本当!?最近の新人は打たれ弱い【メンタルが弱すぎる】

いつの時代になっても世間のおじさん、おばさんは「最近の奴らは」「今どきの若い子は」という言葉を使いたがります。

僕が若い頃も当時の年配者はそう言っていましたし、現在においても我々おじさん、おばさん世代はことあるごとにそういう言い方をします。

その中でも特に耳にすることが多いのが「最近の新人は打たれ弱い」「メンタルが弱すぎる」という言い方です。

しかし本当にそうなのでしょうか?

おじさん、おばさんはそれは間違いないと思っている。

対して新人はその決めつけに不快感を抱いている。

はたしてどちらの感覚が合っているのか?

この記事ではその点を深掘って見ていきます。

最後まで読んでもらうことで、「最近の新人は打たれ弱い」論の全貌がわかるはずです。

おじさん、おばさんのあなたも、新人のあなたも、ぜひこの真実を知っておきましょう!

本当!?最近の新人は打たれ弱い【メンタルが弱すぎる】

 

結論

 

すべては大人たちの思い込みです。

「最近の新人は打たれ弱い」論の土台にあるもの

暗中模索の新人教育

医事課に今不足しているものの一つが「教える人材」です。

多くの医事課において人不足は切実な悩みですが、もっと問題なのはその人材を教育する人材が不足しているということです。

せっかく新人が入ってきてもそこを教える中間層のボリュームがなければ、きちんとしたOJTは行なえません。

また教育係の能力しだいで、新人の成長具合も当然変わります。

そこには確実に上手い教え方、下手な教え方というのが存在します。

そもそも教育係自身が、教え方を教わっていません。

その結果正解がないまま、自分の経験則にもとづいて自分なりに教えることになります。

しかしそこには自己流ではわからない正しいポイント、コツがあるのも事実。

そうやって試行錯誤を繰り返しながら新人教育は進んでいきます。

まさに暗中模索なわけです。

ラベリングしたがる大人たち

いろいろ試行錯誤してみたけれども、新人がなかなか成長しない。

そうなったとき教えている側にはどういう心理が働くのでしょう?

ほぼ間違いなくいえることは、自分の教え方が悪かったとは思わないということです。

つまりは他責思考ということ。

自責思考 VS 他責思考、 仕事での正解はどっちだ?

自分はきちんと教えているのに成長できないのは、もうその人自身の問題でしょうということです。

これは大抵の人がそうなります。

そこにはメタ認知は効いていないわけです。

ですのでそうなると、もうバイアスを取り除くことは不可能です。

結局教育係の自己中な世界が展開されてしまうのです。

つまり自分の教え方は正しいという前提で、すべての発言が行われるということ。

そうなってしまうと一番の禁句である「前にも言ったよね」までもが飛び出してきます。

そして「前にも言ったよね」を繰り返していると、新人はもう聞けなくなります。

確認することが怖くなります。

その結果、確認せずに続けていると、どこかでやらかしてしまいます。

そしてやらかしてしまえば、先輩からこっぴどく叱られダメージを受けます。

さらにそれがきっかけで立ち直りが遅かったり辞めてしまうことになれば、「今の子は打たれ弱いね」という思いに至るのです。

これは簡単にいってしまえばおじさん、おばさんの思考停止です。

仮に辞めてしまった人がいた場合でも、「最近の子は打たれ弱い」「メンタルが弱すぎる」というレッテルを貼ればそれで理由づけは終わります。

あとの細々した面倒くさいことは考えなくていい。

つまりいかなる場合も事前に「今どきの新人は」というラベリングを行っているということ。

その個人個人を見るのではなくて、今どき世代をひとくくりで見ている。

これはかつていわれた「ゆとり世代」も同様です。

そういうラベリングをしてしまえば、それで答えが出てしまうのです。

要は「最近の新人は打たれ弱い」という発言は、大人たちの保身以外のなにものでもないのです。

それは本当に超ざっくりした抽象論でしかないのです。

本当に昔より打たれ弱くなっているの?

次に本当に昔より打たれ弱くなっているのか?

