今週のイチオシ記事 → 【仕事のキホン】反面教師は最高の教師!

【解決策は何?】患者と医療事務員の非対称性問題

私はネットで調べ物をしていて気がついたらはじめの目的とは違う地点にたどり着いていることがよくあります。

またひとりの方のブログを読みふけって気がついたら何時間も経っていたってことなんかもあります。

先日もある大学教授の方のブログを延々過去にさかのぼって読みふけっていました。

するとある記事が病院受付でのできごとについてでした。

今回はその内容について述べていきます。

ごまお

受付はどう見られているのか?

【解決策は何?】患者と医療事務員の非対称性問題

 

結論

患者目線があるか、ないか?もうそこだけです。

無気力と怠惰と傲慢さ

その記事の内容をざっくり説明します。

記事はコチラ⇒⇒⇒無気力と怠惰と傲慢さは、いかに「学習」されるのか?:人に接する職業にひそむ罠!?

実際どういったやりとりがなされたのかはそこには書かれていません。

ですので正確にいうと病院受付でのやりとりではなくて、それを受けての筆者の考察記事となっています。

筆者の方は父親で子供さんと病院に行かれたようです。

そこで筆者いわく「むごい経験」が待っていた、とのこと。

そこから筆者の考察が始まります。(筆者の専門は人材開発・組織開発)

そもそも筆者はそこでの受付応対を無気力と怠惰と傲慢さと見ています。

まずこの無気力と怠惰の対人態度がどのような経験の蓄積によって学習されたのかを考察しています。

思うに、病院の受付とは、患者からのクレームや要望が殺到するフロントラインであり、患者の中には「ややこしい患者」もいたのかもしれません。

そのような患者を相手にすることを長期に繰り返していれば、そのような対人態度が「学習」されたのも無理はないことです。

次に傲慢な他者への態度はなぜこれまで学習棄却されずに残存してしまったのかを考察しています。

外見から想像するに、彼女は「年配者」であり、この病院でも「古株」に思えます。

きっと業務知識を豊富に有する彼女に対しては、何かリフレクションするべき事態がおこっても、他者からフィードバックをうける機会は「限定的」だと考えられます。

先生はとても「よい人」なのですが、そのやさしい性格にくわえ、診察室と受付は隔絶されており、かの先生が扉を一枚隔てた人に対してフィードバックをかけられるようには思えません。

「先生がとてもよい人」というまさにこの1点が、この病院のレピュテーションを高め、受付の怠慢を相殺してしまうポイントとしても機能することが想像できます。

そしてこう結論づけています。

かくして「経験から学び」「職場から学べず」に、僕が経験することになった「惨い対人態度」が形成されたものと考えられます。

しかし話はこれでは終わらずさらに考察が入ります。

筆者自身がこの状況を俯瞰でとらえこうつけ加えます。

しかし、この解釈にも一定の限界があることも最後に付記しておかなくてはなりません。

それは「通院という出来事の非対称性から生じるバイアス」です。

ここでいう「通院という出来事の非対称性」とは、受付の方にとっては「患者が通院してくるという出来事」が、「日々、数分単位で繰り返されるオペレーション」であるのに対して、患者にとって、それは「当事者意識の強い、一回性の、しかもネガティブな出来事」であるという事実です。

