先日こんなツイートをしました。
他責思考の人が多い。人のせい、環境のせいにすることは簡単。そうすることで自尊心を傷つけず自分を守ることができる。でもそれって生産的?やりがい感じる?逆に虚しくない?だってそれは自分には未来を変える力がないって言ってるのと同じでしょ。でも、そんな風に感じてないから他責なんだよね✨
— トシ@医事課の思考 (@ijika_no) May 21, 2020
自責思考と他責思考については以前に書いたことがあります。

どうして今回またこの話を持ち出してきたのかというと、普段仕事をしていると結構な割合で他責思考の人に出会うからです。
これは医療事務に限ったことではなくあらゆる仕事において共通する事象ですが、今一度、自責と他責の差、損得について考えていきたいと思います。
目次
「自責は得、他責は損」と言い切るその理由
結論
他責は経験値が積み上がらないから絶対損です。
自責と他責
自責と他責を簡潔に表すとこうなります。
自責・・・ミスをしたり、物事がうまくいかない際の原因を自分とする
他責・・・ミスをしたり、物事がうまくいかない際の原因を自分以外とする
ここでひとつ断っておきます。
今回の自責、他責の話においてはそれぞれ過度な場合を除外して話を進めます。
でないと「全部自責だと過負荷でうつになる」とか「全部他責な人などそうそういない」みたいな意見も出てきてしまいますので。
誰でも置かれた状況やタイミングで自責寄りにも他責よりにもなり得ます。
物事がうまくいっているときには自分に原因を求め、うまくいっていないときには周りに原因を求める。
本来人間ってそういうものです。
だからつねに自責であるべきと訴えている私自身も時として他責寄りな思考になる場合もあります。
己の自尊心を傷つけないように自分を守ろうとする、それが人間の本能です。
そして100%自責の塊みたいな人はいないと思いますし、反対に100%他責の塊みたいな人もいないと思います。
要はバランスの問題です。
ですがそのバランスにおいて他責寄りな人が思っているよりも結構多いなあと思うのです。
自分ごとか否か?
私はつねづね物事はとらえ方が大事と言っています。
ひとつの同じ事象でもAさんはプラスととらえ、Bさんはマイナスととらえる。
そのとらえ方の違いの積み重ねは2人の成長に明確な差となって表れます。
これは自責と他責においても同じことが言えます。
つねに自分ごととして受けとめることができるかどうか。
そこが大事なポイントです。
先ほども述べたとおり、何でもかんでも「それは自分のせい」「自分が悪い」と感じるような自責思考は過負荷で自分で耐え抜くことがかなり困難です。
ですが極端な話、100%自責思考のマインドセットと100%他責思考のマインドセットのどちらかしか選べないとするならば、私なら自責思考を選びます。
それがたとえ過負荷な行きすぎた自責思考であっても、他責思考よりはよっぽどマシです。
それくらい私は他責思考がイヤなのです。
まずは自分ごととしてとらえられるかどうか。
もうそこだけです。
・100%自分のミス
・半分は自分が関与している
・関与していない
これらを自責思考の人はすべて自分ごととしてとらえます。
対して他責思考の人はすべてを他人ごととしてとらえます。
100%自分のミスだとしても他責思考の人はその原因を外に求めます。
まあ他責の人ってそういうものです。
そもそもそれが自分のミスだとは思っていません。
物事を俯瞰で見ることができない。
自分視点の狭い視野。
結局物事の本質を見るスコープの精度がかなり悪いのです。
どこまで自分ごととしてとらえられるのかどうか。
そこが仕事ができる、できない、成長できる、できないの分かれ目なのです。
経験値
他責思考の問題点は何かというと、「問題の原因は自分の手の届く範疇外にある。自分には問題を解決するためにできる行動などはない」という結論に至るマインドセットです。
この考え方だと結局「自分では何もコントロールできない。何も問題解決できない。」という結論に突き当たります。
そしてその考えにもとづくと、つねに「学ぶものは何もない」という前提が当たり前になります。
特に自分が全然関わっていない事象ならばなおさら、自責で考えるなんてことは1ミリも思わないのです。
たとえば、レセプトにおいて前任者が担当していたときの分が査定されてきたとします。
ここで他責思考の人がどう考えるかというと、どうも考えないのです。
査定されたのは前任者、自分は後任者。
これは確かに事実はそうです。
しかし、だから他人ごとと考えるのはレセプト担当者としてはあまりに未熟です。
というかそんな姿勢はありえない。
そもそも前任者から引き継いだ時点でそれまでの業務もすべてあなたの責任です。
レセプト担当者はそういう認識でないと業務を引き継いだとは決していえない。
それこそ保険者審査で引っかかったレセプトが数ヶ月後に戻されてくるなんてことが普通の世界です。
その中においてそれは前任者、ここからあとが私なんて線引きはないのです。
そんなのはまったくの無意味。
そう思っているのは自分だけ。
たとえ前任者のミスであっても今担当しているのがあなたなのであれば、その責任はあなた以外の誰が負うというのか。
それぐらいの心構えはないとレセプト担当なんてできないって話です。
そしてここからが大事なんですが、その人たちはすごく思い違いをしています。
というかすごく表面的にしか物事を見ていない。
簡単にいえば薄っぺらい。
他責の人はつねに何を考えているのかといえば、自己正当化、責任転嫁、保身です。
いかに自分が傷つかないか、ダメージを負わないかだけに注力している。
つまり他責思考の正体は自分の心を守る防衛策ということです。
それを一概に悪いことだとは言いません。
ただ、あまりにもそこだけに注意が行きすぎているということです。
そしてものすごく損しているなと思うのが「経験値」なのです。
すべて他責にすることで貴重な経験の機会を失っている。
それがすごくもったいなと思います。
前述のレセプト担当者の例でいうと、それが前任者の分だったとしても自分ごととして見ることによって学ぶことはいくらでもあります。
そしてその学びを活かして次からのレセプト点検に活かすことだって可能です。
わざわざ査定というレセプトにおいては一番おいしい情報源を前任者の分だからという他責思考だけで片づけてしまうことが、どれだけ自分にとっての損失なのかを彼ら彼女らはわかっていないのです。
私が他責思考の人がすごく損しているなと感じるのがこの経験値なのです。
みすみす経験値が積める場面を捨てている。
これは仕事をする上ではとても損な行為なのです。
すべて自分ごと、当事者意識を持って行動する人とすべて他人ごととして行動しない人の経験値の差はあまりにも大きいです。
医療事務は経験者が有利、経験者が貴重という話があります。

