人生においては得なことも起こり損なことも起こります。
人によっては「自分は損ばっかり」とか「わりと得なことも多い」なんてその感じ方はさまざまです。
そして仕事においてもそれは同様だとされています。
されていますというのは私はそうは思わないからです。
今回はこの仕事の損得という点について述べていきます。
ごまお
目次
本当のところはどう考えるべき?仕事の損得勘定
結論
全部自分の得だと思えばいい。
損ってどういうこと?
そもそも損得って自分の主観部分が大きいです。
それこそ金銭的にマイナスというように目に見えて損という場合もありますが、それ以外だと損得って自分のとらえ方でどうにでもなる場合も多いです。
損得勘定ってはっきりと分かれてしまうときもあればメリットでもありデメリットでもあるというように両方を含んでいるときもあります。
だから絶対得、絶対損なんてことは頻繁には起こらないのです。
たとえばこの先の年末年始。
中には出勤しないといけない医事課員の人もいるかと思います。
その場合「せっかくの正月なのに出勤なんて損」というとらえ方もできますが、「わざわざ人手の多い正月に出かける予定もないし、出勤した分の代休をあとあとの平日にとればゆっくりできる」と思えばこれは得になります。
ですのでこの場合年末年始に出勤かどうかが問題なのではなくて、自分がどう思えるかだけの問題なのです。
だからそこに損得問題は存在しないのです。
あるのはネガティブな思考の自分だけです。
もうひとつまったく違う例をあげます。
新人の教育係にはたまに私の理解の範囲外の人がいます。
その人の思考の根底には「自分が苦しかった経験はこの子にも同じように味わってもらわないといけない」「自分はしんどかったのにこの子がそんな経験をしないなんておかしい」というものがあります。
これは同じ目にあってくれないと自分にとっては損という考え方です。
自分がイヤなことをされたという場合に人がとる行動は2つに分かれます。
1つはその経験をふまえて他の人には同じ経験をさせないようにしようという考え方。
もう1つは同じ経験をさせるべきという考え方です。
これは偏見かもしれませんが女性はわりと後者の人が多いように感じます。
まさに損得勘定です。
自分が損するのは絶対イヤってことです。
ですがそれは全然損ではないのです。
そもそもそんなことをしているのが時間のムダです。
まったく効率的、合理的ではありません。
その行為は何も生み出しません。
ただ残るのはイヤな気分の伝承だけです。
それはどう考えたって医事課全体としてはマイナスの効果しかないのです。
教育係のストレスを解消しただけに過ぎずそれ以上の全体の損失を招いているだけです。
もはや誰も得していない状況です。
だから何にも残らないのです。
損をさけたつもりがまわりには損で自分も何も得しない、それじゃあ何のためにやっているのか分かりません。
だから思うのです。
仕事で損ってどういうこと?って。
苦境だからこそ突っ込む
苦しいときに人がとれる行動は2つです。
乗り越えるか避ける(逃げる)かです。
ここで自己啓発本だと「逃げてはダメだ。乗り越えよう。」となるわけですが私は一概にはそうとはいえないと思っています。
乗り越えるガソリンが入っていなければ途中で力尽きるだけです。
その場合は避けることも必要です。
ですがそれはあくまで一時しのぎに過ぎません。
いつかは乗り越えていかないといけません。
今いる職場がイヤで転職する。
これもひとつの手段なのでそのこと自体の是非は問いません。
しかし転職したところで自分のマインドが前と同じならば結果もまた同じなのです。
逃げることで損を回避したと思っていてもそれは回避できていません。
損を回避し得をとろうとするならば苦境でも突っ込んでいくマインドが必要です。
そもそも何が損で何が得かもよく分かりませんが。
苦しいときほど突っ込む勇気が必要です。
苦しいときって何が苦しいのかというと終わりが見えないことです。
今が一番底なのか、それともまだ下があるのか、それが見えないからどこまで頑張ればいいのか分からず苦しいのです。
でも思うのですが頑張れるところまで頑張ればそれでいいのではないかと。
大事なことはどれだけ頑張ったかではなくて、突っ込む決断をしたかどうかだと思うのです。
頑張れた、できたというのはあくまで結果論なのでそのときの状況でどうとでも変わります。
ですが進む決断というのは状況関係なく自分しだいです。
その攻めるマインドを持っているかどうか、大事なのはそこだけじゃないでしょうか。
ですのでそこには損得なんてないのです。
というか損得を考えている自分自身がもう損なのです。
多くの人が見誤っているのは苦境に突っ込んだら自分にとってつらいことばかり、失ってばかりで何も得るものがない、損って思っていることです。
それは真逆です。
苦境の時点でもう失うものは全部失っています。
あとは得るものばかりです。
一番大きく得るものは経験です。
一度苦境を経験しそれを乗り越えるとそのあと起こる苦境はそのレベルを越えてこないともう苦境とは思わなくなります。
要は慣れるのです。
だから幾度となく苦境を乗り越えてきた人は恐ろしくメンタルが強いです。
「この苦しさは前より弱いな。まあ大丈夫。」と思えるようになるのです。
だから苦境だからこそ飛び込むべきなのです。
それは自分を成長させてくれるボーナスステージなのです。
そんなおいしいタイミングを逃すなんてそれこそ損なのです。
損な仕事ってある?
ここで冒頭の話になるわけですが仕事の損得っていう意味が私には分からないのです。
やって損な仕事ってあるのでしょうか。
それは他人と比べてということなのでしょうか。
それとも自分の給料に照らし合わせてということなのでしょうか。
どちらにしてもこの仕事は損って思っている時点で損なのです。
「自分だけがまわりより業務量が多い、だから損。」
これはこの考え方が損。
「自分の生産性を上げるチャンス。市場価値を高めるいい機会。」
そう思える方が断然お得です。
もし「仕事量に給料が見合っていない、損だ」と思っている人がいるのならば自分を過信しています。
そして給料に対して間違った認識をしています。
給料と仕事量や頑張りはほとんど関係ありません。
給料は市場の生産性に大きく影響されます。
その点でいくと医療事務市場の生産性は大きくなく、今後も伸びません。
その中でどういう考え方をすべきかは以前に書きました。

ホントに給料に見合っていないと思うのならば市場を変えるしかないです。
それはできないというのであれば自分の医療事務業界での市場価値をどんどん上げていくしかありません。
そのためには損とか得とかいっている段階でもう上げるのはムリです。
すべてが自分を成長させる仕事、そういう意識じゃないとムリなのです。
まとめ
思慮深い人は行動が遅い、すぐ飽きる人は新しいことにチャレンジできる。
ものごとはすべて二面性があります。
メリットはデメリットでもあるわけです。
そう考えると得は損、損は得ともいえます。
目の前のことだけを見ると損だが長い目で見ると得、今は得だかあとあと損、そんなことっていっぱいあります。
だからそもそも仕事の損得勘定って話が無意味、不毛。
結局はとらえ方の問題です。
損って思っている人はそう思えばいい。
でもそこからプラスの何かが生まれることはありません。
だったらすべて自分の得って思っていればいいのです。
損得は表裏一体です。
マインドひとつで損は得に変わります。
そのマインドを持とうとするのかどうか。
それはすべてあなたしだいです。
ごまお