すなわち、ここには立場の違いによる「非対称性」が存在する。

だから自分が受付の彼女を見る目にもバイアスがかかっていないのかを検証する必要があるのだと。

患者と医療事務員の非対称性

非常に客観的に見られており的を得た考察です。

そして医療機関側としてはあらためて気づくのです。

患者と医療事務との非対称性のヤバさに。

おそらく推察するに筆者が遭遇した医療事務員はそれがホントに普段の対応だったのだと思います。

特別その日だけがモチベーションも低くて、いちじるしくコミュニケーション能力が低下していたのではないはずです。

それがもう普通なのです。

考察のとおり、受付にとっては日々繰り返されるオペレーションという認識なのです。

しかしその彼女も最初からそんな接遇だったのではないはずです。

新人の頃はきちんと患者のことを考え、その立場に身を置き高いホスピタリティ精神を持っていたはずです。

しかし実際はそんなこちらの想いが伝わらない、きちんと聞いてくれない、自分勝手な患者がいることも事実。

それは病院という状況がつくり出す必然でもあります。

単なる接客業ではない、相手にするのは具合が悪い人。

そこにはどうしてもポジティブな空気を打ち消してしまうネガティブが広がってしまうのです。

どんなに丁寧な対応をしてもクレームは出てきます。

どんなにきちんと自分の仕事をこなしていても、関係ない部署の愚痴を延々と言われたりもします。

診察の待ち時間が長いってこっちに言って来られても困る。

会計時に薬の追加を言われても困る。

診察を受けておいて高すぎると言って支払いを拒否されても困る。

それでも仕事だからきちんと対応しなきゃいけない。

でこんな安月給、やってらんない。

そう感じている医療事務員は多いです。

だから割に合わないと思ってしまう。

割に合わすためにはどこかを削る必要がある。

そして一番削ってはいけないホスピタリティを削っていくのです。

そして日々繰り返されるオペレーション、業務のルーチン化へとなり下がっていくのです。

医療事務員には医療事務員の言い分がある。

それはよくわかります。

ですがそれを言ったところで何になる?私はそう思います。

よくツイッターで「やってらんない」「なんでもかんでも言ってくんじゃねえ」みたいな愚痴をたれ流している人がいますが、私はそれは嫌いです。

言って何になる?

感想はそれしかないです。

「こう言われた。だったらどうすべきだったのか。」

「相手から自分はどう見えていたのか。」

「次同じことが起こったらこうした方がいいだろうな。」

そんな建設的な意見があればまだいいです。

ですがそれらの大部分は「こんなことがあった。おかしくない?」「むかつく」ただそれだけです。

そしてそれに共感する他の医療事務員の人。

私には傷のなめ合いをしているとしか見えません。

「いや、つぶやいてスッキリする」「共感してもらって気が楽になる」そう思う人がいるかもしれません。

ですがそれはネガティブをばらまいている行為だということに気づいた方がいいです。

ネガティブは高速で感染します。

そして受け手は知らぬ間に受動ストレスに巻き込まれていくのです。

受動ストレスを避けよう【ネガティブに引っ張られるな!】

言ってスッキリするのはその瞬間だけです。

何も解決していない。

そして言うことによって周りをネガティブに引っ張っているだけの行為です。

それは周りにばらまくべきではない。

だったらため込むのか?

そうではありません。

想いがあるなら書いてください。

すべてを紙に書いてそして自分で客観的に見つめ直してください。

つまりは内省です。

むかついたこと、失敗したことすべて含めて見つめ直し、気づきを得て新たな行動へとつなげる。

そうでなければネガティブを学習し続けるだけです。

結局は人

先のブログはこう締めくくっています。

帰り際、また受付をとおります。

あっ、今度は人が変わりました。

先ほどの女性はいなくなり、新たな方が受付にたっています。

会計時、今度の受付の方は、非常に易しく、子どもにも接してくれます。

そのほほえみに癒されました。

興味深いのは、ここが、「先ほどと同じ病院」とは、あまり思えません。

受付のクローゼットの色すら「暖色」に見えてくるから不思議です。

嗚呼、あたたかい。

そう、結局、「人」なのです。

「人」で「風景」は変わるよね。

一般の人なら「そうだよね~」で終わればいいのですが、私たちはそうはいきません。

結局は人。

それは十分わかっているつもり。

でもやっぱりわかってはいないのです。

このブログでは何度も医療事務の仕事は将来的に減ってくよということを言っています。

AIが支配?10年後に医療事務の仕事は残っているの?【医療事務】15年後には91%の仕事がなくなります【診療情報管理士】

ですがそれは悲観的なことではないのです。

AIに仕事を奪われるという認識は間違っていてどう共存するか、すみ分けるかという話なのです。

そしてAIに代替されにくい部分を高めていくことこそが市場価値を上げることにつながるのです。

医療機関にとってもそうです。

どれだけAI・ICT化されようとも受付は残ります。

たとえすべてが機械化されたとしても一番最後まで必要なのが人による受付です。

AI化された未来において新たに生まれる職業は話し相手なんだそうです。

だからたとえ医療事務という職種がなくなっても受付要員は必ず残ります。

そうだとすればそこに自院のリソースを注いで質を高め、他院との差別化をはかるというのは当然していくべき経営戦略なのです。

ですが今回のような例はあとを断たない。

これはその個人の責任なのか?

