【残念な現実】患者と医療事務員の非対称性問題

僕たちは普段医療機関側の視点でものを考えたり、行動しています。

ですがそこで抜けがちになるのが、患者側の視点です。

この患者と医療事務員の非対称性問題は日々頻繁に出てくる問題でありながら、当事者である医療事務員はそれほど認識していません。

そんな一例があるブログに書かれていました。

そのブログからこの問題の重要性を再認識しましょう。

そしてこの問題を解決するヒントをぜひ見つけましょう。

【残念な現実】患者と医療事務員の非対称性問題

結論

 

患者目線があるか、ないか?そこだけです。

患者と医療事務員の非対称性問題とは

無気力と怠惰と傲慢さ

その記事の内容をざっくり説明します。

記事はコチラ⇒⇒⇒無気力と怠惰と傲慢さは、いかに「学習」されるのか?:人に接する職業にひそむ罠!?

実際どういったやりとりがなされたのかは、そこには書かれていません。

ですので正確にいうと病院受付でのやりとりではなくて、それを受けての筆者(大学教授)の考察記事となっています。

筆者の方は父親で、子供さんと病院に行かれたようです。

そこで筆者いわく「むごい経験」が待っていた、とのこと。

そこから筆者の考察が始まります。(筆者の専門は人材開発・組織開発)

そもそも筆者はそこでの受付応対を「無気力と怠惰と傲慢さ」と見ています。

まずこの無気力と怠惰の対人態度がどのような経験の蓄積によって学習されたのかを考察しています。

思うに、病院の受付とは、患者からのクレームや要望が殺到するフロントラインであり、患者の中には「ややこしい患者」もいたのかもしれません。

そのような患者を相手にすることを長期に繰り返していれば、そのような対人態度が「学習」されたのも無理はないことです。

次に傲慢な他者への態度はなぜこれまで学習棄却されずに残存してしまったのかを考察しています。

外見から想像するに、彼女は「年配者」であり、この病院でも「古株」に思えます。

きっと業務知識を豊富に有する彼女に対しては、何かリフレクションするべき事態がおこっても、他者からフィードバックをうける機会は「限定的」だと考えられます。

先生はとても「よい人」なのですが、そのやさしい性格にくわえ、診察室と受付は隔絶されており、かの先生が扉を一枚隔てた人に対してフィードバックをかけられるようには思えません。

「先生がとてもよい人」というまさにこの1点が、この病院のレピュテーションを高め、受付の怠慢を相殺してしまうポイントとしても機能することが想像できます。

そしてこう結論づけています。

かくして「経験から学び」「職場から学べず」に、僕が経験することになった「惨い対人態度」が形成されたものと考えられます。

しかし話はこれでは終わらずさらに考察が入ります。

筆者自身がこの状況を俯瞰でとらえこうつけ加えます。

しかし、この解釈にも一定の限界があることも最後に付記しておかなくてはなりません。

それは「通院という出来事の非対称性から生じるバイアス」です。

ここでいう「通院という出来事の非対称性」とは、受付の方にとっては「患者が通院してくるという出来事」が、「日々、数分単位で繰り返されるオペレーション」であるのに対して、患者にとって、それは「当事者意識の強い、一回性の、しかもネガティブな出来事」であるという事実です。

