるという場合もあります。

自分がなんとかしなくてはいけない

上の場合もこの場合もある意味責任感が強い人が該当しやすいのかなと思います。

このようなタイプは何かトラブルがあった場合にはまずは自分でなんとかする必要があると思い込んでしまいがちです。

誰かに頼る前にまずは自分でという心理が働きやすいです。

自分が犠牲になるほうがいい

 

誰かが大変な目に合うくらいなら自分から進んで犠牲になろうという考え方をするタイプ。

また、誰かが大変な目に合うことを想像する気苦労をするくらいなら自分でしんどいことをやった方がまだマシと思ってしまう人。

争いごとが嫌い

平和主義で誰かと争うのは嫌というタイプ。

人と言い争うぐらいなら、その人と口論せずに自分でやってしまった方がいいと考える人。

自己満足の自己犠牲ではいつかつぶれる

今上げたようなタイプの人は簡単に言うと自分と向き合えていない人です。

自己肯定の為に何かしら理由はつけますが、本当の自分の課題から逃げているだけなのです。

精神的に苦しむくらいなら自分で全部かぶっちゃってやった方がよっぽど楽と考えてしまうのです。

ですがこれはいつか限界が来ます。

そして報われることがほぼないのです。

これはただ自己犠牲の自分に酔っているだけなのです。

ギブアンドテイク

ここで話を少し変えます。

アダム・グラント著 GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 という本があります。

GIVE  &  TAKE 「与える人」こそ成功する時代 / アダム・グラント 【本】

Give & Takeというと誰かと仕事や感情などのやりとりをすると必ず生まれる関係性のことです。

そのGive & Takeの関係について組織心理学の専門家である著者が様々な研究やデータをもとにして書いたのが本書です。

そこにはギバー、テイカー、マッチャーという3者が紹介されています。

誰しもこの3つのどれかに当てはまるとのことです。

ギバー(giver)

文字通り「与える人」であり、ギバーは自分の持っているものを人に与えることを惜しまない利他的な人です。

困っている人がいたら自分には特に利益が無くても助けてくれます。

そして社会全体でもっとも経済的、精神的に豊かで幸せに成功している人はギバーだという調査結果が出ています。

しかし反対に社会全体でもっとも経済的、精神的に貧しく不遇な人もギバーだという結果が出ているとの事です。

テイカー(taker)

これは「take(受け取る)」という文字を使っている通り、人から受け取りたがる人、与えずに自分ばかり欲しがる利己的な人です。

テイカーは常に自分の利益や得を優先し権利ばかり主張します。

自分が損をすることなど一切考えない、自分の手柄にすることに躍起になる人達です。

マッチャー(matcher)

これは「マッチ(match)」=合わせるという言葉の通り、「ギブ(与える)」量と「テイク(受け取る)」量の帳尻を合わせようとする人です。

「自分がこれくらいしてあげたんだから、これくらい受け取ってもいいだろう」「あの人は自分に何もしてくれてないから今助けてあげる義理はない」などとても打算的な人です。

職場ではマッチャー

著者の調査によると職場ではほとんどの人がマッチャーのタイプになるということです。

著者によると3つのタイプは、1人の人間が1つのタイプだけ持っている訳ではなくてその人が置かれる状況や役割によってタイプが変化していくのだそうです。

多くの人は家族にはギバーとなるし職場ではマッチャーになるというのはなるほど当然のように思えます。

頂点のギバーと最下層のギバー

先程社会全体でもっとも経済的、精神的に豊かで幸せに成功している人はギバーで反対に社会全体でもっとも経済的、精神的に貧しく不遇な人もギバーだという結果が出ていると言いました。

これはどういうことかと言うとギバーといっても根本的な考え方が全く違うからなのです。

利他的なのに貧しい不遇なギバーは自己犠牲的なのです。

そのようなギバーは無償で奉仕しているという自分に満足しているだけの自己陶酔人間なのです。

反対に豊かで幸せに成功しているギバーは割ともっと打算的なのです。

自分は得をしないが周りは得をするという方向ではなくて、自分も得をし周りも得をするというような方向を目指すのです。

ですのでどのタイミングで誰に貢献しその結果何を得るのか、何を達成するのかをよく考えているのです。

同じギバーでも根幹をなすマインドが正反対なのです。

仕事上でのギバー

ここで本題に立ち返ると仕事上ギバーとしてやっていくのならば、利他的であっても自己犠牲的であってはダメな訳です。

それはすなわち最下層のギバーとなってしまうのです。

自己犠牲的なギバーは敵を作らず人当たりのいい優しい人ではあるのですが、精神的にも金銭的にも最底辺のギバーとなってしまうのです。

これはそういう人も中にはいるという話ではなくて、れっきとした結論なのです。

であるならば自己犠牲に酔っているだけでは何も報われず、何もなし得ないのです。

まとめ

仕事に自己犠牲は払うべきか否か。

ここまで見てきたものを勘案すると答えはノーとなります。

これは自己犠牲という時点でダメなのです。

自分の身を削って誰かの為にという行為は人からは良く見られるでしょうが自分の利益になることは何もありません。

また自分さえ耐えればこの急場は凌げるというような考えでは短期的には乗り越えられたとしても、長期的にはもちません。

そして結果的には自分だけがしんどい思いをするだけで周りが全然育っていないというなんの改善にもならない状態が続くのです。

テイカーな人は迷惑ですが実はこの自己犠牲的なギバーも同じぐらい悪影響です。

組織の成長には何の貢献もしませんし、自分の成長もないのですから。

誤解しないでほしいのは他人の為になんか何もするなということではありません。

自己犠牲という方法はとらない方がいいといっているのです。

組織なのですから自分が貢献することにより組織が良くなり、自分が困った時には組織がフォローしてくれるという関係が機能してこそ前へと進んでいくのです。

だから責任感が強くて自分がやらないとって人一倍強く思いがちは人はもっと周りを頼ればいいのです。

また、人に任せてやってもらえばいいのです。

自分が思っていた完了形と違っていても気にしないことです。

そもそも自分がベストと思っている完了形が独りよがりである場合もある訳です。

ああ、こんな考え方があるのかとか、自分が思っているよりもっと効率的だったとなる可能性だってあるのです。

いらぬ固定観念は捨ててもっと周りの人に頼るべきです。

あと単純によほどのマゾでもない限り自己犠牲をし続けることは精神的に危険です。

確実に病んでいきます。

自己犠牲イコール無償な貢献行為と定義づければ人間としてはすごく高尚な素晴らしい行いのようにも思えます。

しかし、それは逆の承認欲求ではないのでしょうか。

どういうことかというと、要は自己満足、自己陶酔している訳で心のどこかではこんな自分に気付いてほしいとか人に良く思われたいという意識を持っているのだと思います。

そんなことはない、見返りもなにも考えていないという人もいるとは思いますがそれは自分の意識に気付いていないだけだと思います。

なにより自己犠牲と捉えていることが自分を美化しているのです。

他の人の為に自分の身を削って頑張っていると思っていること自体におこがましさが透けて見えるのです。

それなら私は相手からの見返りを期待してるからこそ行動していると言った方がよっぽど清いし分かりやすいです。

自己犠牲なんて言葉を出してくるから偽善のように聞こえてしまいます。

結論としては他者の為に何かを成すことは大いに結構ですが自己犠牲と思える行為は避けた方がいいのではないかと思います。

 

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