以前サルトルの「すべての源は私です」ということについて書きました。

同様に今回は「事実と解釈を区別すれば問題は解決する」ということについて話していきます。
目次
あなたが話しているのは事実?それとも解釈?【サルトルの教え】
結論
事実ベースでの会話を心がけましょう。
サルトルの教え
まずはおさらいです。
ジャン=ポール・サルトル
フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。
右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。
自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物である。
(ウィキペディア引用)
サルトルはフランスが生んだ西洋哲学の巨匠です。
人々を行動に導いたサルトルの教えは「行動の哲学」と言われました。
サルトル自身自分の哲学を実践し「行動する哲学者」と称されました。
今回も 堤久美子 著「サルトルの教え」という本を参考にしています。
事実と解釈
その本の中にはこう書いてあります。
存在には「即自存在」と「対自存在」があります。
簡単に言えば、「即自存在」は「物」、「対自存在」は「意識」と考えることができます。
もっと言えば、「即自存在」は「即自分」、つまり「すぐ自分」ですから、実際に在る(=「事実」「実存」)と捉えられます。
一方の「対自存在」は、自分に対してどういう存在であったかということ、「解釈」「意識」「感情」としての存在です。
つまり
「即自存在」=「事実」「実存」
「対自存在」=「解釈」「意識」「感情」
ということです。
またこうも書かれています。
人は何かが起こったときに、物事を1つのこととして見てしまいがちです。
でも本当は、自分の人生に何かが起こったときには、2つのことが同時に起きているのです。
それが実際に起きた「事実」とそれに対する「解釈」です。
このことについては本書では交通事故が例として取り上げられています。
事実
交通事故が起こった
解釈
①「大変だ」って思う
②「誰もケガがなくてよかった!自分はなんてラッキーなんだ」
③「ちょうど、車を買い替えようと思っていたところだし、保険が下りるなら、まあよしとしよう」
要は交通事故が起こったことは間違いない事実だが、それをどう解釈するかはまた別の話だということです。
ですので、物事には即自と対自がある。
そのことをいつも心に留めておくと、何かが起きたとき、自分を冷静に観察するクセがつくようになる。
そう綴っています。
ここを読んでいて気づくことが1つあります。
それは私たちは普段往々にして「事実」と「解釈」をごちゃまぜにして考え、そして話しているということです。
たとえば先日こんな出来事がありました。
ある患者から日勤帯にクレームの電話がありました。
ですがそのことがわかる担当者はその日は休みでした。
ですので、もう一度明日こちらから電話させてもらう旨を伝えて電話を終えました。
その電話を受けたAさんはその内容を夜間の当直者へメモにして申し送りました。
その時点でのAさんの感想は、話は伝わっている、そんなに怒っているわけではない、というものでした。
そしてその日の夜、その患者から再度同じ内容の電話がありました。
今度はその電話は当直者のBさんが受けました。
Bさんが受けた感想は、患者はすごく怒っている、話は全然伝わっていない、そもそも聞いた内容と申し送りのメモの内容が全然違う、というものでした。
Bさんはそのことを朝出勤してきたCさんに伝えました。
そしてCさんがそのことを僕に伝えてきました。
患者はすごく怒っていたと。
Aさんの申し送りが間違っているんじゃないかと。
Aさんがきちんと患者と話できていないんじゃないかと。
これこそが「事実」と「解釈」をごちゃまぜにして考え、そして話している最たるものです。
ここでいう事実とは何でしょうか?
それは患者からのクレームです。
それだけは間違いないです。
ですが、患者が怒っているか、それほど怒っていないか、話が伝わっているか、伝わっていないかなどはすべて対応した者の解釈に過ぎません。
また、Aさんに夜間にあった電話のことを伝え事実確認をした上での話ならまだわかりますが、それもせず他人に自分の解釈を伝えるBさんも、そしてそれを鵜呑みにして僕に伝えてくるCさんも医療事務員としては失格です。
医療事務員である限り患者からのクレームは避けることができない事柄です。
そしてそのクレーム対応で一番大切なことは事実を確かめることです。
当然クレームを言ってくる方は自分の正当性のみを主張してくるので、それを鵜呑みにすることはできません。
でもかといって、この人はクレーマーだと認識して自分の解釈で相手を決めつけてしまうことは絶対してはいけないことです。
そうするともう事実は何も見えなくなる。
その時点でもう問題解決には向かわなくなります。
重要なことは事実と解釈を明確に切り分けることです。
言うなれば事実の客観視です。
それができないと物事の本質からズレにズレてあさっての方向な結論しか出てこなくなります。
解釈で会話をしない
私たちが普段何気なくしている会話には解釈が入りまくっています。
たとえばこんな風にです。
「入院係はレセプト残業が多くて大変な仕事だよ」
→ 残業時間はどれくらいあるのか?そしてそれを多いと感じるのかどうかなんて人による
上司「医事課主催の院内勉強会はどうだった?」
部下「悪くない反応でした」
→ 何が事実で何が解釈なのかがわかりにくい
「Aさんのやり方には賛成できないってみんな言ってます」
→ みんなって全員ってこと?ホントに全員なの?
つまり、人は自分の主張を通したい、自分を守りたいっていう本能がどうしても働くため、しらずしらずのうちに話を盛っていたり、あいまいな言い方でその場を切り抜けようとしてしまうということです。
でもこれではホントに何も正しく伝わらないのです。
解釈を聞いてその解釈を伝えるみたいな、もはやもともとの主旨が何も伝わらない伝言ゲームをしている場合だってあるのです。
十分に気をつけましょう。
まとめ
あなたが話しているのは事実なのか?それとも解釈なのか?
その点は常に意識しておかなければいけません。
まずは現実を理解することが先決です。
解釈はそのあと。
大事なのは主観ではなくて客観です。
事実は客観です。
だから誰が見ても変わらない。
でも解釈は主観です。
それは人によって変わるもの。
事実と解釈を混ぜて話すことはなるべく避けましょう。
そして解釈だけで話すことは絶対に避けましょう。
それでは何も伝わらないし、仕事としては超非効率です。
しかし、現実は解釈だけで話している人って意外に多いです。
「それはあなたの感想ですよね」ってやつです。
仕事ができる人になりたいのであれば、感想を言っていてはダメです。
事実ベースで話せる能力を身につけなければいけない。
だから結局「メタ認知力」が絶対必要なスキルってことですね。