いいえ、それは組織の責任です。

しかし私たちはあまりにもその点を軽視しているのではないでしょうか。

接遇研修はしているよ、指導、教育もしているよ。

だったらあとはその個人の問題じゃない?

または委託しているところであれば、それは委託会社の責任だと。

別に誰の責任であっても構いません。

ですが医療機関関係者なら聞き飽きているであろう「受付は病院の顔」ということ。

ここに注力しきれていないところって意外と多いと思います。

外部評価でAだったから安心?

それはその評価機関だけでの評価です。

それは患者の評価と一致しているのか。

患者満足度のデータだけで判断していないか。

そもそもそのアンケートのとり方は最善なのか。

実際競合する他の医療機関の受付がどうなのか見たことはあるのか?

つまりは患者目線です。

具合が悪くて行っているのに、対応が悪くて気分が悪いって最悪です。

それこそ患者にとってはその1回きりの受診かもしれない。

でもそれが最悪だったらもうその人にとって一生最悪な病院です。

この筆者が仮に帰る際も受付時と同じ人に対応されていたなら、そこの病院は無気力で怠惰で傲慢さを持った職員がいる最悪な病院という評価で固まっていたことでしょう。

これは非常に怖いことであり危険なことなのです。

ですが医療事務員側からだとそんなにヤバいこととはみじんも思っていないのです。

そこには患者と医療事務員の非対称性が大きく影響しているのです。

結局は人、そしてそこをどれだけ重要視できるのか。

医療機関が問われている問題はシンプルでありながらかなり難題なのです。

まとめ

接遇ってある意味一番難しいです。

それは相手が患者という対象だからです。

そして患者と医療事務員の非対称性の問題。

これは事前にレクチャーしてなんとかなる問題ではありません。

すべてがその場、その瞬間の相互の関係にて成り立っているものであって、正解があるものではないからです。

正解は探さないといけない。

そのためには患者に歩み寄る姿勢がないと話にならない。

でも実際は自分はできているという人でもはた目から見れば「えっ」て思う対応をしている人がいるのも事実。

やっぱり必要なのはメタ認知なんです。

自分よがりじゃダメなんです。

自分ではできていると思っていても、無気力と怠惰と傲慢と思われている可能性だってあるのです。

それだとあまりにも乖離しすぎでしょう。

自分を見誤っている人って結構いると思います。

「そういうお前はどうなんだ、何様のつもり?」と思う人もいるだろうと思います。

確かにそうです。

私も患者目線でいくとイケてない医療事務員なのかもしれない。

でも、そうかもしれない、という目線で客観的に見るようには心掛けています。

医療事務をやっているとホントは患者に言いたいことって山ほどあります。

でもそこはやっぱり自分は医療事務員なんだということを強く認識しないといけない。

決して何でもかんでも我慢しろということを言っているのではありません。

間違っていることは間違っているときちんと伝える、不当なことには毅然とした態度で応じる、これは基本です。

ですがそれ以上にホスピタリティの向上ってなぜ必要か、どれくらい重要かってことをしっかり理解しておくことが必要です。

ホテルなどとは違う病院の接客、接遇ってどういうことなのか、何を目指すべきなのかということをもう一度深く考えてみるべきです。

「そんなの綺麗ごと」って思いますか?

それとも「そうだよな、考えてみよう」って思いますか?

もうそこで大きく分かれます。

要は自分のマインドしだいってことです。

ごまお

受付のプロに徹するべき。そのために何をすべきか?もう一度自分を見つめなおそう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です