まあそれはウソなんですが、経験を積んでいくことはとても大事なことです。
であるならば経験値をどんどんゲットしていくことに越したことはないのです。
なのにあえて経験値を積む機会を捨てている。
他責の人は仕事ができる人になりたいと思いながら、それとは真逆の行動をしているのです。
経験値をどんどん積み上げたいのであれば、選ぶべきは自責思考一択なのです。
自身の成長を願うのであれば必然的に自責しか選べないのです。
自責を選ばない理由
ここまで述べてきても現在他責の人はこの先もおそらく他責のままです。
なぜ自責でなく他責を選ぶのか?
その理由はいくつか考えられます。
・楽である
・ストレス軽減
・心の安定
これを見てどう思いましたか?
「そうだよな」って思いました?
私の感想は真逆です。
つまりそれは自責を選ぶ理由です。
他責は楽じゃないです。
だって「すべての事象は他人の責任」→「すべての事象は自分ではコントロールできない」っていう他者依存のマインドですよ。
楽なわけがない。
自分の無力さを痛感するだけになります。
またストレス軽減というのも他責じゃムリです。
それは軽減ではなくて、ただ回避しているだけ。
ストレスの本体はちっとも減ってはいません。
心の安定もストレスと同様で安定していると思い込んでいるだけ。
つまり自分が他責を選んでいると思っている理由がそっくりそのまま自責を選ぶ理由なのです。
楽でストレス軽減で心の安定を得たいのなら、完全に自責一択なのです。
ですが多くはそうはなっていない。
なぜか?
これにはきちんとわけがあります。
他責の人と私とでは最初の前提が違うのです。
その前提とは「仕事って自己成長を目指すものですよね」ってことです。
私はそれを前提で述べてきています。
ですが他責の人はそうではないのです。
「成長って必要?」
「自分の仕事ができてれば文句ないでしょ」
というマインドなのです。
だからそんな人にいくら自責になれって言ったところで響かないのです。
経験値をどんどん積むべきという私の主張も、そもそも自己成長を前提にしていない人からすると何にも刺さらないのです。
まとめ
他責は損なんです。
それは間違いありません。
でも自己成長を重要視していない人にとっては自責こそ損なのでしょう。
すべて自分ごととしてとらえる、当事者意識を持つなんてことは労力のムダ、時間のムダなんでしょう。
だったらその前提さえもなくしてしまいましょう。
それでも他責は損なんです。
なぜか?
それはもう単純に他責で楽しいですか?ってことなんです。
人のせい、環境のせい、時代のせい、社会のせい。
そう思うのは自由です。
でもホントにそれで毎日楽しいですか?
すべて自分の力ではどうにもならないという思い込み。
そこには無力感しか残らないと思うのですがどうなんでしょう。
他責の人に欠けているのは成功体験です。
自己効力感です。

自分の力でなんとかできる、なんとでもなるというマインドです。
でもこんなこと言ってもムダなんです。
だってそのマインドを得るために必要な思考って自責思考なのですから。
すべてを自責に変えてくださいとは言いません。
ただバランスとして自責の比重をもうちょっと大きくしてみませんか?
違った風景、違ったマインドに出会える可能性は増えるはずです。