できない理由ではなく、できる理由を探そう!【言い訳からはもう卒業】

「いつやるか?今でしょ」でおなじみの林修先生の言葉に

人はできない言い訳とやらない理由を見つける天才

というのがあります。

僕たちは努力せずとも、できない理由をいくらでも見つけられる力を持っています。

でもそれって自分の成長のチャンスを逃している行為でもあります。

言い訳なんてない仕事の方がいいのはわかっている。

でも出てしまう言い訳。

もうそんな繰り返しはやめませんか?

ぜひ明日から、できる理由を探せる人になることを目指しましょう。

できない理由ではなく、できる理由を探そう!【言い訳からはもう卒業】

 

結論

 

仕事ができるか、できないかは能力の差ではありません。

 

やろうとするか、しないかの意識の差です。

できない理由とできる理由

「できません」とはどういう意味?

林先生はこうも言っています。

好きなことは趣味でやればいい。

仕事っていうのはお金をもらってやることだからそれはお金を払う人に対して責任を取らなきゃいけない。

こっちが好きか嫌いなんかどうでもいい。

向こうがお金を払ったことに対して責任をとれるか。

そういうことがちゃんとできてるってプライドが持てるか。

そこだけでいいと僕は思う。

今回なぜこのテーマで書こうと思ったのかというと、この林先生の述べていることの意味を理解している人があまり多くないと感じたからです。

つまり上司の指示の持つ意味を、自分なりの解釈に変えてしまっている人が結構な割合でいるということです。

これは若い人もベテランも関係ありません。

両方思考停止状態です。

しかし、まだ若い人の方が思考停止具合は軽傷です。

なぜならこの場合は、単純に仕事のやり方が悪いというだけだからです。

往々にしてどうやったらいいのかわからない、という経験不足からくる「できません」が多いです。

これはきちんと教えていくことによって、できてくる可能性は高いです。

ですのでこちらはまだ望みのある「できません」です。

一方重症なのがベテランの「できません」です。

こちらはまったくダメです。

たとえば、入院係で内科系の経験が長い担当者に、外科系の手術の入力を指示したところ「できません」と返ってきました。

これはまだ何も教わってもいない時点での返事です。

そしてその理由を聞くと「もう歳だから覚えられない」というものでした。

この場合「できません」という言葉を使うのは誤りです。

正しくは「やりたくありません」です。

ここで先ほどの林先生の言葉に戻るのです。

好きか嫌いかなんてどうでもいいのです。

そんなことは問うてはいません。

そしてまずその前に前提が間違っています。

上司の指示は100%指示です。

「やってもらいたいんですが」ではないのです。

「やりなさい」なのです。

そこにあなたの意見なんて求めていません。

好きだろうが嫌いだろうがやるのが仕事です。

そもそもなぜ仕事をしてお金をもらえるか考えたことがありますか?

仕事って誰もがやりたがらないものだからです。

「仕事がするのが好きで、お金なんかいいからずっと働いていたいんです」という人なら給料なんて出す必要がありません。

ほっといても働いてくれるのですから。

でもそうじゃないわけです。

みんなお金が出ない仕事なんかやるはずがありません。

嫌な仕事でも給料が出るから誰もが働くわけです。

だったら当然、嫌な仕事、やりたくない仕事は出てきます。

そこをより好みする権限は、部下には一切ありません。

上司の指示には従うは大前提なのです。

ですが今の世の中においては、この前提はくずれつつあります。

ストレスチェック、パワハラ、セクハラ問題と現代は組織の中でも個を大事にしよう、尊重しようという風潮です。

それはとてもいいことです。

ですがそれと上司の指示に意見するということは、まったく別問題です。

ここのロジックを、自分の中ですりかえている人がとても多い印象です。

でも僕も全員がすんなり指示に従ってくれるなんて、これぽっちも思っていません。

それは十分わかっています。

ただ、いくらでも意見、不満は言ってもらっていいのですが、最終的には了承して貰わないと困るのです。

上司は全体を見て、その個人に対して指示を出します。

要は俯瞰しているということです。

本来組織の全員が俯瞰した見方ができれば理想的ですが、一人ひとりにそこまで望むのも酷な話です。

ですが少なくとも上司だけは、俯瞰したものの見方ができなければダメです。

そしてよっぽどその上司が無能でないかぎり、部下への指示は俯瞰した中での次の一手なのです。

全体を見た上で出した結論が、部下へのその指示なのです。

それを「できません」というならば、その俯瞰を超越した理由でないと上司が納得しないのは当然のことです。

そしてそんな理由なんて存在しません。

だから「できません」という返答はおかしいのです。

正しくは「やる気がありません」と言うべきなのです。

できる理由

ホリエモンこと堀江貴文氏は次のように言っています。

突き抜けられる人とそうでない人の違いは、物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。

それだけだ。

能力の差ではなく、意識の差なのである。

何事も「できる!」という前提に立って、そこから「できる理由」を考えていくのだ。

もうこの文章がすべてです。

できる医療事務員、できない医療事務員の決定的な差は能力なんかじゃありません。

知識と経験はあとからいくらでも足していけます。

単に能力だけで圧倒的な差なんて生まれません。

圧倒的な差は意識の差です。

人には2種類います。

まず進むことから考える人。

まず逃げることから考える人。

この両者では仕事の能力に圧倒的な差が生まれます。

当然、進むことを考える人の能力がどんどん伸びていくことになります。

何がそんなに違うのか?

それはまず最初に「できる」と思う、その思考です。

そこが土台です。

でも本当にできないことをできると思うことの方が間違っている、という意見もあります。

ですがそれが本当なら、前提がくずれているのです。

入って半年の新人に「査定率を0.1%まで下げたいから対策案を考えて」という上司がいたらその人は無能すぎます。

どうやっても現状の力ではできないことを振るのは、指示ではなくイジメです。

ですが実際そんな上司はいないでしょう。

この例は極端すぎますが、通常上司は部下が現状努力すればできるレベルの仕事を与えます。

だからまったくできない仕事を指示されたと部下の人が思うのであれば、とるべき行動は次のどちらかです。

①頑張ればできることなのに、自分でできないと思い込んでいるだけ。だからやってみる。

 

②ホントに上司が無能。だから転職する。

もうこのどちらかしかありません。

しかし結局はやるしかないのです。

なぜなら①も②も自分の主観でしかないからです。

特に②は危ないです。

何をもって上司を無能判定していますか?

有能、無能なんて相対的なものなので、そのときの状況、場面でいくらでも評価は変わります。

もしあなたから見て上司が無能だと思うのなら、まずは俯瞰してください。

自分の損得勘定だけで見るのではなくて、バイアスを取り払ってフラットな見方を心掛けてください。

ひとりよがりのものの見方は、自分の首をしめるだけということに気づきましょう。

 

ホリエモンの言葉に戻りますが、「できる」とはできるという前提に立つということです。

結果的にできた、できなかったの問題ではありません。

つまり、やろうとするか、しないかだけです。

シンプルにそこだけなのです。

まとめ

 

できるか、できないかじゃない。

やろうとするか、しないかだけ。

今回伝えたいことはシンプルにこれだけです。

ぜひやろうとする人になってください。

できない言い訳とやらない理由を探すのは、もうやめにしましょう。

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