僕はつねづね批判なんてムダ、院内評論家はいらないというスタンスでものを言っています。

ですので「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」派です。
そしてまたこういう主張もあります。
社内の問題を社内の人間である自分が批判する場合、単なる批判で終わることは許されない。
社内の問題に批判を加える以上、少なくとも自分がベストでないまでもベターと思える代替案を持って批判するのでなくては建設的批判とはいえない。
代替案を伴わない批判は「批判」ではなく単なる「誹謗」にしかすぎない。
こう聞くとなるほどと思いますが、反対にこういう意見もあります。
問題点を言うとき「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」と言う人がいるがそんな事はない。
問題点が発覚した後、代替案を考えないと報告できないならその間遅れが生じる。
問題点を見つける才能と代替案を見つける才能は別なので、別の人がやった方が早い。
これもこう聞くとなるほどと思います。
はたしてどちらの意見が正しいのでしょうか?
今回はそこにフォーカスします。
目次
「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」は正解か?
結論
時と場合によります。
ただし、ベストでなくても何かできることはないかとつねに考えること、代替案を探す姿勢は大事です。
自責と他責
今回のテーマの根っこには「自責思考」と「他責思考」があります。
これについては以前に記事にしています。

その中でこう書きました。
基本的に他責思考はやめた方がいいです。
おすすめできる他責思考は問題と改善策がセットで出せる場合に限ります。
そうでない他責思考はただの愚痴、責任転嫁です。
ですのでつねに批判ばかりしている人というのは完全なる他責思考なのです。
そこには問題を解決しようとする姿勢などはみじんもなく、あるのは他人を下げて自分の優位性を感じたいというくだらない欲求だけです。
つまりマウントをとるためだけの批判なのです。
他責思考の問題点は何かというと、「問題の原因は自分の手の届く範疇外にある。自分には問題を解決するためにできる行動などはない」という結論に至るマインドセットです。
この考え方だと結局「自分では何もコントロールできない。何も問題解決できない。」という結論に突き当たります。
そしてその考えにもとづくと、つねに「学ぶものは何もない」という前提が当たり前になります。
特に自分が全然関わっていない事象ならばなおさら、自責で考えるなんてことは1ミリも思いません。
ただただ他者批判を繰り返す、それだけです。
これを予防する対策として、「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」論は有効なのです。
つまり、そこには
「問題点を見つけたらあとは他人任せにする人が多い。そうならないためにも、報告・提案をセットで行ってほしい」
「自分は関係ないとは思ってほしくない」
「つね日頃から考える訓練をしてほしい」
という願いがあるのです。
たしかによく問題点に気づく人というのはいます。
その気づく能力というのもとても大切です。
ですがそのような人の中には、問題点だけ指摘してその先は知らない、そっちでなんとかしてよね、というスタンスの人が割といます。
結局そんな人は現状を改善しようなんて気はさらさらないのです。
自分ごととして捉えることなんて絶対ないのです。
だからこそ「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」は重みを増すのです。
自分ごととして捉える、つまり自責思考であってほしい、そんな思いがそこにはあるのです。
今すぐか?もっと先か?
それとは真逆の主張が冒頭にあったものです。
問題点が発覚した後、代替案を考えないと報告できないならその間遅れが生じる。
問題点を見つける才能と代替案を見つける才能は別なので、別の人がやった方が早い。
これは確かにそのとおりです。
スピード感をもって対処しなきゃいけないときに代替案が浮かばないから報告できないとなっていたら、本末転倒です。
さっさと報告しろよとなるわけです。
そして問題をみんなで共有した上で全員で知恵を出し合った方が解決には早いのです。
だからといって、「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」は間違いというのは違います。
この正しい派、間違い派の主張は双方一方的すぎるのです。
その答えを出すためにはもう1つ前提が必要なのです。
つまり、今すぐか?もっと先か?ということです。
まさに今リアルタイムに問題が起こっていて、早急に対処する必要があるという場合には「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」は間違いです。
その場合は「代案を考える暇があればまず問題点を共有」が正解です。
一方でそんなに急ぐことではないが、将来に向けて集団でなんらかのプランを立てているときは「代替案を一緒に出さないで問題点だけ言うな」は正解です。
まだ自分で考える時間は十分残されているのです。
だったら自分として何ができるのか?たとえベストではなくてもベターな何かが思いつかないか?と代替案を考えることは有益だし必要です。
まず代替案を出すという前提であることが素晴らしいのです。
その意識づけは一朝一夕にできるものではありせん。
日頃からトレーニングしていないとそういう思考は作られません。
つねに自責思考、つねに代替案を考えられる思考、そのスキルはとても価値の高いものですし、できる人でありたいのであれば絶対持っておくべきものなのです。
まとめ
私見ですが10人いて問題点を指摘する人はそのうちの半分。
そしてそこに代替案がセットである人はその半分以下です。
つまり代替案を持って問題点を指摘してくる人は10人中せいぜい1人、2人ということです。
逆に言えば10人中3、4人は単なる批判しかしてこないということです。
そしてそれは建設的批判とはほど遠い。
代替案を伴わない批判は「批判」ではなく単なる「誹謗」。
あなたの発言は誹謗になっていませんか?
きちんと代替案が伴った建設的批判にしてください。
でないとそれは仕事とは言えませんので。