「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーはいいました。
ですので私たちの仕事の悩みも結局は人間関係となります。
そして部下は上司に悩み、上司は部下に悩みます。
さらに部下の視点からすると、「この上司でなかったらもっとやる気もでるのに」とか「ホントこの人無能」って感じる上司もきっといることでしょう。
そういう他人ごとの私も実際はそう思われているかもしれません。
今回は医事課とその上司ということで考察していきます。
先に断っておきますが、本記事はすべて自分に対して投げている記事でもあります。
他人ごとのように書いている部分もすべて自分ごととして書いていきます。
ごまお
目次
【即解決】医事課を良くする一番の方法は上司を変えること!?
結論
医事課の生産性に対して上司が与える影響力は決して小さくはない。
上司とは?
上司の能力
「名選手名監督にあらず」というのはいかなる場合にも当てはまります。
仕事においてももちろんそうで、プレイヤーで優秀なのと管理者で優秀なのはまったく別です。
そしてプレイヤーでは優秀なのに管理職としては残念という人の割合はかなり高いのではないかと思います。
また私のようにプレイヤーとして優秀でなくても、それなりに管理職におさまっているという人というのも多いと思います。
以前に組織論としてピーターの法則を紹介しました。

これはかなり本質を突いていると思います。
結局主任でとどまる人は主任として、係長でとどまる人は係長として、課長でとどまる人は課長として優秀ではないということです。
その役職がその人の超えらない壁というわけです。
そう考えると長らく課長で居続けることは能力の証明にはならないということです。
それはむしろ課長としての能力がないということの証明になってしまうということです。
ですのでここだけ切り取ると世間の医事課長の能力は総じてそんなに高くないということになってしまうのですが、これは極論すぎます。
優秀な人はたくさんいます。
ですがそうでない人もたくさんいます。
やはり名選手名監督にあらずなのです。
これは逆に凡庸な選手でも名監督となる場合もあります。
もう完全に必要とされるスキルが全然違うのです。
医療事務は離職率の高い職種であるというのは今まで再三言ってきたことです。
そしてまた医療事務は圧倒的女性多数な職場です。
ごちゃごちゃした人間関係なんて山ほどあります。
そしてまた微妙なバランスで成り立っている人間関係も山ほどあります。
その中において、どうマネジメントしていくかは本当に難しいところです。
そしてそもそもほとんどの管理職の人は、自分が部下を持つ段階でちゃんとしたマネジメントスキルを教わっていませんし習いません。
みんな自分が上司になるまでは完全なる部下視点です。
それが上司になったとたん反対の立場になります。
そしてその時点で一から経験値を積み上げていきます。
いくら診療報酬に詳しくても、診療録管理に精通していても、ITスキルにたけていても何の役にも立たないのです。
そこには用意された答えは一切ありません。
すべて自分で問いを立て、仮説し、解いていくしかない。
こうなると何がアドバンテージになるかというともう経験しかないのです。
経験を積み自分なりの上司哲学を構築する。
それが土台となって自分をそれなりの上司に仕立ててくれます。
ですがこれこそが諸刃の剣なのです。
メタ認知の高い上司は理想的な上司となりますが、メタ認知の低い上司は最悪上司となっていきます。
上司で変わる
ある興味深い研究結果があります。
「The Value of Bosses」という論文で上司が職場に与える影響力を考察しています。
そこにはこうあります。
・仮に「下位10%の質の低い上司」と「上位10%の質の高い上司」を置き換えると職場全体の生産性は1割程度高くなる
・質の高い上司のもとで働く部下は辞める可能性が低い
つまり職場の生産性に対して上司が与える影響力はバカにならないということです。
要は上司が変われば職場が変わるということです。
私個人の意見としては、上位10%、下位10%の置き換えの効果はもっと高くなると思っています。
3~5割程度高くなるのではないかと。
それほど上司で変わります。
これはその上司の手腕によるところももちろん大きいですが、同じくらいにモチベーションへの影響が高いのではないかと思います。
医療事務員のモチベは総じて高くないということは以前に書きました。

