知っている人もいるかと思いますが、昔話題になったツイートで次のようなものがあります。
昔読んだ記事で90歳くらいのお婆さんが、人生で後悔していることを聞かれて「バイオリンを60歳の時にやりたいと思ったけど、もう遅いと思ってやらなかった。
あれから始めてれば30年も演奏できたのに」
てのがあった
当時このツイートは反響を呼び
「何かを始めるのに遅すぎることなんてない」
「やっぱり挑戦しないといけない」
「やらないで後悔よりもやって後悔すべき」
「始めることに遅いなんてない」
などの共感や好意的な意見が多数寄せられました。
確かに心に刺さる話ではあります。
ですががこれを呼んだとき僕は共感はできませんでした。
思ったことは1つだけ。
結局やらなかったんでしょ。
今回は人生、仕事、そして医療事務への向き合い方について話していきます。
目次
【即行動!】年齢なんて関係ない【思い立ったが吉日】
結論
後悔はしても意味がありません。
そんなことを考える前にとりあえず動き始めることが大事です。
後悔
タラレバ論は不毛
もしあのとき、ああしていれば、こうしていれば、などと過去を振り返る人っています。
ですがそれはその過去を経験してきたのちの今があるからこそ思えることです。
当時はそんな風には考えなかったからそう選択していないのです。
タイムリープというのがありますが、仮にその当時に戻ってやり直したとしたらもう今の自分はないわけです。
また別のあのときこうしていたらよかったと思う自分がいるかもしれません。
そうなるとそれは別の人生を歩んだ自分であり、後悔の対象もまた別の何かに変わってくるのです。
すると対象となる過去の自分が違っているだけでどうやっても「あの時こうしていたら」と思う自分は存在し、その思考は無限ループとなっていきます。
当然の事実として人生は1度きりでやり直しなんて効きません。
つまりタラレバ論は不毛であり、後悔することに意味などないのです。
反省と後悔
反省と後悔はまったく違います。
反省とは未来に向かった思考であり、対して後悔は過去に向かった思考です。
過去は変えることはできません。
ですが過去をかえりみることで、そこから学びこの先の自分の行動を変えていくことはできます。
結果的に未来を変えることはできます。
ですので反省することは、この先を生きていく上で意味があるのです。
ですが過去に執着しているだけの後悔には何の意味もありません。
しかしたとえ意味がないとわかっていても、人は後悔するのをやめることはできません。
人間とはそういう生き物です。
だとするのならば、後悔した事実はありのまま受け止めそれを学びとし、未来につなげるような行動をとっていくことが唯一の対処法です。
年齢
年齢は自分で決める
職業で年齢限界説というのはよくある話です。
たとえば昔だとエンジニア35歳限界説だとか医療事務でも未経験40歳無理節だとかいろいろあります。
結論から言うと実際そんなものはありません。
こういう話はググるといろいろ出てきます。
その記事を鵜呑みにする人なんていないとは思うのですが、中にはそうなのかなって思う人がいるのも事実です。
そのような人に欠けているのは自分で考えるというプロセスです。
ネットの記事なんてきちんとしたエビデンスがなければうわさ話と大差ありません。
それをそのまま信じるというのは論外ですが、少なくとも自分で咀嚼して選りすぐることが最低限必要です。
そうすれば年齢限界説のいいかげんさがわかるはずです。
そもそも35歳とか40歳ってどんな根拠で線引きしているのでしょう。
そんな根拠はないのです。
そんな統計見たことありません。
ただ職種と限界年齢という組み合わせが面白いとされて使い回されているだけに過ぎず、なんとなく定着した認識となっているというのが実情なのでしょう。
つまりそんなものに読む価値はないのです。
たとえば「男性、40歳、医療事務未経験ですが転職可能でしょうか」という質問をかつて見たことがあります。
これはまさに前述の医療事務未経験40歳無理説に該当します。
ですがまず40歳の何が無理なのか、未経験の何が無理なのかを説明してほしいです。
さすがにITスキルも経験も何もないのにSEに転職と言われればちょっと待ってと思いますが、医療事務にそこまでのハードルの高さはありません。
極論してしまうと挑戦心と学習欲があれば何歳からだろうと働けます。
むしろ長年働いている人の方が新たな学習欲なんてありません。
医事課員ではなくて維持化員となっている人も多いです。
実情はそんなものなので何歳だろうと転職は可能です。
実年齢なんて関係ないのです。
40歳でも学習意欲がバリバリあって勉強時間だって現役高校生にも負けねえと思っているのならば、自分では18歳と設定していればいいのです。
結局、年齢は自分で決めるものなのです。
年齢を言いわけに使うな
ここで冒頭の90歳のお婆さんの話に戻ります。
バイオリンを60歳の時にやりたいと思ったけど、もう遅いと思ってやらなかった。
あれから始めてれば30年も演奏できたのに
この話は後悔しないためにも思ったときには行動しようっていう教訓なのでしょうか?
