先日こんなツイートを見つけました。
あなたは小規模企業の経営者です。
初めての社員を採用することにしたのですがA:性格は良いが仕事能力は低い
B:性格は悪いが仕事能力は高い
C:性格は普通で仕事能力も普通採用するとしたら誰を選びますか?
ちなみに性格や仕事能力の定義については適当に考えちゃってください。
— Fujimori@元経営者のマッチョマーケター (@fujimori_hrc) October 10, 2020
この「性格は良いが仕事はできない」と「性格は悪いが仕事はできる」という究極の選択。
今回はこの場合の正解ってなんなんだろう?ってところにフォーカスします。
目次
「性格は良いが仕事はできない」VS「性格は悪いが仕事はできる」あなたならどっち?
結論
僕の正解は「性格は悪いが仕事はできる」です。
定義
先のツイートには多くの人が意見しています。
そしてその答えは多種多様でA・B・Cどの答えもあります。
ただこのツイートには1つ問題点があります。
それは前提となる定義がないということです。
ここに関してはツイートしているご本人が「性格や仕事能力の定義については適当に考えちゃってください」と書いています。
ですのでこの質問に対する正解というのはそもそも存在しないのです。
みんながみんな自分なりの価値観、評価軸で定義づけしますので、そりゃあA・B・Cどの答えもありえるわけです。
よって僕も自分なりの定義づけを行うことにします。
「仕事ができる」の定義
「あの人は仕事ができる」「あの人は仕事ができない」という言い方を普段フツーに使っていますが、そもそも仕事ができるってどういう状態を指しているのでしょうか?
ここの定義づけが人によって千差万別です。
そして職種によってもその定義はさまざまです。
ですのでここからは医療事務に限った話で進めていきます。
まず仕事というのは新たな何かを生み出していく創造性の高いものと、決められたことを滞りなく遂行していく管理性の高いものとの2種類に大別できます。
完全にどちらということもなくてその中間という職種もありますが、まあ大きく分ければそのどちらかになるはずです。
そして医療事務というのは完全に後者です。
つまり、決められた業務を滞りなく遂行していく管理性の高い業務ということです。
この仕事に求められる能力は正確性と迅速性です。
そしてそのために必要な能力は、医療事務の専門的知識とコミュニケーションスキルです。
レセプトスキルなどの専門的知識は言わずもがなですが、それと等しく重要なのがコミュニケーションスキルです。
ここが医療事務を知らない人からすれば知り得ないところなのですが、医療事務って事務ってうたっていますが世間のイメージする事務職とはだいぶかけ離れているのです。
普通は事務職=デスクワークというイメージですが、医療事務についていえばそれは半分は合っていて、半分は間違いです。
先ほども言ったように医療事務とは管理性の高い仕事です。
極端な言い方をすればクリエイティブ性なんて必要ありません。
医事課の最大ミッションは病院収益の最大化です。
そのための保険請求業務であり、レセプト業務なわけです。
ですのでここで大事なことは、過剰請求も過小請求もダメということです。
きちんと行った診療行為を過不足なく請求しなければならない。
だとすると机に座ってレセプトとにらめっこしているだけでは仕事にならないのです。
手術手技が合っているのかどうか主治医に確認しないといけない。
リハビリの起算日が合っているのかどうかセラピストに確認しないといけない。
薬剤オーダーが合っているのか部門に確認しないといけない。
保険誤りで返戻されてきたので患者に確認しないといけない。
減点の根拠がわからないので審査機関に確認しないといけない。
とにかく確認しないといけないことだらけです。
そしてそこでスムーズに業務を回すために必要な能力がコミュニケーションスキルです。
また患者や院内他部門からの問い合わせ、クレーム、保険会社など関係機関からの問い合わせなどに迅速にかつ円滑に対応していくためにもコミュニケーションスキルは非常に重要です。
さらにホスピタリティ精神を発揮していくためにもコミュニケーションスキルは必要不可欠です。
ですので医療事務におけるコミュニケーションスキルの重要度、優先度はとても高いのです。
レセプトスキルと双璧をなすといっても過言ではありません。
さてなぜこのような話をしたのかというと「仕事ができる」を定義した場合、そこにはコミュニケーションスキルはマストで入る能力だからです。
つまり「性格は悪いが仕事ができる」と言った場合、そこにはコミュニケーションスキルが欠けている人は入ってこないということです。
専門的知識が豊富、レセプトスキルが高い、経験値がある人であっても、周りとの関係が上手くいっていない人、職場の輪を乱す人を仕事ができる人とは決して呼ばないということです。
ですので「性格は悪いが仕事はできる」という言い方は一部矛盾しているのです。
本当に性格が悪くて周りとの関係が上手くいっていない人では、もうその時点で仕事の能力が高いとは言えませんので。
よって冒頭の質問に対する僕の答えは
B:性格は悪いが仕事能力は高い
となるのです。
仕事能力が高い=コミュニケーションスキルが高いとなりますので。
あと性格上で何かしら難があっても、専門的知識が豊富でコミュニケーション能力が高ければ仕事上で何ら不都合は起こりません。
もうそれだけで十分です。
性格は良いが仕事はできない
対して僕が絶対選択しないのは
A:性格は良いが仕事能力は低い
です。
しかしここも「性格が良い」という定義があいまいです。
そもそも何をもって性格が良いと言うのでしょう?
