最近の記事は生産性だったり市場価値だったり給料だったりという内容をよく書いているのですが、書いていてふと思うことがあります。
ブログって誰かの悩みを解決する、誰かの役に立つというものだと思うのですがそのような記事では誰の悩みも解決していないんじゃないか?ということです。
そもそも大多数の医療事務員はそんなことで悩んでいないのでは?ということです。
今回はこのあたりにフォーカスして述べていきます。
ごまお
目次
実は医療事務員は悩んでいない!?【守りが大事?】
結論
守ることは大事じゃない。
堕落
これは医療事務に限ったことではありませんが誰もが新人の頃は必死で走っていたはずです。
すべての仕事を全力で行っていたはずです。
ですが2年目になり慣れ、3年目、4年目になるとダレてきます。
これは仕方ない部分もあると思います。
人間はそんなに完璧にできていませんので惰性で働くとか緊張感が薄れるとかは当然出てくるものだと思うのです。
ですがそれはどこかで一度立て直すことが必要でたとえば3年目での新しい目標設定や新しいチャレンジによってもう一度初心忘るべからずの精神に戻れることもあります。
ですが逆にますますダレの境地に入っていってしまう人もいます。
本人は無意識か意識的かは知りませんが要は手を抜き始めるわけです。
もう全力で走らなくてもできてしまうから歩く。
ひどくなると歩くことすらしない。
それがたったひとりならまだ分かりますが、組織というのはその周りに影響が出ます。
つまり周りが歩いているのに自分だけ走っているのがバカらしくなるのです。
たとえば効率性を考え集中力を高め時間内に早々と予定していた仕事を完了させたとします。
すると終業時間までの間にさらに次の仕事がとんでくるわけです。
かたや非効率でダラダラと仕事を進めていれば新たな仕事を言い渡されることもありません。
そして生産性を上げようが下げようが給料は変わりません。
だとしたらいかに楽に稼ぐか。
そういう思考に誰もが陥っていくのです。
たまに「周りなんか関係ねえ、自分は自分の出せるすべての力を出す」として頑張る人も出てきますが結局周りの手抜き仕事でも自分の全力仕事でもそんなに評価が変わらないとなるとモチベーションが維持できなくなっていきます。
そして頑張って仕事している自分は損じゃないのかという考えに行き着いてしまいます。
全然損ではないんです。
結局この間違いは上司に評価されようとしているから起こってしまうのです。
上司は関係ありません。
上げるべきは上司からの評価ではなく市場からの評価です。
そういうとらえ方ができていれば早く仕事を終わらせるのが損だなんて考えにはなりません。
「さらに仕事がとんでくるのならもっと生産性を上げるまでよ」という思考になるのです。
ですがそんな特異な人はそうそういないわけです。
誰もが目先の損得勘定に走ってしまいます。
そもそも仕事の損って何なのでしょう。
仕事はすることでプラスになると思っていればいいのであって決して損にはならないはずです。
その人たちは何に対して損と思っているかといえば周りと比べて損と思っているのです。
だから周りが余裕をもって自分の仕事のテリトリーの線を引き始めると自分も負けじと余裕をもった線を引くのです。
そしてその余裕部分は決して他人に見せません。
できる人ほどこの余裕部分は大きくまたうまく隠します。
誰もがそんな全力で走り続けたくはないのです。
そんなしんどいことはしたくないのです。
そして能力が高い人はほどほどで走っていても結構なスピードが出せます。
だったら全開にする必要はないと思うのも当たり前のことかもしれません。
そうやって周りと歩調を合わせているといつのまにかできる人もそうではなくなっていくのです。
このように組織は個人個人の損をしたくない、少しでも楽したいという想いが重なり同調し結果的に堕落した集団へと成り下がっていきます。
保身
保身が全面的に悪いとはいいません。
自分の心身は他の誰でもなく自分で守らなければならないもので仕事において最低限のラインを引いておくことは必要です。
しかしこれはあくまで最低限です。
このバランスがいちじるしく自分よりな人が結構な割合でいるように思います。
本来医事課を守るという行為は自分の立場を守るということとイコールです。