確かにその一面はあるのでしょう。
ですが僕はそうは感じませんでした。
「やる気なんてなかったんでしょ、結局今60歳に戻ってもあなたはやらない。」
それが感想です。
つまり、20歳のときであろうと、40歳、60歳であろうと関係ないのです。
あるのはやらなかったという事実だけです。
60歳だからもう遅いと思ってというのは言いわけです。
そしてたちが悪いのは年齢を持ち出してちょっと自分を正当化しようとしているところです。
だから正しく言い換えるとこうなります。
「バイオリンを60歳のときにやりたいと思ったけど、そう思っただけ。実際はやる気なんかなかった。」
人は何かにつけて年齢を持ち出してきますがそんなことは無意味です。
年齢を出してきている時点でもうやる気なんてないのです。
そうすることによって、できなかったときの言いわけにしようとしているのですから、そもそも目標に向かう姿勢にはほど遠いということです。
もし目指していたことができなかった、失敗したということがあってもそれは年齢とは一切関係ありません。
それは努力の量か、努力の仕方かその両方か、またはタイミングか、などの明確な理由があっての挫折なのです。
それを年齢のせいにしているようではまったく自分と向き合えていません。
言いわけはいらないし、後悔もいりません。
ただ事実と向き合い、学び、進むだけです。
考えるべきことも、やるべきことも実はシンプルなのです。
まとめ
医療事務という職業は仕事に就く前、もしくは就業当初はそれなりに勉強を必要とします。
でないと仕事になりませんので。
ですがある程度の期間が過ぎて業務がルーチン化したり、ジョブローテもしないまま何年も同じ仕事をしていると、特に新たな勉強をせずともそれなりに業務はこなせてしまいます。
そしてその時点で継続して学習を続けている人はほとんどいません。
この点が圧倒的にもったいないなと感じます。
医療事務員というのはそれこそ自分のやる気次第でいろんなキャリア像を目指せる立場にあるのです。
管理職への道、請求のプロの高見を目指す道、診療情報管理士、医療情報技士、医師事務作業補助者、医療経営士、システム管理者etc
どれもまったく畑違いの職種ではないのです。
すべてが横断的に関係している職種ばかりです。
この先の医療事務を展望すると少なくとも1つのものには特化して高い能力が発揮でき、かつ複数のスキルを持ったゼネラリスト的な働きが求められます。
昔のような単発のスペシャリストを多く抱えたマンパワーで押すというスタイルでは通用しなくなっていきます。
どうやっても医療事務員の人工(ニンク)が絞られてくるのは避けられない事実なのです。
そのときに必要な人材でいられるかどうかは、これからのあなたの成長度合いによります。
そして、そのためには継続した学習はマストです。
決して年齢を言いわけに使わないでください。
年齢はほんとに関係ありませんので。
すべてはあなたのマインドしだいなのです。