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【残念】あなたも限界まで昇進を重ね、最後には無能になる!?【ピーターの法則】

以前に「組織って無能の集まりなの?」という記事を書きました。

【有能な人はいなくなる?】組織って無能の集まりなの?【ピーターの法則】

今回はそこで取り上げたピーターの法則について考察します。

【残念】あなたも限界まで昇進を重ね、最後には無能になる!?【ピーターの法則】

結論

結局は価値観をどこに置くかという問題です。

ピーターの法則

今回はこちらの書籍を参考にしました。

以前の記事で解説していますが今一度ピーターの法則って何?ていうところを説明しておきます。

端的にいうと

・階層社会では、すべての人は個人の能力の限界まで昇進を重ね、最後には無能になる

 

・やがてあらゆるポストは無能者によって占められる

という法則がピーターの法則です。

たとえば平医事課員・主任・係長という階層に分かれているとします。

この場合、無能な平医事課員はいつまでたっても平医事課員のままで階層が固定され、有能な平医事課員は主任に昇進します。

その結果平医事課員の階層には無能な平医事課員ばかりが残ることになり、いずれは平医事課員の中に有能な平医事課員は1人もいなくなります。

そして主任でも同様のことが起こり、無能な主任はいつまでも主任でい続け有能な主任は係長に昇進してしまいます。

その結果主任クラスから有能な人材だけがどんどん抜けていき後に残ったのは無能な主任ばかりになってしまいます。

この現象は各階層で同じように起こるため最終的には各階層の全員が無能な人たちであふれかえるというものです。

つまり有能な人はどんどん上の階層に上がっていくのでその階層にはいなくなるということです。

これでいくと医事課長でずっとい続けている上司ならば無能な医事課長といえるということです。

そもそも優秀な医事課長ならば医事課長に留まらないでしょ、という論理です。

これは言われてみればなるほどと思える法則です。

そして世間を見渡せばその法則に当てはまる現象はあらゆるところで確認できます。

元横綱だからといって相撲協会理事で有能かといえば、現実はむしろ逆でしょう。

メダリストがオリンピック協会理事になってもまたそれは同じこと。

いわゆる「名選手、名監督にあらず」というやつです。

結局この手の問題は、プレイヤーとマネージャーはまったく違う能力が必要とされるのに、それら2つはあたかも繋がっている、関連しているという勘違いによって引き起こされています。

プレイヤーの延長線上にマネージャーが存在しているという錯覚です。

そして社会においてこの錯覚は完全に放置されています。

というか「元からそれら2つは別々だ」という考えを持たないようにしていると言った方がいいのかもしれません。

本来管理職に任命したその上司は知っているはずなのです。

だって自分も通って来た道なのですから。

プレイヤーとはまったく違う能力がマネージャーには求められる。

でもほとんどがその未知の能力があるのか、ないのか、わからないままプレイヤーをマネージャーへと昇進させます。

つまり、リーダーシップがあるのか、ないのか、また、マネジメント能力があるのか、ないのかの評価をされないまま、ある日突然管理職にされちゃうということが普通に起きます。

そして昇進した管理職はというと、そこで初めて管理職の役割を認識し、学んでいくことになるのです。

なるまでわかんねえ

はっきり言って管理職の役割、必要な能力は実際その立場になってみるまでまったくわかりません。

そりゃそうです。

実務一本でやって来た人はコーチングやリーダーシップなどを学ぶ機会などほとんどありません。

みずから将来を見据えてプレイヤーの時代からそれらを学んでいく人も中にはいますが、そんな人はごくわずかです。

大部分の人は管理職になって初めてその分野を学んでいくことになります。

そしてそこでやっと「自分には人を率いる能力がない」「人を育てる能力がない」と自覚する人も出てくるわけです。

でも自覚する人はまだましな方で、そこの能力がないのに自分にはその力があると思い込んでいる人も多数出てくるのです。

そしてその人たちがいわゆる「無能な上司」であり「クソ上司」であるのです。

別にその人たちを弁護する気はありませんが、その人たちは「無能な上司」であっても「無能な人」ではありません。

むしろプレイヤーとしては優秀であり、そこを評価された結果そのポジションにいるのです。

ただ、その人はあくまでプレイヤー特化の人であったというだけです。

つまり、マネジメント能力なんてほとんどないのに、その上司によって勝手に上へ引き上げられたとも言えるのです。

そしてそんな構図は日本中あらゆるところで見られるはずです。

無能な上司が量産されるのはある意味必然なのです。

創造的無能

ピーターの法則に従うと組織中の人たちがみんな無能っていうことになってしまいますが実際はそれなりに組織は回っています。

であるならばどこに有能な人がいるのかといえば、昇進直前の人ということになります。

つまり、その階層では十分優秀だと認められていてまもなく上の階層へと引き上げられそうな人です。

そんな人たちが全体の2割でもいれば、80:20の法則(パレートの法則)の「成果の8割は全職員のうちの2割で生み出している」とも合致して理論上組織は回るということになりますし、実際そうなんだと思います。