私はそれ自体はそこまで不安視しているわけではないですが、そうはいってもモチベが高いに越したことはないのです。
そこがたった一人の上司によって大きく変わるということを私たち管理職は認識しておかなくてはいけません。
ですが多くの管理職は認識していません。
というか認識できないのです。
特に医事課長は。
なぜか?
それは自分の行動を振り返ったり、周りからのフィードバックを受けたりという機会がいちじるしく少ないからです。
医事課長というのは医事課というひとつの村の長です。
その上には医事部長、事務長が位置していますが、直接事細かに指示されるということはありません。
裁量権は自分にあります。
ですので下手をすれば医事課長の独壇場となりかねません。
そしてそれが強いリーダーシップとなり全体最適を考慮した行動ならば良い方向にも進みますが、だいだいはそうはなりません。
自分哲学にもとづいた暴君へと寄っていきます。
これはとにもかくにもフィードバックがないからです。
自分を客観視できないからです。
決まりきった答えがないのですから、自分の経験から導き出した答えこそが唯一の正解だと思って疑わない。
前例にないものは経験にないので当然のように却下。
上にはいい顔をするが部下にはその仕事を丸投げ。
そんな行動の繰り返しがどれだけ部下のモチベを下げ続けているかの自覚はありません。
結局暴君の尻拭いは部下にいくのです。
いつだって大変なのは現場です。
医事課の生産性を上げようと言っている上司本人が一番生産性を下げさせていることって割とあるのではないかと思います。
結局のところ上司しだいなのです。
無能な上司
無能の定義があいまいですが、少なくとも完全無能な人が管理職に就くことはありません。
必ずその人が得意とするところ、優れているところはあるはずです。
ですがそれでも部下から見れば無能とされる上司っていっぱいいると思います。
そういう場合は確実にお互いのコミュニケーションが上手くとれていません。
部下は上司に対し「この人無能」って思っていて、上司は部下を「コイツ使えん」と思っていれば、そりゃあ意思疎通なんか上手くいくわけがありません。
お互い事前のバイアスが入ったままで話すのですから。
しかしちゃんと話してみたら、お互いのバックグラウンドの違いからくる認識の相違だったりするわけです。
つまり
・価値観が違う
・言葉の解釈が違う
・起こった事象へのとらえ方が違う
などです。
これらは違って当たり前です。
でも上司のことを無能と思っている部下からすると、それらの違いはすべて自分への否定と受け取るわけです。
良好なコミュニケーションが保てるはずもありません。
もしこの部分だけでお互いをわかり合えていないのであれば、それは悲しいことです。
そしてこれは修復可能です。
お互い相手の方へと歩み寄ればいいのですから。
ですのでもしコミュニケーションの不備だけで上司を無能と判断するのは早計です。
その前にできることはまだあります。
ですが一方明らかに医事課のマネジメントができていないという場合もあります。
その場合はホントにその上司が無能なのです。

まとめ
上司が変われば医事課が変わる、これはそのとおりです。
でも実際はそんなにコロコロ上司は変わりません。
そして部下は上司を選べません。
ですので本当に自分はその上司のことを無能判定していて、上司の発言の一つひとつに納得がいかない、従いたくないという人は転職すべきです。
それはお互いが不幸だからです。
部下に納得感なんていらない、どんなにむかつく上司でもその人の指示には100%従うべきとは以前に述べました。

残念ながらそれが組織というものです。
それがイヤなら転職か起業するしかないです。
はっきり言って上司の思考や行動を変えさせることは不可能です。
だから従うか辞めるかしかないのです。
その真ん中はありません。
それでは自分がダメになる。
仮にとんでもないクソ上司でもその人を反面教師として使えば、「こういう発言はダメだよな」とか「周りからはこう思われるんだ」ということが認識できるという場合もあります。
これはそのクソ上司が役に立っているパターンといえます。
すべてはとらえ方しだいです。
その人から学ぶことなんて何もないと思っていればそうなりますし、逆もまたしかりです。
どうとらえるかはすべてあなた自身にかかっています。
ごまお