「積極的に動け、でも指示どおりにしろ」から生まれる受け身人材の必然性

「仕事は積極的に取り組むべき」とはよく耳にする言葉です。

組織は主体的で能動的な人材を求めます。

ですので反対に受け身な姿勢の人に対しては評価をしません。

これは多くの人が「そうだよね」とは感じます。

でもその一方で「ホントに受け身はダメなの?」「組織の中では部下って基本受け身なんじゃないの?」というような反対意見もあります。

この点については以前記事にしました。

【サクッと解説】受け身な仕事はダメなのか?

そこでの僕の結論は「やっぱり受け身の姿勢はダメ」というものでした。

ですが今一度このことについて考えてみるとこの結論には意味がないと思っています。

厳密にいうと意味がないというよりは、結論を迫ること自体がナンセンスなんじゃないのかと。

今回はこの点を深掘りしていきます。

「積極的に動け、でも指示どおりにしろ」から生まれる受け身人材の必然性

結論

「積極的に動け」「勝手なことはするな、指示どうりにしろ」の状況下では受け身人材は生まれて当然です。

受け身は悪なのか?

以前に僕はこう書いています。

受け身は悪か?こう思っている人は意外と多いと思います。

「受け身だからモチベが低いだとか、やる気ががないというのは上司の決めつけ、思い込みだ」という意見です。

この人たちの主張はこうです。

そもそも組織において受け身ではない仕事ってどれくらいあるんだと。

主体的、能動的な仕事って管理職以上でないと生まれないんじゃないかと。

まして医療事務の仕事で主体的にできる仕事って何があるのか。

仮にあったとして医療事務員が受け身を排除して自己判断で主体的に動き始めたら組織として機能しなくなる。

ある程度の受け身を前提にしなければ成り立たないのが組織であり、そこで求められるのは組織にとって都合が良いという条件つきでの積極性。

にもかかわらず受け身という部分だけをとらえてそれはダメだというのは上司の傲慢な論理だと。

またこんな意見もあります。

たとえば仕事に対しては前向きな新人がいたとします。

自分の手が空けばその都度上司に「何かありますか」と積極的に働きかけていました。

ですがあまりにも上司が忙しそうで、まだ戦力になっていない自分の面倒を見ることで時間をとらせていることが悪いなと感じます。

するとこの新人はどういう行動をとるでしょうか。

あまり自分都合でどんどんいくのも良くないな、相手の事情を考え配慮しなければと思うかもしれません。

この場合の受け身の姿勢というのも非難されるべきものか?というものです。

やる気があっても受け身にならざるを得ない場合だってあるのですよという意見です。

一概に受け身だからダメだ、やる気がないというのは暴論だという意見です。

これらの意見に対して僕は「ちゃんちゃらおかしい」と切って捨てています。

ですがこれは完全に上司目線での意見だったように思います。

普段メタ認知力が最重要と言っている僕自身がまったくメタ認知が効いていなかったのかもしれません。

結局僕たち上司が部下に求めている積極性とは、組織や上司にとって都合のいい積極性なのです。

ですのでなんでもかんでも積極的に来られたところでそれでは上司は困るのです。

「勝手なことはするな、指示どうりにしろ」ってなっちゃうわけです。

ですがここで少しいいわけさせてください。

僕たち上司はそんな自分勝手な理不尽な要求をしている感覚はありません。

ごくごく普通に「積極的に動け」「勝手なことはするな、指示どうりにしろ」と言っているのです。

そしてその2つのもの言いは矛盾するものだとは思っていません。

そもそも組織というのはピラミッド組織です。

ですので部下は上司の言うことには絶対従わなければいけない。

これは大前提です。

以前にも書いていますが、誰が何と言おうとここの主張は揺るぎません。

【あえて言おう!】あなたにはピラミッド組織の一員という自覚があるか?

だから「勝手なことはするな、指示どうりにしろ」は当たり前の言葉なのです。

ですがそれがすなわち「部下は受け身であれ」と捉えられてしまうところが歯がゆい部分なのです。

これは0(ゼロ)か100(ヒャク)かというような話ではないのです。

なぜ「勝手なことはするな、指示どうりにしろ」が「積極的に動け」の反対語になるのか?

指示どおりに動く中でも主体的に能動的に動ける場面ってあるんじゃないですか?って思うわけです。

しかしこれこそが上司目線なのでしょう。

部下から見れば「そんな場面あるかい」ってなるのです。

結局積極的に動くとは指示以上のことをすることであって、それで失敗したら指示にないことをした自分の責任となる。

また積極的だろうと受け身だろうと評価なんて変わらない。

だったら受け身でいいじゃんってなるわけです。

ですので部下からしてみれば「受け身は善で積極性は悪」なのです。

指示された範囲内での積極性という概念がない以上、その結論に至ることは避けられないのです。

上司の罪

受け身の姿勢で振る舞っていた方がトクであるから部下は受け身の姿勢を学び、もうそこから抜けられない。

そうなっているのは間違いありません。

ではその原因はどこにあるのか?

ここまでを見てきてわかるとおり、それは学習者である部下のせいじゃありません。

その原因、責任はそれを学ばせた上司にあります。

積極的だろうが受け身であろうが給料も評価も何も変わらない。

だったら受け身を選ぶ。

それは至極当然の流れです。

また「積極的に、主体的に、能動的に」と上司は言うけれど、結局最後はあなたの意見のゴリ押しでしょ。

下手に頑張る方が損じゃん、って部下には思われているってことです。

これは上司の罪です。

そして先ほども言ったように、当の本人はそう感じさせているという状況を俯瞰できていない。

「スタッフが受け身な人たちばかりで困る。言われたことしかしない。」と思っている上司はそういう人材に育てたのは自分であるということを自覚しないといけない。

だから僕もそれを自覚しないといけないのです。

まとめ

今回の話をひとことでまとめるとこうなります。

受け身人材は組織によって作られた必然である。

ここから僕たちは何を学ぶべきか?

ひとつ言えることは「言われたことしかやらないんですよ」とグチを言っている上司がいるような組織では受け身人材はなくならないということ。

学ぶべき、改善すべきは僕たち上司側なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。