だったら組織の中で唯一有能な人たちはその人たちということになります。

よって本書ではその位置に留まるために「創造的無能」を提案しています。

これはすなわち

「仕事はできるが昇進させられないように本筋とは無関係なところで無能を演じる」

というもはやギャグとしか思えないような提案です。

ですが真剣に考えてみるとギャグとも言い切れない部分もあります。

実際それを実践することはむずかしいですが、その階層の一番上で留まるというのは有能な人として居続けるには唯一の方法かもしれません。

しかしこれはいろんなジレンマを抱えています。

まずキャリアの面です。

その場に留まるというのはいわば守りの体制であり、もう上は目指さないというマインドであるということです。

そのようなマインドのままではたしてこの先において有益なキャリアを積むことができるのかといえばそこには疑問符がつきます。

また給与面の問題もあります。

給与を上げるには昇進はマストです。

昇進せずに給与がどんどん上がっていくことなんてありえません。

だから給与アップを目指すならば昇進していくしかないのです。

つまり今の自分が有能だと評価される階層を捨てて、新たな上の階層へ飛び込んでいく必要があるということです。

だから「仕事はできるが昇進させられないように本筋とは無関係なところで無能を演じる」などという悠長なことをしている暇があるのか?ということなのです。

結局「創造的無能」とは机上の空論のようでそうでもないような、よくわからない理論なのです。

価値観

ピーターの法則は概念としてはまさにそのとおりです。

そして大事なことはその法則そのものというよりは、それを受けて自分で仕事というものをどう捉えるか?というところだと思います。

つまり、あくまで出世を目的とするのか、それともライフワークバランスに重きを置くのかということです。

そして出世を目的とするのであれば、もはやピーターの法則なんて関係ないです。

だって有能、無能なんて相対評価であって自分の人間としての価値の判定ではないのです。

また部下から無能な上司と思われていようが、自分の上司からさえ評価されていれば別に何の問題もないわけです。

要は周りが自分のことを無能判定していようが別に知ったこっちゃねえってことです。

そしていけるところまで出世していけばいいのです。

ただそれだけのこと。

それも1つの考え方ですが、僕はそんな仕事人生はまっぴらごめんです。

そもそも「出世=幸せ」という考えが僕にはないです。

そしてもっとそもそも論なのですが、人生の中心って仕事なの?っていう思いを僕は持っています。

「好きなことで生きていく」

人生はそんな甘っちょろくできていない。

それはわかっています。

ですが、大人になってからの大部分の時間を仕事のためだけに使っている、別にそれが普通なんだ、当然なんだと思う人はそれでいいと思いますが、僕はそうは思いません。

簡単にいえば僕は仕事だけに依存したくはないのです。

というか医療事務スキルだけで食えていける将来像が僕には見えない。

かといってマネジメント能力を発揮してのし上がっていく能力もありません。

つまり今の僕はまさにピーターの法則に当てはまっているのです。

「階層社会では、すべての人は個人の能力の限界まで昇進を重ね、最後には無能になる」

そこのところの無能者であるという自覚を自分では持っています。

現実的な話をすると当法人でいくと、僕が今いる医事課長の階層の上には医事部長、そして事務長というポストがあります。

人によっては次はそこを目指すのでしょう。

ですが先ほども言ったように、医事部長、事務長へと昇進することが僕にとっては人生の幸福とイコールにならないのです。

僕にとってはそれはむしろそれは不幸。

一人の医療事務員である前に自分は一人の人間です。

組織でのし上がっていくことに価値を見出すのもひとつの選択なら、それ以外に価値を見出すこともひとつの選択。

限界まで昇進を重ね、最後は無能になってもそれはそれでいいと思います。

では誰から無能と見なされたら困るのか?

それは自分です。

自分で自分が有能と思えるのであれば、もはや周りは関係ない。

そう思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか?

まとめ

組織にいる限り誰もが

「限界まで昇進を重ね、最後には無能になる」

残念ながらこれはそのとおりです。

でもそれは悲観することではないのです。

ピーターの法則を受け入れた上で自分の価値観をどこに置くのか?

そこが一番大切です。

あなたから見てあなたは有能ですか?

周りの評価は関係ない。

でもそこだけは譲ってはいけないところです。

自分で自分を認められるのであれば、ピーターの法則なんて、もはやあってないようなものなのです。

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