だからたとえ自分の担当業務でなかったとしても医事課の問題としてとらえられることができるのなら「私の担当じゃないので」とか「私は今この仕事で手一杯なので」などのような発言にはならないのです。
ですが実際そのような人って少なくありません。
医事課の業務というのは厳密にいえば完全分割なんてできないのです。
すべてはつながっています。
連動しているのです。
Aさんの担当業務はAさんで始まってAさんで完了するなんてことはないのです。
たとえば窓口へ保険会社に提出する診断書を書いてほしいという患者さんが来たとします。
受付、預りはBさんが行います。
その後医師への依頼は診断書担当のCさんが行います。
そして診断書の作成代行はドクターズクラークのDさんが行い作成後の郵送も済ませました。
その後依頼した患者さんよりまだ書類が届かないとの問い合わせが入りました。
Dさんは預り証にあった住所には郵送済みであることを答えます。
ただその住所が間違っていればそれは知りませんというスタンスです。
かたやBさんは受付はきちんと行っている、郵送したのが届いていないのならばそれはもはや私とは全く関係ないことだというスタンス。
Cさんはこの問題には自分は一切関係ないというスタンスです。
まったく関係ないなんてことはないのです。
全員関係あります。
そしてこれはおのおのが自分の領域から半歩相手側に踏み出せばもっとスムーズに問題解決に向けて進めることができるのです。
ですがそう考える人の方が少ないです。
大半は自分のテリトリーの主張、責任回避に必死です。
保身はやってみれば分かりますが問題を他人に押しつけたらおしまいなので超絶ラクなのです。
そして誰もがラクが大好きです。
決して保身なんて思ってやっていません。
それが当然だと思ってやっているのが余計に恐ろしいのです。
悩むと考える
悩むことと考えることって一見同じように思いますが実は全然違います。
「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
つまり悩むことって時間のムダです。
本人は一所懸命に考えているつもりでも悩むばかりでただ時間を浪費しているケースが少なくありません。
そしてモチベーションの記事でも書いたのですが多くの医療事務員が求めているのは変化しない仕事と自分の環境です。

つまり安定と現状維持です。
なので「効率性?生産性?自己成長?モチベーション?それいる?」となるのです。
今の現状に満足しているわけじゃない、でも現状を変えようとは思わない。
そんな人が多いように思います。
そしてその人たちは給料が安い、残業が多いということを嘆き、悩みます。
「どうしたらもっと給料が増えるのか?どうしたら定時に帰れるのか?」
ですがそのことについて自分の答えを出して行動しようとする人はほぼいません。
だからまさに悩んでいるのです。
考えるフリをしているだけです。
要は本気では困っていないということです。
行動しないということはそうする必要がないと自分で判断しているから。
つまりどこか余裕なのです。
「いやそんなことはない。自分はせっぱつまっているんだ。」という人でも無意識下では余裕がまだ残っているのです。
タイトルの「実は医療事務員は悩んでいない」というのは違う言い方をすると医療事務員は悩んでいるともなります。
つまり、医療事務員は答えが出ないという前提のもとに考えるフリをしているということです。
要は本気をなくしているということです。
全力で走ることをバカバカしく思い、ラクな保身の道を突き進む。
そんな人が思っている悩みってホントの悩みじゃないんです。
だって本気でやってないでしょ。
本気でやったら全部解決してしまうかもしれない。
反対に全然解決しない場合もある。
でもそれはやってみないと分からないことでほとんどの人はやってもみないのです。
だから多くの医療事務員は悩むところまでもいっていないんじゃないかと思うのです。
まとめ
私の結論はだいたい同じ所へ帰結するのですが今回もこの言葉で締めます。
「挑戦して失敗しよう」
守ることに意味はありません。
現状維持は堕落するだけ。
常に全力で走れとはいいません。
しかし時には必死になることって絶対必要です。
全力を出さざるをえない状況に自分を追い込むことって必要です。
こんな私はマイノリティですか?
仕事ってもっとゆるくてラクなものなんでしょうか?
ごまお