【仕事の教え方】教わる方、教える方、真価が問われるのはどっち?【補助輪がはずれる2年目問題】

昨年当医事課には新卒者が入職しました。

それに関しては過去に何度か新人育成とはどうあるべきなのか、というテーマで持論を述べてきました。

新人教育には何が必要?【新人教育のコツとは】その①新人教育には何が必要?【新人教育のコツとは】その②新人教育には何が必要?【新人教育のコツとは】その③新人教育には何が必要?【新人教育のコツとは】その④

そして早いものでその新人は2年目に突入しもはや新人とは見なされない立場に置かれています。

今回は新人の2年目問題について述べていきます。

ごまお

実は2年目が一番むずかしい

【仕事の教え方】教わる方、教える方、真価が問われるのはどっち?【補助輪がはずれる2年目問題】

結論

問われているのは教育係の力量です。

マインドセット

そもそも医療事務において新人とはどれくらいの期間までのことを指すのでしょうか。

これは医療事務の業務によってもまちまちです。

フロント業務の場合、クラークの場合、レセプト担当者の場合等配属先によって一人前になるための期間というのはそれぞれバラバラです。

ゆえに新人と見なす期間もそれぞれで違ってきます。

その中でも一人前になるのに時間がかかる業務としてあげられるものの1つに入院係があります。

保険、公費、算定要件、施設基準、DPCなどインプットすべき知識は多種多様です。

薬剤や検査等の内容の熟知はもちろんのこと、診療のガイドライン、クリニカルパスなどそもそもの診療の流れを把握できていなければ、正しい請求すらままなりません。

一般的によく言われていることは、未経験者ならまず外来診療の流れ、請求を勉強し、そのあとに入院のことを学ぶべきということです。

これには一理あります。

とっかかりとしてまず外来を浅く広く学び、そのあとで狭く深くの入院を学ぶ。

レセプトに関して外来、入院のあとさきを聞けばおそらくほとんどの人が外来→入院という順番を推奨するはずです。

それが一番スムーズに知識と経験を得られると考えられているからです。

しかし私はこれはかなりバイアスがかかっていると見ています。

一般的にそういうパターンが多いからそうなんだと決めつけているに過ぎないんじゃないかと思うのです。

確かに手術、麻酔を熟知しようとすれば外来レセプトではほぼ関われません。

ましてDPCは入院請求でしか学べない。

そうなると難易度は入院の方が格段に上という見方はきわめて妥当です。

ですが、だからといって外来レセプトの経験者が入院係に来ても同じことです。

誤解を承知で言いますが、まったく入院係の業務を知らないのであれば、医療事務自体が初めての人も外来経験はあるが入院の経験が初めての人もそれはほぼ一緒のこと、同一のスタートライン、と私は見なしています。