すなわち、ここには立場の違いによる「非対称性」が存在する。

だから自分が受付の彼女を見る目にも、バイアスがかかっていないのかを検証する必要があるのだと。

患者と医療事務員の非対称性

非常に客観的に見られており的を得た考察です。

そして医療機関側としてはあらためて気づくのです。

患者と医療事務との非対称性のヤバさに。

おそらく推察するに筆者が遭遇した医療事務員は、それがホントに普段の対応だったのだと思います。

特別その日だけがモチベーションも低くて、いちじるしくコミュニケーション能力が低下していたのではないはずです。

それがもう普通なのです。

考察のとおり、受付にとっては日々繰り返されるオペレーションという認識なのです。

しかしその彼女も最初からそんな接遇だったのではないはずです。

新人の頃はきちんと患者のことを考え、その立場に身を置き高いホスピタリティ精神を持っていたはずです。

しかし実際はそんなこちらの想いが伝わらない、きちんと聞いてくれない、自分勝手な患者がいることも事実。

それは病院という状況がつくり出す必然でもあります。

単なる接客業ではない、相手にするのは具合が悪い人。

そこにはどうしてもポジティブな空気を打ち消してしまうネガティブが広がってしまうのです。

どんなに丁寧な対応をしてもクレームは出てきます。

どんなにきちんと自分の仕事をこなしていても、関係ない部署の愚痴を延々と言われたりもします。

診察の待ち時間が長いってこっちに言って来られても困る。

会計時に薬の追加を言われても困る。

診察を受けておいて高すぎると言って支払いを拒否されても困る。

それでも仕事だからきちんと対応しなきゃいけない。

でこんな安月給、やってらんない。

そう感じている医療事務員は多いです。

だから割に合わないと思ってしまう。

割に合わすためにはどこかを削る必要がある。

そして一番削ってはいけないホスピタリティを削っていくのです。

そして日々繰り返されるオペレーション、業務のルーチン化へとなり下がっていくのです。

結局は人

先のブログはこう締めくくっています。

帰り際、また受付をとおります。

あっ、今度は人が変わりました。

先ほどの女性はいなくなり、新たな方が受付にたっています。

会計時、今度の受付の方は、非常に易しく、子どもにも接してくれます。

そのほほえみに癒されました。

興味深いのは、ここが、「先ほどと同じ病院」とは、あまり思えません。

受付のクローゼットの色すら「暖色」に見えてくるから不思議です。

嗚呼、あたたかい。

そう、結局、「人」なのです。

「人」で「風景」は変わるよね。

一般の人なら「そうだよね~」で終わればいいのですが、僕たちはそうはいきません。

結局は人。

それは十分わかっているつもり。

でもやっぱりわかってはいないのです。

今後AI・ICTの発展により医療事務の仕事は減っていきます。

ですがそれは悲観的なことではありません。

AIに仕事を奪われるという認識は間違っていて、どう共存するか、すみ分けるかという話です。

よってAIに代替されにくい部分を高めていくことこそが、市場価値を上げることに繋がります。

そしてどれだけAI・ICT化されようとも受付は残り続けます。

たとえすべてが機械化されたとしても、一番最後まで必要なのが人による受付です。

AI化された未来において新たに生まれる職業は「話し相手」なんだそうです。

だからたとえ医療事務という職種がなくなっても、受付要員は必ず残ります。

だとすればそこに自院のリソースを注いで質を高め、他院との差別化を図るというのは当然行っていくべき戦略です。

ですが今回のブログのような例はあとを断ちません。

これはその個人の責任なのでしょうか?

いいえ、それは組織の責任です。

しかし僕たちはあまりにもその点を、軽視しているのではないでしょうか?

接遇研修はしているよ、指導、教育もしているよ。

だったらあとはその個人の問題じゃない?

または委託しているところであれば、それは委託会社の責任だと。

別に誰の責任であっても構いません。

ですが医療機関関係者なら聞き飽きているであろう「受付は病院の顔」ということ。

ここに注力しきれていないところって少なくありません。

外部評価でAだったから安心?

それはその評価機関だけでの評価です。

それは患者の評価と一致していますか?

患者満足度のデータだけで判断していませんか?

そもそもそのアンケートのとり方は最善ですか?

実際競合する他の医療機関の受付がどうなのか見たことはありますか?

つまりは患者目線です。

具合が悪くて行っているのに、対応が悪くて気分が悪いって最悪です。

それこそ患者にとっては、その1回きりの受診かもしれない。

でもそれが最悪だったら、もうその人にとって一生最悪な病院です。

この筆者が仮に帰る際も受付時と同じ人に対応されていたなら、そこの病院は無気力で怠惰で傲慢さを持った職員がいる最悪な病院という評価で固まっていたことでしょう。

これは非常に怖いことであり危険なことなのです。

ですが医療事務員側は、そんなにヤバいこととはみじんも思っていないのです。

そこには患者と医療事務員の非対称性が大きく影響しています。

結局は人、そしてそこをどれだけ重要視できるのか。

医療機関が問われている問題は、シンプルでありながらかなりの難題なのです。

まとめ

 

接遇ってある意味一番難しいです。

それは相手が患者という対象だからです。

そして患者と医療事務員の非対称性の問題。

これは事前にレクチャーしてなんとかなる問題ではありません。

すべてがその場、その瞬間の相互の関係にて成り立っているものであって、正解があるものではないからです。

正解は探さないといけない。

そのためには患者に歩み寄る姿勢がないと話にならない。

でも実際は自分はできているという人でも、はた目から見れば「えっ」て思う対応をしている人がいるのも事実。

やっぱり必要なのは自分を客観視する力です。

自分よがりじゃダメなんです。

自分ではできていると思っていても、無気力と怠惰と傲慢と思われている可能性だってあるのです。

それだとあまりにも乖離しすぎでしょう。

自分を見誤っている人って少なくないです。

医療事務をやっていると、ホントは患者に言いたいことって山ほどあります。

でもそこはやっぱり自分は医療事務員なんだということを強く認識しないといけない。

これは、決して何でもかんでも我慢しろということを言っているのではありません。

間違っていることは間違っているときちんと伝える、不当なことには毅然とした態度で応じる、これは基本です。

ですがそれ以上にホスピタリティの向上ってなぜ必要か、どれくらい重要かってことをしっかり理解しておくことが必要です。

ホテルなどとは違う病院の接客、接遇ってどういうことなのか、何を目指すべきなのかということをもう一度深く考えてみるべきです。

「そんなの綺麗ごと」って思いますか?

それとも「そうだよな、考えてみよう」って思いますか?

もうそこで大きく分かれます。

結局最後は自分のマインドしだいってことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です