以前に正論で論破してはいけないという記事を書きました。

しかし依然として論破してくる人はいます。
今回は論破してくる人は仕事ができない、無能ですということを述べていきます。
ごまお
目次
【確定】論破する人は仕事ができない【無能の人】
結論
論破は死んでもしてはいけない。
無能とは
まず無能という表現はその意味あいがとても広いです。
何をもって仕事のできない無能な人とするのかは人それぞれの見方があります。
あの人は無能と言っている本人が他人からは無能と思われていることもあります。
そもそも100%無能な人なんて存在しませんが。
人は必ず得意な分野、不得意な分野、できる分野、できない分野があります。
ですので任された分野が不得意でできない分野であれば、どうしても無能判定を受けやすくはなるのです。
しかし、そこの担当ではなくて他の違う分野の担当を任せればできる人へと変わる可能性もあるわけで、そういう意味では適材適所に配置できていない上司が無能ということもあります。
だから有能、無能の判定なんてかなり適当なわけです。
そこには明確な判定基準なんてありません。
ですがこういう人は間違いなく無能だろうっていえる場合があります。
それこそが論破してくる人です。
論破してくる人
テレビで論破する人というのはいますが、あれはあくまで番組の演出です。
視聴者にわかりやすく、楽しめるようにするためにそういう手段を使っているわけです。
ですが現実社会においても同じように論破してくる人というのが存在します。
普通に考えればだいぶクレイジーなんですが、言ってる当人にはまったくその自覚はないようです。
というかむしろ正論の何が悪い?と思っているふしがかなり強く、自分が100%正しいと思っているのでタチが悪いです。
以前の記事でも書いたのですが、まず100%の正しさなんてありません。
だから相手を全否定することなんて不可能なんです。
自分にも相手にも欠けているところはある、そういうスタンスでないと人と対等なコミュニケーションなんてとれません。
ですがそのような人はそもそも対等なコミュニケーションをとろうとはしていまさせん。
最初から完全にマウントをとってこようとしてきます。
私も過去に何人もそのような人たちと出会ってきました。
そしてわかりました。
マウントをとってこようとしてくる人は間違いなく仕事ができない。
逆な言い方をすれば、仕事ができないからこそマウントをとってくるということです。
その人たちは理論武装をして言うことだけは満タンにしていますが、アタマとマインドの中身はカスカスです。
そういう人は自分では行動せず、高みの見物で人を否定しまくることで自分を優位に見せようとしているだけです。
自分が仕事のできない人間であることがバレないように論破という方法を用いているのです。
ですがその時点ですでに仕事ができないことはバレバレなのですが。
なぜなら本当に仕事ができる人ならば論破なんて絶対しないからです。
論破することにメリットがひとつもないことを彼らはわかっているのです。
対して論破してくる人はそんなことには関心がないのです。
関心があるのは自分の保身だけです。
自分を守ることだけに己の能力のすべてを使い果たす。
そんな人が仕事のできる人であるわけがないのです。
論破という発想を持っている段階でもう仕事の能力は怪しい人なのです。
マウントとる人弱い人
弱みと弱さは別物です。
弱みは誰にだってあります。
それに真摯に向き合って対処していける人が本当に強い人です。
自分と向き合える人が強い人なのです。
反対に自分の弱みと向き合わない人、向き合えない人が弱い人です。
それでいくとマウントをとってくる人は完全に弱い人なのです。
弱いからこそその弱さを隠すためにマウントをとることに必死なのです。
これは他者批判する人、院内評論家の人も同じです。

自分は安全地帯にいてすべてを見下し全否定する。
それはある意味かわいそうな人ではあります。
なぜならもうその人は自分の可能性は捨てているから。
自分に期待できない人だから。
自分の行動ですべては変えられると信じている人は決して他人を批判しません。
だって自分に十分期待しているから。
他者批判する人は自分の無力感をまぎらわすために他人を見下しているだけなのです。
そうやって心の安定をはかっているのです。
だからかわいそうな人なのです。
論破する人、他者批判する人、そんな人はみんな弱い人なのです。
まとめ
正論であろうとなかろうと論破することはやめておきましょう。
そこには何のメリットもありません。
そしてそれをすることであなた自身が無能判定される結果になります。
おまけに論破することによってその相手からのあなたへの信頼感は落ちる一方です。
社会人であるならば、論破する、マウントをとるという発想は今後一切捨てましょう。
それはあなたの成長をはばむ足かせにしかなりません。
周りがあってこその自分です。
その視点でいくならば、行うべきことは相手への敬意、感謝なのです。
それと真逆の行動をとっていながら、周りからの信頼を得たいだなんてとてもおかしな行動なんだということに早く気づきましょう。
論破は死んでもしてはいけないのです。
ごまお