「いやいや医療事務という経験値が違うだろう」という意見もあるかと思いますがそれとて大差ありません。

これは以前にも書いたことなのですが、私は医療事務が経験者有利だなんてちっとも思っていません。

【転職】医療事務経験者が有利なんてウソです

むしろその経験が足かせになる可能性すらあると思っています。

経験値はあくまで自分の引き出しの1つというぐらいで思ってくれていればいいのですが、多くの人は自分の経験値をとても大事なものと思っています。

もっと言えば経験値に大きく依存してしまっている人がとても多いように見えるのです。

だからそこに固執してしまう。

つまり「以前の職場ではこうしていた」だとか「こう教わってきた」などという主張があまりにも強いのです。

そこにはいったんアンラーン(学習棄却)するという発想はありません。

そうすることは今までの自分を否定してしまうと感じてしまうので絶対できないのです。

その結果どうなるかといえば、いちじるしく吸収スピードの遅い担当者ができあがるのです。

成長するには素直さが大切ということは以前に書きました。

医療事務で素直さは最強スキルの1つです【高速で成長します】

要は新たなことを吸収するとき、古いものを捨てられるかということなのです。

これは多くの人ができません。

というかしたくないと考えます。

前述したとおり、多くの人は知識やスキルは習得するものであって手放すものとは決して考えないのです。

しかし過去の知識で今現在通用しないものなんて山ほどありますし、どんどんICT化が進んでくる今後、病院事務職に求められるスキルもそれに合わせて変化していきます。

大事なことは先を読み、これから必要なスキルを時代に合わせて身につけていくことです。

そのために必要なのはまずはそのためのマインドを持ちあわせることなのです。

他の記事も読んでもらえばわかると思いますが、結局私の結論の多くはそこに帰結します。

すなわち「成長マインドセットをいかに備え持つか」すべてはそこなのです。

できると思えばできる。

できると思えばできる【マインドセットの大切さ】

私はつねづねそう思っているのですが、多くの人の思考はそんな風にはなっていない。

はじめからできる前提で考えない人が結構多い。

とりあえず否定から入る。

そんな人がマジョリティです。

そして医療事務では特にその色が強いように思います。

話を戻します。

つまり何が言いたいのかといえば、もともとのマインドセットがマイナスの人に対してはどんは方法をとったとしても、結局マイナスの答えしか出てこないということなのです。

要は経験値の影響力なんてたかが知れているのです。

そんなものよりよっぽど大切なのがマインドセットなのです。

医療事務で経験値なんてものはホントに初期の初期でちょっと有利になるだけです。

そこを過ぎれば経験値が活きる場面なんてそんなに出てきません。

そんな経験値がなくったって、できる前提の前向きな思考さえあれば、ものごとはきちんと進むのです。

医療事務員の能力の差、もっと広く言えば仕事の力量差って知識やスキルの差にいく前にこのマインドセットの差がとても大きいのです。

補助輪

いわゆる新人と呼ばれる1年目の人においてはこのマインドセットは十分に確立されていません。

仕事の全体像を把握した上で、自分でどう組み立てどう行動していくべきかを判断するには、まだまだ時間が足りないのです。

ところで仕事には2つの種類があります。

自分でできる範囲のものと、それ以上のものです。

新人にはそこを判断するための材料が少ない。

ここにはどうしても経験の量が必要になります。

実務で問題にぶち当たり、それを乗り越えることによって得られるスキルや知見というものは確かにあります。

だったらやはり経験値が最重要なのでは、と思われるかもしれないですがそうではありません。

私が言いたいのは、経験値は1つの引き出しに過ぎないということです。

そこの引き出しを開けることは構いませんが、それに頼り切ってはいけないということです。

そして経験値すなわちストックで対応していいものは、十分に結果とその根拠が明示されているものに限ります。

それ以外のものは経験値をベースとしつつも、新たな解を見つけ出すために考え行動しなくてはいけない。

「以前からこれで申し送られてきているから」とか「前例がない」という言い方は「私は思考停止人間です」「やる気なし人間です」と言っているのと同じなのです。

ですが実際、事実上そう言っているのと同じ発言をしている人は結構います。

そしてそれらの人は経験年数はそれなりにあるので、だいたいがストック対応でこなせてしまう。

そうすると周りからはあたかも仕事ができる人かのように見えてしまうのです。

その本質はまったく真逆なのにです。

この人たちのマインドセットは確実に固定型のマインドセットです。

もしくは硬直型と言った方がいいかもしれません。

すべてが自分視点、主観的発想。自責ではなく他責。

自責思考 VS 他責思考、 仕事での正解はどっちだ?

全体最適ではなく個別最適。

【病院組織】全体最適はただの理想論です【ホントは部分最適の集合体】

つまりはメタ認知が効かない人です。

私は仕事のできる、できないは突き詰めればこのメタ認知が効くか効かないかの1点にかかっていると思っています。

【スキルは身を助ける】最強スキルはメタ認知!「仕事ができる=メタ認知力が高い」これは鉄板です!【メタ認知】医療事務員こそ俯瞰せよ!【仕事と俯瞰力】

そして新人教育においては担当する教育係のメタ認知力が高いか、低いかが新人の成長力を大きく左右するのです。

OJTの弱点の1つに教育係しだいという点があげられます。

つまり、いい教育係に当たればよかったねとなり、そうでない教育係に当たれば残念というわけです。

OJTが成功するかどうかは完全に教える人にかかっているのです。

それこそどう教えるかはもちろんのこと、どう自走させていくかが非常に大事になります。

つまり、どの段階で補助輪をはずしてしまうのかが超重要なのです。

また、はずした上でどうフォローするのかがポイントなのです。

子どもの頃、自転車の補助輪をはずされたときのことを覚えていますか?

はじめて補助輪をはずされたとき、親や兄弟の人たちはどうされていましたか?

