「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」あなたは残念な人?【過集中と締め切り効果】

僕には小さい頃からなおしたい癖がありました。

そしてそれは今もなおっていませんし、今後もなおりそうにありません。

その癖とは「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」というものです。

小学校の夏休みの宿題はいつも8月31日から始めていました。

どうやらこのタイプの人は一定数いるようです。

あなたももしかしたら、そうではないですか?

このタイプの人は大人になっても、追い込まれなければできません。

この性格どうにかしたいなあって悩んだことはありませんか?

僕は結構悩みました。

でもふと思ったんです。

これはいけないことなのかなって。

追い込まれないとできないって悪いことなんだろうかって。

今回の記事は「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」ことは悪なのかどうか?という点を掘り下げます。

僕と同じタイプの人にとっては、1つの悩みを減らすヒントになるはずです。

「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」あなたは残念な人?【過集中と締め切り効果】

 

結論

 

悪ではないがバランスが重要です。

「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」のはなぜ?

過集中と締め切り効果

まずは言葉の説明をしておきます。

過集中

 

短期的にものすごい集中力を発揮したり、自分の関心が強い特定の物事に時間を忘れるほど没頭している状態。

 

いわゆるフロー状態。

 

フロー状態とは心理学者ミハイ・チクセントミハイによって名付けられた人間があることに没入している超集中状態を指しこれを俗に「ゾーンに入る」と言う。

 

ゾーンに入ることで時間が止まったかのような研ぎ澄まされている感覚を味わい、短い時間の中で適切な判断ができる。

 

しかもゾーンに入っているときは恍惚感、多幸感を抱くことも特徴。

 

これは痛みを快感に変える神経伝達物質「エンドルフィン」が脳内で分泌することによる作用である。

(出典:「黒子のバスケ」コミックス29巻より)

締め切り効果

 

作業の締め切りの時間を決めることでその時間までに終わらせようという意識が働いて集中力がアップする効果。

仕事において大切なことは、生産性の向上です。

そしてその生産性の向上には、高い集中力が必要です。

その意味においては、過集中と締め切り効果を利用することは理にかなっているともいえます。

効率と精度

尻に火がつくまで行動しない人はダメだ、伸びないとよく言われます。

自己コントロールができていない、計画性がないと。

それは外部の力が働かないとできないということであり、仕事ができるという定義とは真逆になります。

そこに異論はありません。

きちんと自己コントロールができる人は、計画的で十分な余裕を持って仕事を終わらすことができます。

ですが効率性の視点ではどうでしょうか?

締め切りには間に合っているという前提で、早い時期から始めた人とギリギリから始めた人がいた場合、効率性だけを見れば優れているのは後者です。

締め切り直前に始めて締め切りに間に合っているのであれば、すごく効率のいい方法といえるでしょう。

ですがここでギリギリ派を持ち上げると、当然指摘されることがあります。

「それ間に合っているだけで精度はどうなの?」ということです。

ギリギリのやっつけ仕事ならば、なんの意味もないからねということです。

確かにそうです。

しかし反対に聞きたいのです。

「時間と精度って相関するの?」と。

つまり、余裕をもって締め切りに間に合っているだけで、単に時間を消費しているだけにすぎないのではないか。

要はパーキンソンの法則にはまっているんじゃないかということです。

医事課の生産性とは? 【パーキンソンの法則】

つまり何が言いたいのかというと、ギリギリの精度が担保できる期間をとれる前提のもと、ギリギリのタイミングで始めることが最も生産性が高いといえるということです。

「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」のが気持ちいいワケ

しかし上記の主張はギリギリ人間のこじつけにも聞こえます。

やはり高い精度を保つにはそれなりの時間は必要です。

余裕を持って終われているからこそ、作業時間を詰めるということが可能になります。

その逆はありません。

いつもギリギリにしかできない人が、精度を考えてもっと前の段階からはじめるなんてことはできないのです。

そんなことができればとっくにやっています。

だったらなぜ締め切りギリギリまでできないのか?やる気にならないのか?

それを端的に表している一文がありました。

締め切りギリギリまでできない人の多くは、追い込まれたときの過集中による脳内麻薬インフレ状態と、うまく帳尻があったときの成功報酬が凄まじすぎて条件付けが成立してる

つまりゾーンに入り脳内麻薬エンドルフィンが分泌されている状態が気持ちいい。

そして締め切りギリギリでやりとげたというものすごい達成感。

この成功体験を1度経験してしまうが最後、もうそこからは抜けられないということです。

というわけで夏休みの宿題を8月31日から始めていた人は、大人になったからといってそのやり方が改善されることはないのです。

もう一生その快感からは逃れられないのです。

まとめ

 

 

「追い込まれないとできない」「締め切りギリギリまでできない」のは悪なのか?という問いの答えとしては善でも悪でもありません。

要はバランスの問題です。

あまりにも過度な追い込みは、身体的にも精神的にも異常をきたします。

かかるストレスがハンパないからです。

そしてゾーンに入るというのはそれだけ高密度な意志力、集中力を消費しますから、すべてが終わったあとの脱力感、疲労感というのもとても大きいものになります。

長い目で見ればその激しい波のくり返しは、いいものとはいえません。

ほんとにここぞ、というときのためにとっておく方がいいでしょう。

ギリギリメソッドはありだとは思いますが推奨はしません。

自覚して使うのはアリですが、夏休みの宿題感覚のまま流れにまかせそのまま使い続ければ、どこかで破綻するかもしれません。

自分をしっかりコントロールした上での使い分けが大切ですね。

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