もうそんなのはその人の主観によります。
はっきりいって好みの問題です。
周りと決してぶつからないという人を「協調性があって性格が良い温和な人」と評価する人がいる一方、「自分の意見を言わない腹黒い人」と評価する人だっています。
そうなると「性格が良い」という定義はもう人によりけりです。
ただ先ほどの例でいくと、周りと決してぶつからないという人を「協調性があって性格が良い温和な人」と評価する方がマジョリティだと思います。
だとするならば、そういういわゆる「性格が良い」とされる人ではあるが仕事能力は低い人というのはどうか?という話なのですが、
仕事能力が低い人はダメでしょうというのが僕の結論です。
ただしこれには例外があります。
それは
・経験年数が短い
・まだ20代、30代で向上心、自走力共に高い
場合のときです。
経験年数が短くて仕事能力が低い人ならばまだ見限るには早すぎます。
そこの伸びしろに期待するというのはあります。
また、20代、30代で向上心、自走力共に高い人であるならば、これもまた伸びしろに期待することはできます。
ですが例外はこれのみです。
経験年数がある程度ある場合や40歳以上で仕事ができない人というのは、残念ながらもうどうにもできません。
少なくとも僕は選ばない。
たとえその人がいわゆる世間一般の指す「性格が良い人」であってもです。
結局仕事のできる、できないって何なのかといえばメタ認知力があるか、ないかだと思うのです。
仕事ができる人は自分が仕事ができる人とは決して思わない。
自分にまだ足りないものは何か、必要なスキルは何なのかという客観視ができます。
対して仕事ができない人にはその視点はないのです。
間違いなく言えることは、仕事ができない人こそ自分はできていると思っています。
そしてその考えは年齢を増すごとに強固になっていきます。
周りの言うことになど聞く耳を持たなくなる。
だからいくら性格が良くてもそのような人を高く評価することなど僕はないのです。
40歳以上で「性格は良いが仕事能力は低い」は致命的です。
これはそもそも医療事務という職が合っていないんだと思います。
努力うんぬんとは関係のない話です。
でもメタ認知が効かないからそんなことを考えることもしない。
ならばもはやその人の性格は本当に良いのかということさえも疑わしい。
周りの言うことに聞く耳を持たず、自分を客観視できない人の性格が良いとはどうも思えないのです。
ですので「性格は良いが仕事能力は低い」人なんて本来いないのです。
性格が良い人は仕事能力は高い、そうじゃないと矛盾するって話なのです。
まとめ
冒頭の質問での選択肢にはもう1つありました。
それは
C:性格は普通で仕事能力も普通
です。
これも十分選びうる選択肢です。
ですがこれは選んではいけないと思うのです。
なぜならそこには付加価値がつかないからです。
市場価値なんて一切上がらないからです。
今後医療事務に求められる能力は二極化していきます。
それは医療経営に携わる分野と患者サービスに携わる分野です。
そのどちらも普通じゃ意味がないのです。
ほかとの差別化などできないのです。
目指すべきは1つだけ他と比べて突出している何かです。
であるならば普通の仕事能力なんていらない。
どこか欠けていてもどこかは秀でている、そんな医療事務員を目指すべきです。
それならば「性格は悪いが仕事はできる」人がいい。
そして唯一無二の「意味がある人」を目指しましょう。