以前に22万円の援助を蹴ってでも身銭を切って資格取得を目指すべき、という記事を書きました。

そしてその続編として「本気で学びたければ身銭を切れ!」という記事も書きました。

この最初の記事と2つ目の記事は読んでくれた方から「納得できない」「22万円なんておいそれと出せる金額ではない」「極論だ」というご意見を頂きました。
でもそのような意見を聞いてもなお僕の考えは変わりません。
むしろなぜ身銭を切れ理論が受け入れられないのかが不思議でしようがありません。
今回はなぜ「本気で学びたければ身銭を切れ!」が医療事務員の人にまったく刺さらないのか?
その点を考察します。
目次
「本気で学びたければ身銭を切れ!」がまったく刺さらないたった1つの理由
結論
それは本気で学ぼうとする人なんてほとんどいないからです。
学ぼうなんて思わない
多くの大人たちが思い違いをしていることがあります。
それは勉強とは学生がするものであって、働いている人には特に必要ないものだという認識です。
もしくは働くことで精一杯なのに、プラス勉強だなんてできっこないという考えです。
でもそれってほんとに思い違いだと思うのです。
というか働き出してから学ぶ必要性をまったく感じないっておかしいと思うのです。
そもそも学生の頃の学習と社会人になってからの学習はその目的、内容がまったく異なります。
すごく極端な言い方をすると、学生の頃の学習とは将来に直接役立つのはその最終学歴だけです。
大卒か高卒か専門卒か?
そこだけが給料に影響を与え、それこそ大卒か高卒かの差だけで生涯年収は何千万円も変わってきます。
そして高校、大学で学んだことが社会人になってから活かされる人ってほんと一部の人に限られます。
ほとんどの人はそれは将来の仕事にはまったく役に立っていません。
だから僕は学生の頃の勉強とはもう最終学歴のためだけにあると思っています。
でもそれが現実だしそれでいいと思っています。
そんな考えの僕なので医療事務に一番必要な資格は学士ですという結論に至るのです。

これはほんとにそう思っていますし、実際当たっているとも思っています。
診療報酬請求事務能力認定試験なんかより学士の方がよっぽど有用だと思います。
話を戻しますが、学生の頃の学習が最終学歴のためだとすれば、社会人になってからの学習はもうそれとはまったく違う性質のものであります。
そして後者の学習の方がよっぽど仕事に濃密に関係してくるものです。
また学習の目的も後者の方がより明確です。
つまり何のために学んでいるのかとう理由がはっきりとわかるということです。
たとえば診療情報管理士においても、実際仕事に入っていない学生の時点ではその学習目的は明確ではありません。
それは当たり前の話で実際の診療情報管理という業務に直面しなければ本当の学習理由なんてわからないからです。
そりゃ学校では先生から診療情報管理士とはこういう仕事をしているのですよ、診療情報管理とはこういう業務なのですという教えは受けますが、実際現場に入らなければわからないことって山ほどあります。
というかほぼわからないはずです。
学校の先生でさえ現場の人間ではないのです。
元医療機関勤務の診療情報管理士の人が先生である場合もあるとは思いますが、その人とて今現在のリアルタイムな肌感というのは伝えることはできません。
ですので学校はあくまで学校なのです。
つまり学校での学習はどうやっても実務とはかけ離れてしまうのです。
そこを現場に入ったあとに自分の知識と実際の経験を掛け合わせていって医療事務員は成長していくものなのです。
であるならば、実務とかけ離れている自分の知識を経験を積むことによって実務にすり合わせていく作業が必要になります。
そのためには知識のアップデートはマストなのです。
学生時代の知識だけで就職後もやっていけると思っていたらそれは大間違いなのです。
しかし残念ながら多くの人はそういう考えを持っています。
特に医療事務ではその傾向が非常に強いように感じます。
これは以前にも同じ主旨の記事を書きました。
なぜ働く前は資格取得を目指して勉強するのに、就職後は一切勉強をしなくなるのか?
それも持ってても持っていなくても大して何も影響しないよくわからん医療事務資格のためにはそれなりに勉強したくせに、なぜ医療事務員になったあとはまったく勉強しないのか?
一切の学習をやめてしまうのか?
これは医療事務業界の悪しきバイアスが働いていることもその一因です。
それはすなわち医療事務は経験者有利であるという昔から申し伝えられてきた認識です。

