以前に医療事務に協調性なんていらないという記事を書きました。

今回も同様の内容にはなりますが、仕事において協調性なんて重要視するなということを話していきます。
目次
協調性なんて大事にしなくてもいい【この世は同調圧力だらけ】
結論
あなたが大事にしているものは協調性なんかじゃなくて、同調圧力です。
刷り込まれた「協調性」
そもそも日本は協調性が目的化してしまった国です。
つまり「何かを成し遂げるために1つにまとまろう」という思考ではなくて「とりあえず1つにまとまっていなくてはいけない」という意味不明な連帯責任感だけが組織には強く存在しています。
要はチームワーク最優先主義です。
そしてそれは学校教育の段階から「協調性は大事」「チームワークは大事」という教えを強烈に刷り込むことによって、僕たちは協調性がとても大事なものだと思っているわけです。
だからこそチームの輪を乱す人、空気を読まない人がいると「協調性がない」と言って切り捨て非難するのです。
ですがハッキリ言ってその刷り込まれた協調性は本来意味する協調性ではないのです。
僕たちが日頃指している「協調性」のほとんどが協調性ではないのです。
それは「同調圧力」なのです。
同調圧力が正義
僕たちは多くの場合、同調圧力を協調性と取り違えています。2つの例を挙げます。
1.エスカレーター片側開ける問題
そもそもエスカレーターって歩いて登ることはマナー違反です。
ですので2人並んで乗ることこそが正しいマナーなのです。
でもほとんどの人はそんなことを知らないか、もしくは知っていても決して2人並んで乗ろうとはしません。
もし空いている側に乗ろうものなら、「おい歩けよ」とか「邪魔なんだよ」って言われなくても間違いなくそう思われます。
そしてそれが怖いし、不愉快な気持ちになるから、なかなか空いている側に乗るという気持ちは出てきません。
その結果エスカレーターでは片側を開ける人が協調性がある人と思われがちなのですが、これは完全に同調圧力です。
そこには「片側は空けておかないといけない」という同調圧力が形成されているのです。
2.残業問題
これは社会人ならば誰もが一度は経験していると思います。
要は自分はもう帰れるのだが、周りにはまったく帰る気配がない、そして帰りづらい、帰れない、というやつです。
ここで帰ることで協調性のない人というレッテルを貼られる場合がありますが、これも完全に同調圧力です。
周りに関係なく自分が終われば、さっさと帰る人をときとして周りは「協調性がない」「空気が読めない」「チームの輪を重んじない」と非難しますが、それは単なる同調圧力なのです。
協調性とはまったく違うものです。
この2つの例でもわかるとおり、僕たちは「協調性」と「同調圧力」の区別がついていないのです。
そして普段僕たちが思っている協調性ってそのほとんどが同調圧力のことだと思うのです。
だから、協調性なんて大事にしなくてもいいという今日の主張なのです。
みんなが大事に守っているものって単なる同調圧力なのです。
協調性と同調圧力
協調性とは
異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質
です。
ですので本来の協調性とはお互いの意見を出し合って、それをすり合わせ妥協点を模索していく行為であって、黙って周りと合わせることとは全然違うのです。
でも黙って周りと合わせている人の方が協調性が高いと見なされる風潮です。
しかしそれは完全に反対なのです。
黙って周りと合わせている人は、意見をすり合わせて妥協点を探ろうなんて気はさらさらないのです。
「そんな目立ったことはしたくない」
「どうせ自分を出したら叩かれる」
「多少のことに目をつむれば、同調していた方がラク」
そんな妥協が協調性とイコールなわけがないのです。
僕たちは普段から同調圧力に支配されまくっているということをもっと認識しておくべきなのです。
そうでないと同調圧力による行動をすべて協調性からくる行動と見なしてしまいかねないのです。
まとめ
仕事で協調性なんて重視する必要はない。
その真意はそれは協調性なんかじゃなくて同調圧力だから、ということです。
黙って周りに合わせることが協調性なんだとしたら、そんな協調性はいらないです。
なので多数派じゃないから協調性がないと切り捨てるのは間違いです。
むしろ多数派の方が深く考えていないことの方が多いので協調性とは正反対の可能性があります。
だから極論すれば、人生に協調性なんていらないのです。
そんな周りの意見などに振り回されない自分の強い軸を持つことが大切です。
そこがないと本当の協調なんて生まれないです。
周りに合わせることは苦じゃない、同調圧力に屈することも気にならないという人に対してそれは違うと言う気はありません。
ただ自分を殺して社会になじんでも最後きつくなってくるのは自分です。
自分の言いたいことははっきり言う。
相手の意見もしっかり聞く。
それを踏まえてお互いの妥協点を探っていく行為こそが協調性の本当の意味です。
職場でマイノリティになることを恐れないでください。
マジョリティが正義なんてウソっぱちです。
取り違えてほしくないのが、社会生活で協調性なんて一切いらねえと言っているわけではありません。
もちろん協調性は必要です。
でもそれは必要最低限でいいのです。
過剰な協調性への意識は知らぬまに同調圧力に支配されることになります。
自分らしく生きましょう。
自分らしく仕事しましょう。
必要以上に周りを気にすることには何の意味もありません。
60代の女性です。協調性って何だろうとぐぐっていてijikanoさんのにヒットしました。
本来の協調性とはお互いの意見を出し合って、それをすり合わせ妥協点を模索していく行為だという意見に賛成します。自分の言いたいことははっきり言う。相手の意見もしっかり聞く。良いですね。
日本の職場には同調圧力はあっても本当の意味の協調性がないですね。多くの労働者は中小企業で雇用され、経営者は同族で支配されているから本来の協調性は望んでいないのではないでしょうか。上司は、経営者に気にいられるように振る舞い、下は絶対服従の姿勢が自分を守ることだと感じているのでは。
怖いですね。間違った考えであっても、立場が上の人の意見に従う社会は。
コメントありがとうございます!
お互いの意見を出し合って、それをすり合わせ妥協点を模索していく、というのは正論ですが実際は行動には移しづらいんですよね。
上司にそんな行動をとれば間違いなく嫌われます。
上司に好かれる一番の方法はイエスマンになること。
同調圧力に飲み込まれた方が出世するんですよね。
それを否定するつもりはありません。
ですが自分を曲げるそのひずみは確実に自分のダメージとして残る。
そのストレスとどこで折り合いをつけるのか?
要は、どこまで折れて、どこまで主張するのか
そのバランスが大切なのでしょう。
でも現実はほぼ主張なんてできません。
なぜなら上司が部下の意見を聞いて妥協し、すり合わせるなんてことはしないから。
そういう意味では上司の責任は重いですね。