「さあ、自分の力でなんとか進みなさい」とは言わなかったはずです。

最初は手をそえて押してくれたのではないでしょうか。

こけずに進めるようになるまでそばで見守ってくれていたのではないでしょうか。

また、はじめて補助輪をはずして練習する場所がでこぼこの砂利道だった人もあまりいないのではないかと思います。

やっぱり走りやすい、平らな道で練習させてもらったのではないでしょうか。

つまり、そういうことなんです。

こけないような状況の準備、そしてまた、たとえこけたとしてもケガしないような見守り、フォロー。

そうやって失敗しても大丈夫だよとわかってもらった上で、どんどんチャレンジさせて自走させていく。

この補助輪のはずし方が教育係の力量差が出るところです。

そして、いきなり補助輪をはずしていきなり自走させる教育係って結構な割合でいるんじゃないかと思うのです。

しかし教えている本人はそうは思っていません。

もう自転車のこぎ方は教えてあるから自走しなさいって思っているのです。

「そんな自分の新人時代はできたんかい」という突っ込みは入れさせてもらえそうにもありません。

そもそもそんな視点があれば、いきなり自走してなんてことは言わないわけです。

あなたも初めからできてたわけではないでしょう【新人ができないと嘆くその前に】

やはり欠けているのはメタ認知なのです。

教わる側に立ってものごとを考えることができるのかどうか?

その1点があるのとないのとでは雲泥の差なのです。

まとめ

私は昔、初めて入院係となったとき、前任者が急遽辞めるとのことで1日だけの引き継ぎであとはすべてやって、と丸投げされた経験があります。

さすがにこれはむちゃくちゃ過ぎますし、今こんなことはまかり通りません。

はっきり言って1日の引き継ぎなんてあってないようなもの。

引き継ぎゼロ、知識ゼロ、経験ゼロみたいな感じで入院係をスタートさせました。

今思えば一体どうやっていたんだろうっていう部分もあるのですが、ある意味これはこれで貴重な経験でした。

自転車を乗ったことのない幼稚園児がいきなり補助輪もなしで砂利道を走るみたいな感じです。

先に言っておきますが真似はしないでください。

おすすめできません。

ですが自走力は人より早く身につきました。

結局補助輪はいつかはずさないといけない。

それが早く来るか、遅く来るかということです。

そして、私の例は極端ですが、早めに外すことで自走力が早くに身につくということはあります。

しかしそれは上手くいった場合であって、上手くいかないときはメンタルにダメージを受けて最悪の場合退職というパターンも十分あり得ます。

だからといっていつまでも補助輪をはずせないでいると、なかなか自走力を上げていきづらい状態になります。

手厚いフォローは定着率を上げ、学習効率を上げる効果はあるかもしれませんが反面自走力はなかなか身につかないのです。

結局どちらも極端は良くないわけで要はバランスの問題です。

そしてそのバランスは人によってさまざまです。

教わる側のキャラ、理解力、メンタル強度などそれらすべてを勘案した上で、ちょうどいい落としどころをどこに定めるのか。

それを探るのが肝であり、かつ1番難しい部分でもあります。

そして教育係はその1番難しい部分を常に模索していかなければならない。

それを怠ることは教育係を放棄していることと同義です。

どう教えるかはとても大事なことですが、どう教えないかも同じくらい大事なのです。

教えて覚えてもらうのではなくて、自分で調べて考えて行動して覚えてもらうということ。

いかに丸投げする部分としっかりフォローする部分を区分けするか。

どのタイミングで補助輪をはずし、どのタイミングで添えている手すらなくしてしまうか。

ここはすごく重要なところなのです。

でも多くの人がそのタイミングを主観でいとも簡単に決めている。

必要なのは主観ではなく客観です。

もっと言えば教わる側の視点です。

そこなくして優秀な教育係、メンターにはなり得ないのです。

「補助輪がはずれる2年目問題」の本当の問題点は、教わる側ではなくて教える側にあるのです。

それすら気づかない教育係の多いこと。

そんな教育係に当たった新人はたまったもんじゃないのです。

もし仮に今自分が新人だとして、ついた教育係がメタ認知ゼロの人だったらイヤでしょう。

ああ、ハズレ引いちゃったって思うでしょ。

まさに今のあなたがそう思われているかもしれないのです。

人を教えるっていうのはホントに大変なことなのです。

そして教えているつもりで実は自分が一番学ぶことが多いということに一刻も早く気づくべきなのです。

ごまお

教え方は誰も教わっていない。だからこそ個人の力量差が顕著に出てしまう。教育係こそ常に学ぶ姿勢が必要やねん!

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