新人教育について考えるシリーズの4回目です。
今回は教育係がやってはいけないことについてです。
ごまお
目次
新人教育には何が必要?【新人教育のコツとは】その④
結論
3つのないに気を配りましょう。
3つのない
3つのないとは次のことを指します。
1.比べない
2.怒らない
3.あせらない
1.比べない
誰と比べないか?
それは自分とです。
はっきりいってこれをしていない人はほぼいないと思います。
自分が経験してきたことを教えるのですから当時の自分と比較することは当たり前の行為です。
それは人間であれば普通してしまうことです。
そして思うのです、「自分が新人だった頃はもっときつかった」「それでも耐えたし頑張った」と。
ここでは誤りが2つあります。
まず1つ目は昔と今では価値観が違いすぎるということです。
それこそ私たち世代からもう少し下の世代まではいわゆる根性論がまかり通っていた世代です。
学生の頃なら教師からビンタなんて普通にありましたし、働き出してからもできないのはお前が悪い、いやなら自分ではい上がれ的なスパルタ指導が主流でした。
経験者からするとこれは全面的にダメだとはいえない部分もあるのですがここでは置いておきます。
ただ明らかなのは現代の新人の人たちにはそのような根性論は一切理解できないということです。
ですので頑張るという意味の認識を新人と教育係で合わせておく必要があります。
その頑張るということばの中に根性というエッセンスを混ぜてはいけないのです。
論理的でない話には一切の価値がないことを私たちベテランは知っておかなければいけません。
次に2つ目ですが確実に昔の自分を美化しすぎているということです。
これは間違いなくそうです。
だってそれは自分の主観だからです。
どこにも客観的な事実は残っていません。
あるのは自分の記憶のみです。
であるならば今の自分を作っている過去の自分、そしてその経験を美化しない方がおかしいのです。
そこは全面的に肯定しないと今の自分がゆらいでしまうわけです。
だから全力で肯定、最強に美化します。
そのバイアスはどう注意しても入り込んでしまうものなのです。
そして新人からすればその美化された過去と現状を比較されたらたまったものではありません。
それは事実同士を比べていないので何の意味もないのです。
きちんと認識するべきなのです、自分だって昔はできなかったんだということを。
そこを認識して教えるのと認識せずに教えるのとではその結果は全く違うものになります。
ごまお
2.怒らない
よく人を育てるにあたって「怒る」と「叱る」は違うという主旨の内容を目にすることがあります。
【怒る】
1. 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。
2.よくない言動を強くとがめる。しかる。
【叱る】
目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。
「怒る」の中に「叱る」という言葉も出てくることから同じような意味だと考える人も多いようですが厳密には大きな違いがあることを理解しておく必要があります。
それは「怒る」と言うことは自己の感情の表現でしかなく「叱る」と言うことは相手のことを考えた上でのことである点です。
たとえば部下が指示通りの業務を行わなかった、決められた通りの手順を行わなかった、こうした行動に対して腹を立て感情をあらわにすること、その怒りの感情を相手にぶつけることを「怒る」と言います。
一方「叱る」と言う行動はただ怒りの感情をぶつけるのではなく、失敗などに対してなぜそうなったのか、どうすべきだったのか、など気づきを与える行為であることを言います。
「怒る」と言う行動がただ感情をぶつけることに対して「叱る」と言う行動は相手に気づきを与えることを目的とします。
新人教育時にとるべき行動は「怒る」ことではなく「叱る」ことだということがこのことから分かると思います。
上記はつまり「怒る」のは自分の感情をぶつけるだけで相手のことを考えていない行為、「叱る」は相手のために強く言う行為であり「叱る」行為が良いとの結論です。
ですが私はこの結論には強い違和感があります。
説明では相手のために叱るとしていますがそれはあくまで上位者の論理です。
教える側の一方的な解釈です。
受け側の視点が入っていません。
いつも言っていますメタ認知力(俯瞰力)の問題です。
たとえ教育係が怒っているのではなく叱っているのだ、との認識で言っていても言われている側からするとダメ出しされていることにはかわりありません。
感情まかせの「怒る」は論外ですが相手のためを思っての「叱る」だとしてもどちらでもそのストレスはかかりダメージは残るのです。
だからといって叱ってはいけないという話でもありません。
大事なのは一律の固定化された指導方法は存在しないということです。
たとえ怒ろうが叱ろうがへっちゃらな人がいる一方、少しの指摘だけでもへこむ人はいます。
その人のキャラに合わせた指導のやり方を見極めないといけないということです。
以前述べた部分ともかぶるのですが線から点を理解する人もいれば、点から線の人もいるわけです。
そこに決まった方法はないのです。
そしてそこでは十分にメタ認知を効かせた指導を行う必要があります。
つまり、「怒る」「叱る」「指導する」とやり方はいろいろあれどすべて受け手の立場に立つ必要があるということです。
医療事務はホントに出入りの激しい職種です。
それは資格の有無を問わず、経験・未経験を問わず幅広く入ってこれる敷居の低さからくるものです。
それに反して仕事の内容は非常に煩雑で広範囲です。
この職種をゼロから教えようとするとかなりの時間と労力が必要になります。
今まで何度も途中で辞めていく人を見てきました。
見てきた中で言えることは教える側の問題、教わる側の問題は同じぐらいの割合で存在するということです。
違う言い方をすれば教える側の問題もかなりあるということです。
ですが自分たちにも問題があると認識している教育係は少ないです。
大部分の人たちはその自覚はありません。
新人に圧をかけることが先輩の専売特許ではないのです。
そんなことはせずとも教える手段、育てる方法はいくらでもあることに気づけるかどうかです。
ごまお
3.あせらない
ひとことで医療事務といってもその業務範囲はかなりの広さです。
そこを覚えていってもらうにはある一定の時間は必要だということを私たちは強く認識しておく必要があります。
それは分かっているという人でもいざ教育係となるとついすぐに結果を求めてしまいがちです。
「何が悪かったのかの指摘はしたからどう改善するかは自分で考えて」と投げる人がたまにいますが経験の浅い新人にそれは酷というものです。
それは完全にメタ認知が効いていない考え方です。
自分の今の考え方ができるのは何年もかけた経験によるものだいう認識が抜けてしまっています。
ミスをしたときはその指摘をするとともに改善案もはじめのうちは提示してあげるべきです。
そして一緒に考えることによって徐々に自分だけでも考えられる力がついてきます。
大切なのはすこしずつ成長させてあげることです。
今の実力のすこし上のラインを常にこえていけるようなフォローをしてあげることです。
はっきりいってこれはかなり手がかかる行程です。
しかし長い目で見れば確実にプラスになる行いなのです。
持つべきものは長期的な視点です。
結果をすぐに求めず根気よく育てていく意識が重要です。
まとめ
はっきり言って私自身も新人教育論については常に模索しています。
何が正解なのかなんて分かりません。
そもそも人間は十人十色の考えをもち、育ってきた環境も違います。
そして現代の新人は承認分化で育っていますので否定されることへの抵抗感はとても強いのです。
その中でいかに定着してもらうか、医事課の戦力となってもらうかの鍵は教育係が握っているのです。
そしてその教育係を教育するのが管理職の役目です。
つまり新人が定着する職場の上司は有能、離職率が高い職場の上司は無能ということもできます。
つきつめると新人教育とは医事課のシステム、マインドのあり方が問われてることにほかならないのです。
ごまお