以前に承認欲求は善か悪かという記事を書きました。

そこでの結論は「自分の中での絶対的な評価軸を持った上で、他者評価なんて一切気にするな」というものでした。
でもこれは言うことは簡単でも実行するのはかなり難しいことであるのは確かです。
今回はこの承認欲求をもう少し掘り下げて考えていきます。
目次
【これが現実】承認欲求は捨てられない!
結論
目指すべきはほどほどの承認欲求です。
承認欲求は本能
ひとつ間違いない事実があります。
それは承認欲求は人間に刷り込まれている生まれ持った本能だということです。
大昔人間というのは群れで行動していました。
その群れから嫌われはじき出されると食べていけなかったり、安全が確保できなかったりする可能性がありました。
つまり他人に嫌われることが即命の危機となる状況でした。
それが刷り込まれ、今も人間の本能として作動しています。
そして人間というのは基本的に嫌われることをすごく恐れる生き物となっているのです。
その結果他人の顔色を気にし、他人に良く思われるにはどうしたらいいのかばかり考えています。
そして「自分の頑張りを上司に認めてもらいたい」とか「すごい人だと思われたい」といった欲求ばかりが増していきます。
でもこれは悪いことではないのです。
というか本能だからなくせません。
いくらアドラーが承認欲求はゴミと言っても「人間なんだから承認欲求は持っちゃうんだよー」ってなるのです。
私も承認欲求はゴミだとは思いますが、かといって自分も含めて承認欲求がある人はダメとは結論づけしません。
それはあって当然、ごく普通のことなんだということはきちんと認識しておく必要があります。
承認欲求の強弱
でもあまりに強い承認欲求は自分を苦しめるだけです。
結論を先にいっておくと、承認欲求はほどほどあるぐらいが一番良いバランスです。
まったくないのが一番良いと思いきや、承認欲求がまったくない人だとモチベーションが上がらないという場合があります。
承認欲求があるからこそ認められたくて頑張る、テンションを上げていけるということもあります。
ですのでまったくないよりかは、ほどほどある方がいいんじゃないかとも思うのです。
ですが私見ですが、ほどほどで収まっている人というのはすごく少ないです。
承認欲求が結構ある人、そしてかなりある人というのは割合としてはほとんどじゃないかと思うのです。
これは先ほども述べた人間の本能であるということに加えて、職場という状況がそうさせています。
職場はひとつの群れです。
もし他のコミュニティにも属していてそこで満足感を得られているのであれば、職場で承認されなくてもそんなに危機感はありません。
ですがもし仮に他に依存できる先がなく職場オンリーの人であるならば、承認されるかされないかは死活問題となるわけです。
実際のところは職場で嫌われたところで、上司から承認されなかったところで命の危機なんてありません。
仮にその職場を追われたとしてものたれ死ぬなんてことはこの日本ではあり得ません。
だから職場でそんなに承認される必要もない。
それは正論なのですが、私たちのアタマはどうやらそうは考えないようです。
いかに人に嫌われないか、周りとうまくやっていくかということばかりに私たちは自分のリソースを割いています。
それはある意味正解であり、ある意味間違いです。
人に好かれるというのは立派なスキルです。
そしてそれは円滑に業務を行うためにはとても大事なスキルです。
「承認欲求なんて無意味。周りなんか気にせず自分の思うように仕事をするぜ」という人がもしいれば、私はそんな人と一緒に働きたくないです。
「自分の中での絶対的な評価軸」というのは唯我独尊とはイコールではないのです。
特に私たちの仕事はいかに周りとスムーズなコミュニケーションを行えるかが仕事の生命線です。
唯我独尊で完了できる仕事なんてひとつもありません。
周りといかに協調できるか、そのコミュ力の高低は医療事務においては非常に重要なスキルです。
しかしその協調は他人に合わせる、他人の顔色をうかがうこととはまったく違うことです。
そこを一緒として考えている人がかなり多い気がします。
「仕事で認められたい」「上司に評価してほしい」そう思うことは自然なことです。
ですがその評価を得るために自分の軸をずらすことは絶対してはいけないのです。
それでは自分のレールの上を進んでいない。
他人のレールの上を進んでいます。
そしてそのことに本人は気づきません。
すべて自分の意志で行っていることだから。
でもそれは「嫌われたくない」という思いから生まれてきている作られた意志です。
そこを「嫌われてもいい」と思えるかどうか。
そこがポイントです。
医療事務で病んでしまう人はここが絶対ムリなのです。
逆に言えば「嫌われたくない」と思うからこそ病んじゃうのです。
そういう意味ではその人の承認欲求はかなり強いのです。
承認されたいという思いだけが肥大化して、無理して頑張ってしまい、どこかの時点で壊れてしまうのです。
そうではなくて「嫌われてもいい」と割り切るべきなのです。
そして、自分がどうふるまおうと嫌う人は一定数必ずいることを認識しておくべきです。
だからどう頑張ろうが無意味。
強い承認欲求はそれが満たされないときの自身にかかるストレスも余計に強くかかるのですから、持つだけ不幸なのです。
やはり目指すべきはほどほどの承認欲求なのです。
まとめ
強すぎる承認欲求は持つだけ不幸。
でも承認欲求が高まる年代っていうのも確かにあります。
20代、30代は必然的に承認欲求が高まる年代です。
自分で振り返ってみてもそれはそうだったなって思います。
でもそれは悪いことでもありません。
本文で述べたとおりそれがモチベーションに繋がっている場合って多いです。
そして仕事に燃えるその年代であれば少々承認欲求が強い方がうまくいくのかもしれません。
ハングリー精神で頑張れることがあるように、承認欲求不足で頑張れることもあるはずです。
でもそれはちょうどいいあんばいでないといけません。
繰り返しますが強すぎる承認欲求は不幸になるだけです。
持つべきはほどほどの承認欲求です。