この点についてはどうでしょう。

「本当に打たれ弱くなっている」

そう感じている大人は多いです。

ですがそれは何をもってそう言えるのか?

そこに根拠らしい根拠はありません。

結局すべては自分の主観にすぎません。

そもそも昔と比べることがナンセンスです。

現在は仕事の環境、要求されているものの重要性が、昔と大きく異なっています。

医療事務は今でこそ電子化、効率化が進んできていますが、昔は超アナログな仕事のやり方でした。

伝票を入力する、紙レセプトを点検する、電卓で計算する。

その場合に必要なのはとにかくマンパワーです。

人手がいないと話にならない。

レセプト期間に残業が多くなるのは仕方ない、時間はかかってもいいのでとにかく完成させてくれ。

それが昔のやり方です。

しかし今はまったく正反対です。

いかに効率化するか、生産性をあげるか。

そのための仕事において求められるスピードというのは、昔に比べて増しています。

そして業務を効率化すればそこまで人はいらないということで、簡単に人数が増えることはありません。

人数の問題ではない、業務効率の問題だろというのが上層部の言い分です。

そうなると現場の一人ひとりにかかる負荷も当然増してきます。

そしてそのしわ寄せは新人にまで及んでいきます。

つまり教育、指導する者自身が自分の担当業務で手一杯となり、きちんとした観察や指導ができなくなってきているということです。

なのにその責任のすべてを教わるものの能力のせいだと言われれば、そりゃあ新人も勘弁してくださいよと思うわけです。

そういった新人を取り巻く外部環境の比較もせず、新人個人の資質の問題にしてしまうのはあまりにも暴論です。

要するに本当に昔より打たれ弱くなっているのか?という問いには、根拠のない決めつけです、というのが答えなのです。

まとめ

 

今回の内容のようなことって結構あります。

そして我々おじさん、おばさんはそう思ってしまいがちです。

仕事においては特にそうです。

なぜなら今まで長年やってきた自分の仕事を、もっといえば自分自身を否定したくないからです。

つまり

自分が今までやってきたことは価値があるものだと思いたい。

 

つらくてもそれを乗り越えてきた自分が正しい、強いと思いたい。

 

歯をくいしばって頑張ってきた自分のメンタルは、なかなかのものだと思いたい。

 

そう思うには今の若い世代を否定するのが一番早いということ。

 

今の若者を下に見ることで、昔の自分がキラキラしたものだと感じられる。

なかなかにねじ曲がっています。

ですが僕たちはそれを無意識にやってしまっているのです。

自分を美化することに必死なのです。

 

また、もっとそもそも論をいえば、昔も今も新人は打たれ弱いよ、ということです。

なぜなら社会人としての経験がないからです。

今の職種に関する経験がないからです。

経験値もないのに上手く対処できるはずがありません。

そしてその結果ダメージを受けることは、至極当然のこと。

そんな当たり前のことを大人たちは気づけていません。

いや気づいていても、「自分はそうではなかった」と思い込んでいます。

いや間違いなくあなたもそうだったんですよ。

あなたも新人の頃は打たれ弱かったんですよ。

それが普通なんです。

それがだんだんと経験を積み成長していく。

その中で心も成長しメンタルも安定していく。

これは誰もが通ってきた道です。

ですので20年前の僕が今新人として入ったとしても、やはり今の新人と変わらないはずです。

だったら今現在の自分の価値観をそのまま今の新人の人たちに当てはめるのは、あまりにも酷な話なのです。

僕たちが思い描くように動いてくれることなど、ありはしないのです。

それが当たり前です。

だからこそ、そこから動けるように教え育てていくことこそが重要なのです。

できないのはその人の資質の問題、今どきの子だから、というラベリングをするのは簡単です。

でもそれでは何も見えてこない。

まずはその人たちと同じ目線におりること。

昔の自分と比べることには、何の意味もないと認識すること。

すべてのバイアスを取り除いて接すること。

そこまでしてもなお「最近の新人は打たれ弱い」「メンタルが弱すぎる」と言えますか?

もう一度新人としっかり向かい合う必要があるとは思いませんか?

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