普段私たちは何気なくコミュニケーションをとっていますが、実は全然コミュニケーションがとれていないんじゃないか?そんな風に思うことがあります。
簡単にいえば会話のキャッチボールができていないんじゃないかってことです。
また他人からの指摘を的確に受け取る能力も意思も持ち合わせていないんじゃないかってことです。
今回は気がつけば周りって自分の都合のいいように解釈する人だらけじゃねっていう話です。
目次
あなたの周りは大丈夫?気がつけば自分の都合のいいように解釈する人だらけ!?
結論
自分としっかり向き合いましょう。
耳の痛い話は聞かない
人が成長するためには他人からのフィードバックを受けた上で、それを正しく消化、学習する必要があります。
ですが自戒を込めて言いますが、これがきちんとできている人は多くはないです。
フィードバックと言えば聞こえはいいですが、結局のところ自分にとって耳の痛い指摘ということです。
自分では認めたくはないが、明らかな客観的事実の突きつけです。
これを真摯に受け止めて自分の糧とし学習できる人は本当に優秀な人です。
ですが私を含め大部分の人はその内容を初期段階ですべて消化することはできません。
というか消化できないことの方が多いはずです。
そしてそれはもはや消化ではなく拒絶なのかもしれません。
それほど自分にとって耳の痛い話を受け入れることって人は苦手なのです。
でもそれは当然のことでもあります。
誰も好きこのんで楽しくない話を聞きたくはないわけです。
耳の痛い話こそ自分のためになるのだから、耳の穴をかっぽじって聞けと言われてもそんなのムリなのです。
それが人間の本能だからです。
ですが社会人たるものそうも言ってられません。
すべての指摘が正しいわけではありませんが、一旦は自分ごととして受け入れた上で取捨選択をする必要があります。
ですのでとりあえず指摘は受け入れるべきなのです。
それを拾い上げるか捨てるかはそのあとの話です。
しかし実際は、一旦受け入れるという段階ですでに相手の主旨とズレている人がかなり多いなと感じます。
要するに自分なりの解釈をする人が多数ってことです。
これはいつも述べているメタ認知に関わるところです。
この能力が低い人は客観的視点なんてものは皆無なわけで、主観のみでものごとをとらえ、自分なりの解釈によって腹落ちしています。
ですからフィードバックを活かすことなどムリなのです。
たとえば上司から「あなたは周りへの当たりがきついから気をつけるように」と言われても、自分の都合のいいように解釈すれば「他の人がなあなあで済ましているからこそ、自分が厳しく見えるんだな。良い傾向なんじゃないか」と逆の意味で受け取ってしまう可能性だってあるわけです。
そこを真摯に受け止める人とそうでない人ではそのあとの結果は正反対になってしまうのです。
どこまで耳の痛い話を真剣に聞けるか、そこで道は大きく分かれるのです。
相手が悪い
耳の痛い話はテキトーに流して聞いているという人がもっと悪化すると自分は悪くないという考えに偏っていきます。
そしてそもそも相手の解釈が間違っている、相手が悪いという見方に固定されていきます。
要するに何を言われても、あなたのその見方がおかしいんじゃないという考えとなり、このフィードバックは必要ないと判断してしまいます。
要するに他責思考です。


自分の非は一切認めない状態。
もはやフィードバックという概念はそこにはありません。
何を言ってもムダ、何の言葉も刺さらない状態。
これは究極の末期状態とおもいきや、意外にそんな人は多いのです。
そして意外にといったとおりそのような人は表面的にはあまりわからないのです。
なぜなら表面的には聞いている風だからです。
反省している風だからです。
だから外からはわからない。
ですが実際は右から入って左に抜けています。
まったく聞いておらず、まったく刺さっていない人。
そんな人って結構いるのです。
そんな自分ごととしてとらえない人と話したところで、コミュニケーションがとれているはずがないのです。
会話のキャッチボールじゃなくて、一人遠投みたいな状態なのです。
もはや会話してねえ
私たちは日頃何気なく周りと会話していますが、果たしてその何割がしっかりキャッチボールできているのでしょうか?
自分の言いたいことがきちんと相手に伝わっているという確信はつねにありますか?
相手が自分の都合のいいように解釈しているなって思ったことはありませんか?
そうです、よくよく観察してみると多くの人の会話はあまりかみ合っていないということに気づきます。
お互いの認識がズレているなんてことはしょっちゅうあります。
みんなやたらと主観で話すのです。
「私はこう思っている」
「私はこう感じている」
「私はこう解釈した」
すべて「私は」なのです。
そこには相手をおもんばかる姿勢というのは1ミリもありません。
すべて主観の世界。
だれも俯瞰してません。
そしてそんな世界ではもはや誰も会話していないのです。
結局自分の都合のいいように解釈する人というのは、現実と向き合えない人なのです。
自分と向き合わない人なのです。
すべての言動が自己正当化へと繋がっています。
要は自分を守ることに必死なのです。
そんな人に俯瞰しろといってもそりゃムリな話なのです。
誰も俯瞰しないから、誰も会話していない。
これは起こるべくして起こる必然なのです。
まとめ
これは何度もいっていることですが「自分自身としっかり向き合おう」これにつきるのです。
私たちが正しい方向に成長するためには他者からのフィードバックは必要不可欠です。
それがないとひとりよがりのできない人になってしまいます。
であるならば、せっかくもらったフィードバックは最大限に活かさないと自身の成長なんてないのです。
そしてそのフィードバックを活かすには、自分の都合のいい解釈という行動は捨てなければいけません。
要は自責思考に寄っていくということです。
ですがそうはいっても人間そう簡単に変われるならば苦労はないわけで、今さら他責の人が自責に変化できることなんてまあないです。
自分の都合のいいように解釈する人が今日から真摯に自分と向き合うなんてこともまあムリです。
だから結論としては悲しいことですが、自分の都合のいいように解釈する人だらけという状況は変わらないということです。
でもそれが前提でわかっているのであれば、それ相応の対応の仕方というのも見つかるはずです。
はっきり断定で伝える、強めに伝える、何度か繰り返すなどやりようはいくらでもあります。
周りが自分の都合のいいように解釈するなら、自分もそうするとしてしまえば、その環境はカオスと化し収集がつかなくなります。
そうではなくて、そういう周りだからこそ自分の立ち振る舞いを気をつけようというマインドがあるだけでも、状況は違ってきます。
きちんと周りと会話のキャッチボールができる職場でありたいですね。