今回は自戒を込めて書いていきます。
それは何に対してかというと「頑張れ」という言葉をかける行為にです。
僕たちは普段「頑張れ」という言葉を何気なく使っていますが、それって相手と真摯に向き合っていないのではないかと思うのです。
今回は本当の育成ってどういうことなのかというところを考えていきます。
目次
「頑張れ」を連発する上司になってはいけない!
結論
上司はただ励ますのではなくて、新たな気づきを与えたり具体的な助言をかけてあげないといけません。
ボキャブラリー
仕事や人生のある局面においては「頑張れ」と励ましたり、鼓舞することが有効な時って確かにあります。
僕はあまり根性論は好きではありませんが、根性論でものごとを推し進めないといけない場合も実際にはあります。
ですがそれは全体のほんの一部分であり、また一部分にとどめておくべきことです。
しかし現実はあまりにも「頑張れ」が多用されています。
そしてそれは根性論では到底達成できないことに対してでも「頑張れ」という言葉だけで済まされています。
結局僕たちは頑張れという言葉にあまりにも多くの意味を詰め込み、自分の都合のいいように使っているのです。
たとえば、返戻レセプトがかなり多く返ってきたとして、ただでさえ業務がパンパンの部下に対して上司がかける言葉が「頑張れ」だったりします。
そしてそれを受けて部下が返す言葉も「頑張ります」だけだったりします。
そういうことって普段ありがちな光景ですが、そこには何のプラス要素も意味づけもありません。
そこに欠けていることは、何を、どのように、行うべきかという具体性です。
その部分を両者共わかっていません。
「頑張ります」と答える方はまだいいのです。
問題は「頑張れ」と声掛けする上司側です。
これは言われる側に回るとよくわかるのですが、「何を頑張ればいいの?」「どう頑張ればいいの?」って思ってしまうのです。
ですがそんなことは上司にわざわざ聞き返さない。
そしてただただ「頑張ります」と返事するだけに終わるのです。
こんな会話に何か意味はあるのでしょうか?
そしてここで僕たちは気づかないといけないのです。
「頑張れ」以外の言葉を僕たちは知らなさすぎるということを。
部下を育てるために用いるボキャブラリーの数が圧倒的に少ないということを。
本来、人の育成とはその人の成長や能力の伸びしろを評価し、あるべき姿に向かわせることをいいます。
それは手取り足取り教えてあげることでもなければ、気合いで乗り切れとハッパをかけることでもありません。
なぜこうなったのか?
何をすればいいのか?
今後の教訓と活かせるのはどこか?
そんな問いを僕たちは投げかける必要があります。
要するに部下に成長してもらいたいのであれば、部下自身に考えぬいてもらう機会を与えなければいけないということです。
そこが「頑張れ」だけじゃ何の気づきも持ってもらえないということです。
具体的な助言
「日本のメッシの育て方」上野山信行(著)という本があります。
この中で著者はよいサッカー選手とは「自分の頭で考え抜くことができる選手」であるとしています。
そして、そうなるには第三者からの問いかけや具体的な助言が必要であると述べています。
たとえば、シュートの指導をするときは「いいぞ、頑張れ」と言うのではなく
「さっきのは右を狙えてたからいい。でもあと30センチ左から踏み込んでゴールのさらにギリギリ右を狙うとすれば、どうする?」
と助言するのだそうです。
これこそが具体的な助言です。
これを先ほどの返戻レセプトの場合に当てはめてみます。
「今回の返戻が今回限りの単発ものならそれでもいい。でももし次月以降も同じ内容で返戻されてくるとすれば、今すべきことは何?」
こんな感じでしょうか。
大事なことは部下自身に考え抜いてもらうことです。
返戻とは病院収入と直結する重要な部分です。
ただ訂正して再請求という処理を毎月繰り返しているのならば、それは何の根本解決にもなっていません。
かといって逐一細かな指示を出してしまえば部下が成長する余地はない。
そこには具体的な助言が必要なのです。
まとめ
「頑張れ」というのではなくて具体的な助言が必要。
それが部下の育成に効果的なことは確かです。
ただその具体的な助言がなかなかに難しい。
なぜならそうするためには普段からその人のことをしっかり見ておく必要があるからです。
でないと具体的なことが言えない。
逆に言えば「頑張れ」ばかりの上司は普段から部下のことはよく見ていないということです。
「頑張れ」ばかりの上司にならないように気をつけます。