昔よりレセプトと残業は切っても切れない関係です。
医療事務といえばレセプト。
レセプトといえば残業。
この認識は昔も今もまったく同じです。
新年2日目にして1月のレセのことを考えるともうすでに憂鬱だというレセプト担当者の人も多いかと思います。
中にはこの三が日に休日出勤をするという人がいるかもしれません。
当ブログでは今までさまざまな残業対策や仕事論といった記事を書いてきました。
その根底にはレセプト残業はゼロにできる、仕事のやり方を工夫することで時間内のみで業務を完了させることは可能である、という僕の強い思いがあります。
ですが今回の記事は、それはどうやら理想論だったようです、という話です。
なぜ「決してレセプト残業はなくならない」と言えるのか?
そこには2つの大きな原因がありました。
それを一緒に見ていきましょう。
目次
【悲報】決してレセプト残業はなくならないことが判明しました!
結論
結局最後はマインドの問題です。
残業が発生する理由
僕が考えるに残業が発生する理由は大きくわけて3つ存在します。
1.業務量過多
2.帰りにくい空気
3.残業代ありき
業務量過多は純粋に仕事が処理しきれないということです。
この原因は明白で業務分担が誤っています。
どう考えても時間内では処理しきれない業務量を個人に与えているということです。
とすればこの場合悪いのは完全に上司です。
上手く業務を割り振れていない上司の能力不足ということになります。
つまり上司が無能ということです。
そしてこの理論でいくと、上司が有能ならば業務量過多は解消され残業はなくなるということになります。
要は業務を整理し効率化できれば残業は減るということです。
それはたしかにそのとおりです。
ですが業務の効率化のみでは残業対策としては不十分なのです。
なぜなら、どれほど業務効率を上げてみたところで、誰も定時に帰ろうとしない職場ならばつきあい残業をせざるをえなくなるからです。
またそもそも残業代ををあてにしている人であるならば、どれだけ業務を効率化したとしてもそんなことは関係なく残業するからです。
ですので効率化して生産性をもっと上げろという論調は間違ってはいないのですが、それだけでは解決策としては不十分だということです。
大切なのは人の心理なのです。
2つの原因
同調行動
職場の雰囲気が帰りにくい、周りが残業しているから自分も残っている。
これは自分の本来の意志決定には背いている状態です。
いわゆる同調行動です。
そしてここには独特の心理が働いています。
社会心理学でいうところの「多元的無知」と呼ばれる現象です。
多元的無知(たげんてきむち)とは、特定の社会的集団の構成員に見られるバイアスの一種である。
多元的無知は社会心理学において、集団の過半数が任意のある条件を否定しながらも、他者が受け入れることを想定しそれに沿った行動をしている状況を指す。
言い換えれば「誰も信じていないが、誰もが『誰もが信じている』と信じている」と表現できる。
ウィキペディア(Wikipedia)
つまりこれは
部署の誰もが「残業したくねー」と思っていてもそれを言い出すことができず、「ほかのみんなは残業して当然だと思っているだろうな」とみなで勝手に想像し、誰ひとりとしてのぞんでいない同調行動をその集団は選択してしまっている
という状態です。
みんながみんな空気を読んでいるというか、腹の探り合いとしているという不毛な状態です。
シンプルに考えればそれは自分の思い込みだということは明らかなのに、決してそのバイアスは消えないということです。
これは昔の自分を思い返してみればたしかにありました。
そしてそれはもはや同調行動というよりは同調圧力です。
上司が残っている、先輩が残っている、でも自分は終われる状態。
でも残っている。
今でもそんな部下の人っているんじゃないでしょうか。
かといって「自分はもう終われる状態です。何か手伝えることはありますか?」と言ったものならホントに業務を振られる場合だってあります。
なのでホントは帰れるのにそれとなく残業をしてる風でやりすごすという謎のニセ残業なるものも生まれてきます。
こうなるともう何のために残っているのかもわかりません。
帰りにくい空気ってホントにヤバイのです。
こうならないためには上司、先輩が率先して早く帰るという意識、職場の土壌が必要なのです。
プロスペクト理論
同調行動と共に残業時間を減らせない要因のもうひとつが残業代ありきという意識です。
この残業代に依存している状態からの脱却はなかなか難しい問題です。
人は一度残業代が出た状態を経験するとそれが本給だと錯覚してしまいます。
人間はいったん自分の手に入れたものは手放したくないと思ってしまう損失回避の性質があります。
行動経済学のプロスペクト理論において、人は利得と損失であれば損失の方が重大に見えてしまうとされています。
つまり残業削減によりその空いた時間で今までできなかったことをするという未来の利得よりも、今の収入が減るという現実の損失の方が重く感じるということです。
ですのでどうしても残業代ありきの働き方から脱却しづらいわけです。
そうなると業務の効率化は、もはや関係ないのです。
業務を効率化、高い生産性を実現できたとしても残業代ありきの人は残業するということです。
まとめ
結局のところ、同調行動、プロスペクト理論の問題をクリアできないと残業は減ってはいかないということです。
そして大事なことはこの2点は仕事の方法論ではなくてマインド論だということです。
いろんな病院の医事課の状況を見聞きしてみると、残業のありなしというのは、そこの医事課の部署のマインドに大きく左右されているということがわかります。
そしてその部署のマインドを作っている中心人物はその部署の上司ということになります。
そしてその上司のマインドはどうやって作られてきたかといえば、そのまた上司から引き継がれていることが多いです。
ですからそれは誰かが断ち切らないといけないのです。
周りに依存、残業代に依存、それでは本当の意味での働き方改革は成しえません。
働き方改革の本質は生産性の向上です。
「帰りにくい空気」「残業代ありき」って完全にそれとは逆行しています。
ですが同調行動とプロスペクト理論の問題を完全にクリアすることはほぼ不可能な気もします。
なぜならそれはマインドセットの問題に集約されるからです。
部署全員のマインドセットを変えることなどおよそ不可能。
であるならばレセプト残業は一生ゼロにはなりません。
悲しいことですがこれが現実なのです。