管理職として部下を指導していると、それぞれの得意不得意、仕事のできるできないが見えてきます。
その中で、残念ながら「この部下には何をやらせてもダメだ」「使えない」と思わざるをえない場面に出くわすことがあります。
かといって何も仕事をさせない、切り捨てるということは決してできません。
必ず何かの仕事を与え、組織の利益に貢献させることが上司の責務です。
だったらどこに配置すべきなのか?
今回はこのような僕と同じ悩みを持っている管理職の方と共に、使えない部下の使い方を考えます。
ここから何かのヒントを得てもらえれば幸いです。
また部下の方は、上司の本音を聞いて自分はどう感じるか?という点を意識して読んでみてください。
目次
使えない部下でも切り捨てられない、だったらどこに配置する?【上司の本音】
結論
全体への影響度が低い業務に配置する以外の手段が見つかりません。
使えない部下とは
仕事を任せてはならない部下
今回の記事を書くに当たって参考にした本があります。
それは「いまどき部下」を動かす39のしかけ 池本克之 著 です。
正直共感できない部分がいくつもありました。
その中のひとつが「仕事を任せてはならない部下」というところにある「3回以上同じ失敗を繰り返す人」という項目です。
本書では、同じミスを何度も何度も繰り返してしまう人には大きな仕事を任せず、限定的な仕事しか任せない、としています。
つまり、できない人を引っ張り上げようという思考ではなくて、できない人はどうやったってできないのだから切り捨てろ、という主張です。
この考え方自体には賛成です。
できない人の問題点というのは、能力そのものというよりもマインドセットのあり方です。
どれだけ注意しなさいと言ったところで、受け取る側のマインドセットが同じであれば結果は変わりません。
大事なのは能力よりも思考です。
そしてそれを変えさせることは至難のワザです。
だったら何度も同じミスを繰り返す人にはもう過度に期待しない方がいい、当たり障りのない仕事をやってもらっておいた方がいい。
理論上はそのとおりです。
ですがこれは完全に机上の空論です。
大事な仕事を任せずに限定的な仕事しか任せないということは、つまりその分の仕事は余計に他の人に回るということです。
結局この言い分は、人員が十分に確保されているところでしか使えません。
カツカツの人数で回している組織では一切使えない理想論です。
使えない人だから切り捨てる、それができれば管理職が悩むことはありません。
それができないから僕たちは悩むのです。
使えない人だから限定的な仕事しか任せないというのは、極めて経営者的な見方です。
それは現場のリアルとはズレています。
何の問題解決にもなっていません。
そもそも「仕事を任せてはならない部下」をできるだけ作らないようにするにはどうしたらいいのかを考えるのが先であって、そこはもう諦めました、だから線引きします、というのは違います。
本書は部下を動かすと銘打っていますが、そこには必ず両方の視点がないといけません。
つまり部下の視点と上司の視点です。
これがないと「この部下使えないな」と思っているのは自分だけで、部下からは自分が使えない上司と思われていた、なんてことが起こります。
そこに必要なのは客観的な視点です。
それがないと公正な判断はできません。
上司は「仕事を任せてはならない部下」が本当にそれに当たる部下なのかということを、しっかり見極める必要があります。
使えない人なんていない
たしかに仕事ができない人というのはいます。
ですが使えない人というのはいません。
ここで皆さんの中には、仕事ができないと使えないってどう違うの?という疑問を抱く人がいるかもしれません。
ここを先に説明しておきます。
「使えない人」とは言いかえると「役に立たない人」。
ですが組織にあって役に立ってない人なんてひとりもいない、ということです。
みんな役に立っています。
ここで仕事ができなくて、何の役に立っているんだと思うことでしょう。
それは仕事ができる人が優位性を保つ、優越感にひたるのに役に立っているのです。
結局のところ仕事ができる、できないって相対評価です。
それも上司の圧倒的なバイアスのかかった相対評価です。
何ができたら仕事ができて、何ができてなかったら仕事ができないなんて決まった定義は社会には存在しません。
医療事務でいえば、周りと比べてレセが見れる、患者対応が上手い、問題解決能力が高いと上司から見てもらえれば、その人はできる人とみなされます。
そしてその結果、どんな職場においても必ずできる人、できない人というのは生まれてしまいます。
見方を変えれば、できない人がいるからこそできる人はその位置でいられるのです。
だからできない人はたしかにいますが、使えない人はいないのです。
役に立っていない人なんていないというわけです。
たとえそれが周りの引き立て役だったとしても、それは役に立っていると言えます。
というわけで職場で無価値な人なんていません。
みんなそれぞれの役目を負っています。
ただ、残念ながらその役目を自覚していない人がいます。
つまり、自分はできない人なんだという自覚がない人です。
まあそんな風に思っている人の方が珍しいわけで、大多数の人は自分ができない人だなんて1ミリも思っていません。
ですがそれが一番の問題です。
先ほども言ったように相対評価となる時点で、できる人、できない人は必然的に生まれます。
だから、そこでできない人だからダメとか言うつもりはありません。
ただ、自分はできない人なんだという自覚を持った方が、自分も周りも幸せだということです。
上司から見て明らかにできない人なのに、本人は自分をできる人だと思っている。
そのギャップからは不幸しか生まれません。
そもそも仕事ができないって言っても、それはできる部分、できない部分という分野わけの問題であって、自分の人間性を否定されているわけではありません。
人は誰だって得意な部分と不得手な部分があります。
だから医療事務であっても患者対応は得意だが、計算は苦手とか、レセプト能力は高いが他部署との折衝能力は高くないとかそんなことはいくらでもあることなのです。
ですが多くの人は仕事ができないっていうレッテルを貼られることが、仕事上での「死」同然かのような感覚でいます。
そのため、自分が仕事ができないということを認めることができません。
だから自分と真摯に向き合えません。
自分を見れていないのです。
見ようともしていない。
自分の長所も短所もわかった上で行動できる人が最強なのに、短所は認めようとしない人が多い。
みんなできないことが悪、かっこわるいって思い込んでいます。
ですが本当にかっこわるいのは、できない自分を知らないことです。
そして仕事ができないっていうことの本当の意味は、能力、スキルが足らないということではなくて、その認知力が足らないってことなのです。
まとめ
使えない部下はどこに配置すべきか?
この質問への最適解は何なのでしょう。
現状では、全体への影響度が低い業務に配置する、といういたってありきたりな答えしか出せません。
結局どこにも置かないという選択肢が取れないのであれば、ミスが起こったときにその影響度が最小限になるという消極的な理由からしか答えは導き出せないのです。
医事課において使えない人だから切り捨てるなんてことは絶対ありません。
だったら全体の生産性を上げるためには、その人にはどういう働きをしてもらうのかというビジョンは描いておく必要があります。
そしてそれは限定的な仕事しか任せないということではないはずです。
それでは生産性なんてちっとも上がらない。
逆にできる人への仕事の過集中によって生産性が下がりかねません。
たしかに「3回以上同じ失敗を繰り返す人」に対する処方箋はもうないのかもしれない。
でもだからといって全体への影響度が低い業務に配置するという手段しかとれないようでは、それもまたジリ貧なのです。