先日こんなニュースが飛び込んできました。
奈良・宇陀市職員が2月に自殺 市が調査、負担集中や厳しい叱責
奈良県宇陀市は21日、記者会見し、同市立病院事務局にいた男性職員=当時(59)=が2月に自殺していたと明らかにし、「業務の負担集中や上司からハラスメントと思われる厳しい叱責があった」とする市の内部調査結果の概要を公表した。
今後、市は弁護士などから成る有識者会議を設置、改めて検証する。
男性職員は市立病院のシステムで起こったウイルス感染への事後対応を担当。
内部調査は「期限内に対応するよう上司などから指示され多大な神経を使っていた」などと指摘。
男性は周囲の職員に「八方ふさがりだ」と話していたという。
今回はこの件について思うところを書いていきます。
目次
自殺はダメって100%言い切れますか?【病院情報システム管理室長自殺報道に思う】
結論
僕は言い切れません。
情報システム管理室長の自殺
この自殺した職員の所属していた病院は、電子カルテシステムがコンピューターウイルスに感染したとして2018年10月に全国的に報道された病院です。
その経緯やその後の対応などは僕も詳しく知りませんのでここでは置いておきます。
ただ今回この記事を見て思うところが2つあったので記事にすることにしました。
その2つとは
・当事者としての自殺の是非
・他者が論じる自殺否定の是非
です。
今回はこの2点に絞って話します。
当事者としての自殺の是非
内部調査では病院で起きたコンピューターウイルス感染の対応による過度な業務、上司からのパワハラ(叱責・指導)などが自殺の原因である、としています。
約2年前のこの事件は病院情報システムの脆弱性に警鐘を鳴らし、良き教訓とするべく現在に語り継がれています。
それこそシステム管理の研修では絶好の事例として扱われます。
たしかに絶対に起こってはいけないこと、避けるべき事例であり、システム管理者にとっては人ごとでは済まされない一件です。
ですがそうはいっても結局人ごとです。
自院でなくて良かったというのがホンネです。
そして多くの人はそこから教訓を得て、自院へのフィードバックを考えます。
だから本当の意味では当事者の気持ちを理解することはできません。
当時どんなに現場が大変だったかなんてことは想像はできても、理解はできません。
そりゃそうです、当事者でしか経験し得ないもの、わからないことなどは山ほどあります。
だから外野から見ている状況と現場で体感する温度差は想像を超えているはずです。
そしてその病院に勤める人にかかるストレスも想像を絶するものだったはずです。
ましてそのシステム管理の担当者であったその職員の方が感じていたストレスはもはや誰もが想像しえないものです。
もう本当に本人にしかわからないものだったはずです。
ここからは僕の憶測が入ります。
この担当者にとって不幸だった事実が1つあります。
それはその病院が公立病院だったということです。
ということは完全なることなかれ主義だということです。
そして、決して自分には火の粉がかかってこないようにする徹底した他責思考集団だということです。
結局上司は誰もそんな責任を負いたくないのです。
そして負おうとうもしません。
数年すればまた異動するわけです。
今だけをやり過ごせばそれでいい。
責任は担当者に全振りしとけばいい。
そう考える人がほとんどです。
これはその病院の上司の人を責めているわけではありません。
公務員とはそういうものです。
ここまでを前提に話していきます。
思うにこの管理者の方はすごくマジメな人です。
そして責任感も非常に強い人だったのでしょう。
だから上司からのストレス、周りからのストレスに耐えきれなくなったのでしょう。
内部調査は「期限内に対応するよう上司などから指示され多大な神経を使っていた」などと指摘。
男性は周囲の職員に「八方ふさがりだ」と話していたという。
こう記事に書かれています。
僕はこれを読んだときすぐにこう思いました。
「辞めたら済む話じゃね」
なぜ八方ふさがりだと思うのか。
それは組織全体の責任であり、自分で背負いきれるレベルのものではない。
それを自分に全振りしてくるようなところなら逃げちゃえばいいのに。
これは外野から見ているからこんな感想なのか。
いいえ、僕がその当事者だったら間違いなく逃げてます。
八方ふさがりという発想が出てこない。
だからやっぱりマジメな人だったんだなって思います。
そのマジメさが悪い方へ出ちゃったのでしょう。
最近芸能人の方の一件もあって自殺の是非というのがまた取り沙汰されていますが、僕の意見を述べておきます。
まず自殺する意味が僕にはわからない。
周りのことを一切考えていない自己中心的な傲慢な人にしか見えない。
そもそもなぜ自殺なのか?
今回のシステム管理者の方もそうですが、イヤで耐えきれないのであればなぜそこから逃げないのか?
仕事だから、養う家族がいるから。
それなら余計に自殺の方向は避けるべきでしょう。
転職するとか、副業してみるとか、試すべきことはいくらでもあります。
なぜその職場でのみ頑張ろうとするのか、それが僕にはわかりません。
100歩譲って転職も副業も失敗しましたとしましょう。
それでもまだ生活保護があります。
もう現代の日本において餓死するだとか、食いっぱぐれるなんてことはほとんどありません。
贅沢さえしなければ必要最低限の生活は保障されているのです。
だから経済的な理由で自殺するのは理由にならないのです。
だったら自殺する理由ってもう1つしかありません。
あなたの気持ちしだい、ものごとのとらえ方しだいってことです。
それならマインドセットだけの問題です。
やっぱりマインドセットが大切なのです。

他者が論じる自殺否定の是非
ここまで書いてきたように僕は自殺する人の気持ちは理解できません。
でもだからといって「自殺は絶対ダメです」と強く言い切ることはしません。
これは自殺を許容しているということではありませんので誤解しないでください。
そりゃあ自殺はしてはいけませんって表向きは言います。
でも本当に仲良くしている友人から自殺したいって相談されたら、絶対するなとは言えないってことです。
口では言えます、「絶対しちゃいけない」って。
しかし、なら自殺を踏みとどまらせた後、その人の人生を自分は背負えるのかってことなんです。
自殺したいっていう人の精神状態はホントに異常です。
そもそもその思考状態が普通ではありません。
そんな社会生活もまともにできないような人に生きることだけを勧めておいて、あとは知らんっていう無責任なことは僕にはできないってことです。
そしてほとんどの人がそんなことはできないのだから、正義感だけを振りかざして「自殺は絶対ダメ!」って言うのはちょっと違うと思うのです。
それは刹那的に「いいこと言った私」っていう感覚を得ているだけの偽善行為だと思うのです。
だったら「じゃあ止めないから自殺してもいいんじゃね」ということなのかと言えばそうではないのです。
ただ、正義感だけを振りかざして無責任なことは言わないほうがいいのではないかってことです。
だからもし僕が友人からそんな相談をされたなら全力で自殺をしない方向で話はしますが「あなたの人生のたとえ一部分でも僕が担うということは決してできないから、最後はあなたが決めないといけない」ってはっきり言います。
冷たいようですがそれで死んじゃう人はどうやったって死にます。
まとめ
医療従事者、医療関係者の自殺ってあとを絶ちません。
そして未来ある若者の自殺もまたしかり。
自殺は最後の手段ではないです。
それは手段ではない。
人生においてそんな選択肢はない。
つらければ逃げてください。
それだけであなたも周りも救われる。
仕事が一番大事だなんて人生は寂しすぎます。
あなたを必要とする場所はきっとあります。
ただそれは職場じゃないかもしれないってだけです。
もっと俯瞰してみましょう。
目の前だけが人生じゃない!