はっきりいってこれはこの先は通用しません。
経験者のアドバンテージなんてもはやもうない。
むしろ何のフィードバックも受けない、学ばない経験者なんてマイナス要素でしかありません。
でも実際の現場はまだそんな危機感は微塵もありません。
経験者有利と思っている人の方が圧倒的にマジョリティです。
そんな状況なので今さら学び続けようなんて思う人がほぼいないことも当然といえば当然なのです。
簡単にいえば医療事務員のモチベーションは高くないということです。
「今のままでいい」「何か変わるのはイヤ」そんな現状維持思考の人がたくさんいます。
ですので本来は「医事課」とはせずに「維持課」と表記しておくべきなのです。
それの方が実情に合っています。
ですが「維持課」にいる人は将来的には確実に詰みます。
今は大丈夫でも10年後にはもうやってもらえる仕事がなくなる。
もしくはものすごく買い叩かれるか。
もうそのどちらかです。
そんな未来は間違いなくやって来ます。
だったらどうしたらいいのか?
それは将来に向けて学び続けること、もうホントにそこにしか突破口はないです。
別に何を学べとは言いません。
ただ、1年後のあなたが今のあなたとまったく同じ知識、スキルなのであればあなたの価値は確実に減っているということです。
「まったく同じなのであれば現状維持ではないの?」という人、それはありえないです。
世界は進み、現場は進んでいる。
そんな中で立ち止まっていること自体が完全なる後退です。
でもそう感じていない医療事務員は多いです。
そしてえてしてそのような人は仕事に対して付加価値という概念すらない。
未来永劫、受付、計算、会計、レセプトという業務は残り続けると思ってるし、そしてそれが医療事務の仕事のすべてだと思っている。
だから新たな学びなんて必要ないし、新しい積み上げなんて必要ないと思っている。
ただただ経験を積み上げればいいと思っている。
だから新たに学ぼうなんて思うはずがないのです。
まとめ
以前に22万円の援助を蹴ってでも身銭を切って資格取得を目指すべきという記事を書いたとき、「22万円は大金です。おいそれと出せる金額ではありません。」というご意見を頂きました。
だから22万円の援助を蹴るなんてことは暴挙でありありえないことだと。
でもほんとにありえないことなのでしょうか?
2年間で22万円ということは、1ヶ月で約9,000円です。
1日当たりで300円。
毎日300円、それを2年間自分に投資することのどこが暴挙なのでしょうか、ありえないことなのでしょうか?
でもここですでにみなさんと僕の考えは違っているのでしょう。
僕はそれを自己投資と見ていますが、みなさんはコストとして見ている。
僕はそれを先行投資として考え、のちのち十分回収できるものと考えますが、みなさんは単純にお金が消費される行為だと考えている。
だから援助してもらえる制度があるのならば使わなければ損であると。
でも本当に損なのはその考え方そのものではないでしょうか?
2年間だけ1日300円を自己研鑽に使うということさえ惜しいというのであれば、そもそも資格なんか取りにいく必要なんかありません。
学ぶことにはお金がかかる、これは絶対です。
しょせん無料の学びは無料の域を出ません。
それはその教材やコンテンツが悪いのではなくて、無料だからと捉えているあなたのマインドセットが悪いのです。
身銭を切っていないのに本気になれる人なんていません。
「本気で学びたければ身銭を切れ!」がまったく刺さらないたった1つの理由、それは本気で学ぼうとする人なんてほとんどいないからです。
学習とお金は天秤にかけられるものだと考える人がほとんどだからです。
22万円がもったいない、22万円は大金、そう思うのは当たり前のこと。
でもそれなら毎日何気に缶コーヒーを買っているあなたはなぜそれはもったいないと思わないのか?
しかもそれは2年どころかほんとに毎日でしょ。
そっちの方がよっぽどもったいない。
缶コーヒーじゃなくてもいい、毎日のおやつでも同じこと。
結局22万円がもったいないと言っている人は、それ以外のところでもったいないお金の使い方をいくらでもしているのです。
お金も時間もほんとに大事に使いたいという本気度があれば、いくらでも捻出できます。
それをしないのは単にそこには本気度がないからです。
学ぶことに対して身銭を切る行為に抵抗があるという人は、本気で学ぶ気なんてないのです。
僕はそう思います。
これは極論、暴論ですか?
もしあなたがそう思うのであれば、「本気で学びたければ身銭を切れ!」がまったく刺さらなくてももうそれは仕方ないって納得します。
僕だけが変な人なのでしょう。